(本記事は、和田秀樹氏の著書『「ボケたくない」という病』世界文化社の中から一部を抜粋・編集しています)

「ボケたくない」という病
(画像=Webサイトより※クリックするとAmazonに飛びます)
Q ボケるのが怖いです。ボケずにすむ方法はありませんか?
亡くなった祖母が認知症でした。家族の苦労を身近に見て育ったせいか、「自分も認知症になるのではないか」という不安でいっぱいです。なんとかして認知症にならずにすむ方法を教えてください。
A 今のところ認知症を完璧に予防する方法はありません。
認知症は「老化」のひとつですから受け入れるしかないのですが、むやみに怖がることはありません。誤解や思いこみを解いて正しい知識を持てば大丈夫です。

解説

「ボケたら不幸」は勝手な思いこみに過ぎない!

国立長寿医療研究センターの調査(20代から70代の男女約2000人の調査、2004年)では、「高齢者になるのは不安」と答えた人は8割以上、その不安の内訳は、「病気になること」(72%)、「収入がなくなること」(68%)を抜いて、「寝たきりや認知症になって介護が必要になること」(78%)が1位になっています。

また、「心配な病気」は、「がん」(77%)と「認知症」(70%)が大多数で、約4割の人が「長生きしたくない」とも回答しています。

人間は、本来は長生きをしたいと思うものです。ところが、こうした結果が出ているのは、それだけ認知症などに対する不安が大きいということでしょう。

内閣府が行った「高齢者の日常生活に関する意識調査(60歳以上の男女約4000人の調査、2014年度)」でも、日常生活でもっとも大きい不安は「健康や病気」(約68%)、「寝たきりで介護が必要になる」(約60%)、「収入が不安」(約34%)、「子や孫の将来」(約21%)という結果が出ており、やはり、「病気」「寝たきり」「介護」といったことが老後の不安の大きなキーワードになっていることがあきらかです。

これらの調査結果からもわかるように、多くの人が認知症や、それに付随(ふずい)するかもしれない寝たきりや介護に対して、大きな不安や恐れを抱いています。老後が不安になったり、認知症を恐れたりする気持ちもわからないではありませんが、みなさんが抱く漠然とした不安や恐怖の裏には、大きな誤解があるように思えて仕方がありません。

大きな誤解。それは、「認知症になったら、ボケたら……その後の人生は絶対に不幸だ」

という思いです。あなたの中にもあるのではないでしょうか。もしそうだとしたら、勝手な思いこみに過ぎないと断言できます。私はこれまでに数え切れないほどの認知症患者を診てきましたが、*どんなにボケても幸せな人生を送っている人は大勢いますどんなにボケても幸せな人生を送っている人は大勢います*。

ボケても幸せに過ごすことができる。

そう思えれば、漠然とした不安や恐怖がやわらぎはしないでしょうか。

認知症は老化のひとつでだれにでも起こりうる

それでもどうしても認知症にはなりたくないですか?

そんな人には残酷かもしれませんが、「認知症はだれにでも起こりうる病気」ということを強調しておきたいと思います。

厚生労働省の調査では、「85歳以上の人の40%強がテスト上は認知症と診断される」と報告されています。

認知症有病率は、70〜74歳では4.1%、80〜84歳では21.8%ですが、85〜89歳では41.4%と2倍に。90〜94歳では61%、95歳以上となると79.5%という結果が出ています(厚生労働省「都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応」平成23〜24年度)。

この数字が何を意味しているか、おわかりでしょうか。

私たちの体には、老化によってさまざまな不具合があらわれてきます。認知症の有病率が年齢を重ねるほどに高くなってくるということは、認知症もまた、老化によってもたらされる不具合のひとつということです。

いま、世界中でいろいろな研究が進んでいますが、まだ認知症の完全な予防法は見つかっていないのが現実です。つまり、90歳以上のおよそ6割の人が認知症になることを考えると、人生100年時代といわれる現代に生きる私たちは、認知症を受け入れて生きていくしかないのです。

「愛されるボケになろう」と腹をくくれば不安も払拭

かつて私は、高齢者専門の総合病院・浴風会病院(東京都杉並区)に勤務していました。

この病院では、年間100例ほどの高齢者の脳の解剖を行っており、実際に解剖に当たっていた病理医によると、85歳以上の人にはほとんどの脳にアルツハイマー型認知症(後で詳しく解説しますが、認知症にはいくつかの種類があり、もっともポピュラーなのがアルツハイマー型)が見られるなど、特有の所見が見つかるそうです。

このことからも、高齢になればボケは避けられないことがわかるでしょう。

ただし、ボケにも個人差があります。たとえば、解剖した脳には明らかにアルツハイマー型認知症の所見が出ているのに、生前はそれほどボケたように見えなかった人がいる一方で、生前はひじょうにボケが進んでいたにもかかわらず、解剖してみると、脳自体にはそれほどの変化が見られなかったという人もいるのです。

どのようなボケ方をするのか。正直、だれにもわかりません。

そうであるならば、認知症をいたずらに恐れたり、「絶対にボケるものか!」と気を張ったりして生きるより、「認知症になったらそのときのことだ」とどっしりかまえて生きたほうがいい。私は、こんなふうに思っています。

ただ、気楽にかまえて生きるにしても、認知症に対する正しい知識は持っておいたほうがいい。そうすれば、ムダに怖がることもなくなるでしょう。

認知症になっても愛される人がいる。幸せなボケの人もいる。

こうした事実を知るだけでも、気持ちがラクになったりします。

長生きをすれば人はボケるもの。このことを素直に受け入れ、「どうせなら愛されるボケになろう」と腹をくくれば、気持ちがリラックスします。そのことが、結果としてボケを遅らせたり、ボケたとしても幸福な人間関係を築いてくれることもあるのです。

そう考えると、認知症に対する不安が軽くなってきませんか。

不安が払拭されてゆったりした気持ちになると、感情が安定します。感情の安定は、いまを楽しく生きることにもつながりますから、一石二鳥です。

「ボケたくない」という病
(画像=「ボケたくない」という病)

Q 認知症になると周りに迷惑をかけっぱなしになるんですよね?
「認知症になると自分のことが何もできなくなって、シモのお世話も周囲に頼ることになる」というイメージがあります。「そんなことになるくらいなら、死んだほうがマシ」とさえ思えてしまいます……。
A 認知症でも普通に生活をしている人は大勢います。
「何もできなくなる」のではなく、「できることが限られてくる」だけ。しかも、症状はゆっくり進行しますから、軽度のうちはそれまでと変わらない生活もできます。

解説

「認知症になったら何もできなくなる」は大きな誤解

「もしアルツハイマーになったら安楽死させてほしい」

とある高齢の著名な文化人が、雑誌のインタビューでこのように語っていたことがあります。私はこれを読んだとき、正直、「やれやれ……」と思ってしまいました。

この人に限らず、こうした発言をする人は、認知症に対して大きな誤解をしています。

認知症になったらひとりでは何もできなくなって悲惨な状態になる、妄想や徘徊に振り回されて家族は疲労困憊する……。こんなふうに思いこんでいる人のいかに多いことか。

この思いこみが、「死んだほうがマシ」「安楽死させてほしい」といった発言に結びつくことは、いうまでもありません。また、家族のだれかが認知症と診断されると、ひどくガッカリする人が多いのも、認知症に対して間違った認識を持っているからでしょう。

いずれにしても、世間の多くの人が抱いているイメージと実際の認知症は異なることを、私は声を大にしていいたいと思います。

認知症に対する誤解として多いのが、たとえば「知能が失われる」というもの。いわゆる「子ども返り」をすると思っている人もいるようです。

しかし、認知症では、すべての能力が一様に落ちていくわけではなく、「できる能力」が残されていることがほとんど。「計算はできなくなってしまったけれど、得意な英語は以前と変わらず流暢(りゅうちょう)に話すことができる」「さっき食べたことを忘れてしまうけれど、計算はふつうにできる」などというように、能力の落ち方は一様ではないのです。

残った能力を「残存機能」と呼びますが、これがあることが「子ども返り」とは異なる点です。また、認知症の人の、世の中の出来事に対する理解の仕方や物事の判断の方法なども、子どもとはまったく異なっています。

「何もできなくなる」のではなく、「できることが限られてくる」だけ

認知症はゆっくりと進行していく病気です。

アルツハイマー型では、一般的にまず記憶力が落ちていき、その後に少しずつ認知機能も低下していくのは事実です。しかし、アルツハイマーがかなり進行した人でも多くの残存機能があるくらいですから、軽度のうちは、残存機能をうまく使っていくことで、それまでと変わらない生活を送ることも、多くの場合、不可能ではありません。実際、軽度であれば、とくに生活に困ることはないという人も大勢います。プロの画家として絵画を描き続けたり、漁師の仕事を若者以上にうまく続けたりしているといった例もあります。

「認知症になったら何もできなくなる」は、大きな誤解だということがわかるでしょう。

ちなみに、「まだらボケ」という言葉がありますが、これは、まさに認知症をいい当てたもの。「この部分はしっかりしているのに、この部分はどうしてしまったんだろう……」という「まだらボケ」状態が認知症の特徴ともいえるのです。

認知症は、「何もできなくなる」のではなく、「できることが限られてくる」だけです。家族など近しい人が認知症になると、その患者さんの「できなくなってしまったこと」ばかりに目がいってしまって悲観しがちですが、「できることが限られるだけ」と理解して、その「できること(残存機能)」に目を向ければ、また違ったとらえ方ができる。そう悲観することもなく、気持ちも前向きになるのではありませんか。

徘徊などの「異常行動」は1割程度に過ぎない

認知症になると妄想や徘徊などの「異常行動」で周囲に迷惑をかけてしまう。

このこともまた、多くの人が認知症に対して抱いている思いこみです。

確かに、異常行動が出る人はいます。異常行動によって家族が疲れ果てるケースもありますが、認知症全体から見れば、異常行動が生じるのは1割程度。しかも、そうした行動が出てくるのは、ある程度、症状が進んでからなのです。日本に認知症の人が460万人以上いるのですから、もしみんなが徘徊するのなら目立って仕方がないはずですが、世の中で徘徊している人は1%もいないはずです。また、いわゆるシモの世話が必要になるのも、かなり症状が進んでからです。

このような現実を知らず、ボケること、認知症になることへの強い恐怖心だけがひとり歩きをしている気がしてなりません。認知症は、生活の自立度が低くなるだけで、それほど人に迷惑をかける病気ではないことを知ってください。

そもそも「ボケたらみんなに迷惑をかける」「迷惑をかけてはいけない」という考え方自体、どうなのでしょうか。

認知症は、数ある老いの姿の中のひとつに過ぎません。年をとればだれでも、足腰が弱ったり、重いものが運べなくなったり、疲れやすくなったり、耳が遠くなったりします。それでも、やりたいことをしたり、行きたいところに出かけようと思えば、大なり小なり、人の手を借りなければなりません。認知症で人に助けてもらうのもこれと同じと考えれば、「ボケたら周囲に迷惑をかける」という認知症への拒否反応もなくなるのでは?

実際、認知症患者の9割ぐらいの人が、介護サービスを利用するなどして、周りに迷惑をかけることなく生活をしています。もちろん、介護する家族にとっては大変なこともあるでしょう。しかし、介護する家族が患者さん本人に癒やされることもあるのです。持ちつ持たれつ。そう思えば、「迷惑」などという発想は出てこないと思います。

日本人はとかく「迷惑」を気にする民族です。海外では、安楽死を望むのは自分が苦しさや痛みやつらさから解放されたいためであり、「人に迷惑をかけたくないから」という発想はないといいます。ところが日本では、安楽死を望む人の理由として「これ以上、迷惑をかけたくない」というのが圧倒的多数です。

これだけ超高齢社会になったのですから、もうそろそろ、この倫理観から解放されてもいいのではないでしょうか。年老いたら少しくらい人に迷惑をかけてもいい。こう覚悟を決めていれば、認知症もそれほど怖いものではなくなるはずです。

「ボケたくない」という病
(画像=「ボケたくない」という病)

Q 「認知症= アルツハイマー」ではないんですか?
「認知症」と「アルツハイマー」。この2つの言葉は同じ意味で使われているのではないのでしょうか。「認知症=アルツハイマー」だと思っていましたが、違うのですか?認知症には、アルツハイマー以外にも種類があるのでしょうか。
A 認知症は大きく4つのタイプがあります。
もっともポピュラーなのはアルツハイマー型ですが、それ以外にも、前頭側頭型(ぜんとうそくとうがた)、レビー小体型(しょうたいがた)、脳血管性型(のうけっかんせいがた)があり、大まかにはこの4つのタイプに分けられます。

解説

認知症全体の60%以上を占めるのがアルツハイマー型

「認知症」とひと口にいっても、大きく分けて4つのタイプがあります。

アルツハイマーはそのひとつで、正式には、「アルツハイマー型認知症」といい、認知症全体の60%以上を占める代表的な認知症です。

原因はまだはっきりとはわかっていませんが、脳にアミロイドβ(ベータ)という特殊なたんぱく質が蓄積することで、神経細胞が変性・死滅し、脳が萎縮(いしゅく)するのではないかと考えられています。進行はひじょうにゆっくりで、発症する20年以上も前からアミロイドβの蓄積が始まるともいわれています。

アミロイドβの蓄積による脳の萎縮は、短期記憶を司る海馬(かいば)の周辺から始まります。そのため、新しく物事を記憶できなくなったり、過去のことを思い出せなくなったりする「記憶障害」が起こることがほとんどです。

アルツハイマー型以外の3つの認知症

アルツハイマー型の次に多く、全体の20%程度を占めるとされるのは「脳血管性型認知症」。脳梗塞(のうこうそく)や脳出血などの発作によって脳血管周辺の神経細胞がダメージを受けることで発症しますが、アルツハイマー型との合併も多く見られます。

このタイプは、脳梗塞や脳出血の発作のあとで発症します。脳細胞がダメージを受けた部分と、そうでない部分があるために症状はまだら状。同じことをしてもできる場合とできない場合がくり返されることもあり、「まだら認知症」とも呼ばれます。ダメージを受けた脳の部位や範囲は人によって異なるため、症状には大きな個人差があります。

そして、認知症全体の10%程度を占めているのは、「レビー小体型認知症」です。

この認知症は、レビー小体という特殊なたんぱく質が、大脳皮質や脳幹にたまって神経細胞が死滅することで発症します。このタイプは、幻視があらわれるのが大きな特徴。子どもや小動物などが生々しく見え、「助けて!」と叫んだり、救急車を呼んだりすることもあります。また、筋肉が硬直して動きが乏しくなったり、歩行が小刻みで転びやすくなったりします。睡眠中に手足をバタバタさせたり、大声を上げるなどの行動も。

認知症の4つのタイプのうち、もっとも割合が少ないのは「前頭側頭型認知症」で、全体の1〜5%程度といわれています。脳の前頭葉と側頭葉の神経細胞が変質・死滅することによって起こりますが、その仕組みはまだよくわかっていません。

症状としては、記憶障害ではなく、言葉の意味がわからなくなったり、言葉が出なくなったりする言語障害が出てきます。理性を司る前頭葉がダメージを受けるため、抑制がきかなくなって万引きや痴漢、交通違反など反社会的行為がふえる、興味がなくなると話の途中でも立ち去る、といった行動も目立つようになります。この認知症は、多くは初老期に発症します。65歳未満で発症すると、「若年性認知症」と呼ばれます。

「ボケたくない」という病
(画像=「ボケたくない」という病)
「ボケたくない」という病
和田秀樹
1960年大阪生まれ。1985年、東京大学医学部卒業。老年精神科医。国際医療福祉大学大学院教授。和田秀樹こころと体のクリニック院長。『自分が高齢になるということ』(新講社刊)ほか著書多数。

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