【宮田裕章】誰も取り残さない社会へ。データが握る世界のディスラプション

2020/10/1
多くの生命と日常を奪い去り、今なお猛威をふるい続ける新型コロナウイルス。経済と社会活動は厳しく制限され、2020年前半の世界は不安と閉塞感に包まれた。あらゆる人々がそれぞれの立場で未知の脅威と戦い続けたこの経験は、未来に何を残すのだろうか──

アフターコロナの世界と、そこに見えてきた希望について、慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章氏に聞いた。

経済合理性以外の評価軸の重要性が高まっている

──新型コロナウイルスの感染拡大で起こった社会の変化の中で、特に大きなものは何だと思われますか。
宮田 経済合理性以外の軸が、これまでとは比較にならないほど重要視されるようになったのは非常に大きな変化です。
 コロナ前はその代表的な問題が“環境”だったわけですが、今はそれ以上に“健康”が重視され、これまでほとんど議論されてこなかった公衆衛生も社会のど真ん中に据えるべき課題として躍り出ています。
 加えて、ブラック・ライブズ・マターに代表される、格差や人権問題も大きな関心を集めました。
 新型コロナウイルスは人種間での感染リスクに大きな違いはないにもかかわらず、米国ではアフリカ系の人たち、シンガポールであれば外国人労働者など、これまでの資本主義社会で取りこぼされてきた層で感染が広がりました。
 日本でも夜の街で多くのクラスターが発生し批判の的にもなってきましたが、こうした攻撃は事態の改善にはつながらないこともわかりました。
 これまで置き去りにしてきた問題がコロナとの戦いの中で大きな弱点として浮上したことで、格差が広がる資本主義そのものにアップデートが求められる局面に来ていると思います。
──こうした状況に、社会や企業は対応できているでしょうか。
 コロナ前からDX(デジタルトランスフォーメーション)が社会変革の大本命だったわけですが、コロナ禍でそのニーズが改めて浮き彫りになり、加速しました。
 ただ、現状では、単なる“置き換え”で終わってしまっているものも多く、これでは劣化でしかありません。
 たとえば、学校では、オンラインを使った遠隔教育を導入し、対面の代わりに授業を実施する動きがありました。しかし本来は、子どもたちを三密の環境に押し込んで詰め込み型の教育をしてきた従来型のしくみ自体の是非から考えなくてはならないはずです。
 単なる授業の配信であれば、授業が抜群に上手なトップクラスの先生たちを選抜して、その授業を全国に配信するほうがよほど効率的で、質も高くなります。
 そこで手の空いた担任が何をするかといえば、子どもたち一人ひとりに向き合って、どのような学びが必要なのかをコーチングし、サポートするといった新しい形も考えられます。
 これなら従来よりも教育の本質に近い環境が実現でき、対面での授業が制限された状況でも教育の質は向上させられるのではないでしょうか。
 ビジネスでも同様で、どんなに素晴らしいテクノロジーを活用しても既存のものを代替するだけでは新しい価値を生むことはできません。
 すでにそのことに気づいている経営者も多く、今後は体験価値そのものを向上していくサービスがあらゆる領域で登場し、主流になっていくと思います。
──体験価値そのものを向上していくサービスとは、どんなものなのでしょうか。
 たとえば、巣ごもり消費で動画配信のネットフリックスの利用が拡大しましたが、同社の成長をけん引しているのは、劇場を大衆でいっぱいにするためにつくられた従来型コンテンツだけではありません。
 視聴履歴など様々なデータを活用してニッチなマーケットからも支持される幅広いコンテンツを用意し、的確なレコメンド機能でユーザーの満足度を高めている点が、彼らの大きな強みです。
 一部の人の感性だけでなく、個々が何を感じるかを把握したうえで、ダイバーシティ&インクルージョン(多様性を受け入れ、組織に生かすこと)を実現することこそが新しい価値となります。
 こうしたシフトができない企業は今後危機に立たされるでしょうし、逆にそれができればたとえ斜陽産業といわれるビジネスであっても、価値を生み出す側に回れるかもしれません。
 これまでの業界地図が一変するようなゲームチェンジが起こっても何ら不思議はないと思います。
(写真:Blue Planet Studio/iStock)

データを握る企業がそれを自由に使える時代は終わった

──ウィズコロナ、アフターコロナでどんな産業やビジネスに注目していますか。
 コロナ禍によって未成熟なまま普及してしまったビジネスの中には、まだまだ劇的な成長可能性を秘めているものがあります。
 たとえば、オンライン会議システムは対面せずにコミュニケーションができる一方で、現状ではそれ以上のものではないため、“対面の置き換え”にすぎません。
 これがもし、それぞれの場でなされた発言がリアルタイムでテキスト化できれば、それを確認しながら複数の会議に出ることもできるでしょう。
 当然、議事録を作る必要もなくなりますが、このデータは企業が何に関心を持って話題にしているかがリアルタイムでわかる貴重なアーカイブとなり、イノベーションの種の宝庫ともなりえます。
 もちろん、機密情報である以上活用には慎重な姿勢が求められますが、この領域から次のGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)が登場してもおかしくないと思っています。
 デジタルマネーにも注目しています。すでにスウェーデンや中国の中央銀行が法定通貨を電子化した「eクローナ」や「デジタル人民元」の構想を掲げており、昨年はフェイスブックが新たなデジタル通貨「リブラ」の構想を発表しました。
 リブラは各国政府や中央銀行から批判を集めたものの、ここへ来てこれまで消極的だった日本銀行や米FRB(米連邦準備制度理事会)も本格的にデジタル通貨の検討を始めています。
 いずれにしても、DXを活用してあらゆる層に新しい体験価値を届けるために不可欠となる条件は「パーソナルデータの活用」です。今後はデータを適切に活用できることが、企業の成長の条件になるでしょう。
 これはあらゆる領域に共通しますが、中でも特にパーソナルデータとの親和性が高く、GAFAMも注力している“ヘルスケア”が最初の激戦区になるかもしれません。
 今やメガファーマであっても、薬を創って売るだけでは生き残れないという強い危機感を持っています。病気を治すだけでなく、病気になる前後も一人ひとりの自分らしい生き方を支える健康体験を提供するため、ビジネスを変革していく必要性に迫られているのです。
──パーソナルデータの多くは、GAFAMといった巨大プラットフォーマーが握っています。
 どんなに価値あるデータを持っていても、それを自由に使えるフェーズは終わろうとしています。冒頭で、「経済合理性以外の軸の重みが増している」という話をしましたが、企業に対しても業績成長と株価だけが評価軸となる時代は過ぎています。
 データを使って富を生み出していくには、社会に貢献することで人々から信頼を集める企業であることが絶対条件となる世の中がもう来ているのです。
 実際、GAFAMに対しても厳しい視線が注がれており、巨大プラットフォーマーであってもこの先どうなるかわかりません。誰よりも彼ら自身がそれを自覚しており、グーグルはAI for Social Goodという理念を掲げるようになりました。
 同社はこれまで広告課金の効率を上げるために検索アルゴリズムをチューンナップしてきましたが、コロナ禍を機にフェイクニュースを排除し正しい情報へのアクセスを優先するアルゴリズムに方針を転換しています。
 ちなみにマイクロソフトもAI for Good、フェイスブックはData for Goodといった、社会に良い影響をもたらすためのデータ活用をミッションのひとつに掲げるようになりました。

データ活用で誰も取り残さない社会へ

──近年はESG(環境:Environment・社会:Social・ガバナンス:Governance)投資も広がっていますが、今後はこうした企業が成長企業の本命ということになるのでしょうか。
 ESGを重視する企業が、そうでない企業と比べて健全な業績成長を遂げているというデータは、すでに出てきています。
 本業で途上国を搾取し、環境を破壊しながら社会貢献活動をする企業がESG投資の対象に含まれることもあるかもしれませんが、今後も成長を続けられるのは本業で持続可能な社会を目指す企業。
 投資家はもちろん、顧客や消費者も、データを預けるだけの信頼に足る企業かどうかを厳しく選別することになると思います。
──新型コロナの脅威に立ち向かう手段として、データの価値を再認識した人も多いかもしれません。
 多くの人がその価値を実感したのは、政府の給付金でしょう。コロナ禍では突然無収入に近い状態に追い込まれた人が多くいる一方で、ほとんど影響を受けない人や収入が増えた人もいます。
 もし政府がマイナンバーと紐づいた個人データを活用できる環境が整っていたなら、本当に困っている人に絞ってより迅速に、手厚い支援を届けることも可能でした。
 現実には国民全員に10万円という広く薄い支援にとどまってしまったうえ、請求や支給の手続きに膨大な労力とコストを費やす結果となりました。
 また、マスクが品薄だった時期には、早朝からドラッグストアの店頭に並ぶ時間のない人や感染リスクの高い人ほど、マスクを入手できない問題がありました。
 これも台湾の取り組みのようにデータを適切に活用すれば、マスクの総量は同じでも必要な人に行き渡ったはずなのです。
 一人ひとりをデータでとらえることは、弱い立場の人をすくい上げ、誰も取り残さずにエンパワメントすることにつながります。
──行政はわかりますが、企業にも誰も取り残さないデータ活用ができるのでしょうか。
 もちろんです。その代表的な例として、中国のアリババグループの子会社アント・グループが開発した「芝麻信用」という個人信用評価システムがあります。個人の行動をスコア化することで金融機関の貸し倒れが減少し、富裕層以外にも融資が届くようになりました。
 さらに、収入額や資産額といった既存の信用情報ではクレジットカードを持てなかった層やローンを組めなかった層にも、チャンスがめぐってくるようになったのです。
 アント・グループ自体が最初からそこまでの使命感を持っていたかどうかはわかりませんが、今後は行動で積み重ねた信用がお金では買えない価値をもたらす場面も出てくるでしょう。
 データを活用することで、これまで富を得られなかった人たちにも豊かさが配分され、共に未来を創っていく転換がコロナで加速していく可能性は十分あると思っています。

コロナを社会変革に向けたポジティブな契機とできるか

──日本ではスコアリングやデータ提供に抵抗を感じる人は多いと思います。そもそも、データは誰のものなのでしょうか。
 これには様々な考え方があります。GAFAMを擁する米国では「データは企業のもの」というのが基本姿勢であるのに対し、中国は「国家のもの」という考えです。
 これに対し、第3のアイデアとして日本とEUが模索しているのが、「データはみんなのもの」という考えです。
 従来の資本主義下では、所有が重要視されました。20世紀の富の源泉だった石油で覇権争いが繰り広げられたのは、石油は使えばなくなってしまう限りある資源だったからにほかなりません。
 一方、ポストコロナで新しい富の源泉になるデータは、使ってもなくなりません。たとえば1万人のデータを使って一人の難病患者に対する治療法を発見することもできますし、その恩恵はさらに多くの患者に拡大し、尽きることはありません。
 データを共有財としてシェアし、社会のために活用していくことで、新しい豊かさや価値を生み出していこうというチャレンジが始まっています。
 ただ、データを活用する側がひとたび信頼を失ってしまうと、根こそぎ枯れてしまうという脆弱さを併せ持っていることは忘れてはいけないでしょう。
 日本人は個人情報やプライバシーに敏感だと思われがちですが、それはコミュニケーションに問題があるからです。
 マイナンバーと銀行口座を紐づけると言われれば、誰でも嫌な気分になるでしょうが、それは何が実現でき、どんなメリットがあるかを説明できていないからです。
 実際にはすでに給与の額を税務署に把握されている給与所得者が損する要素はなく、困るのは不正を企てる人だけです。
 コロナ禍だけでなく、災害時などにも迅速に支援を届けたり、面倒な申告をしなくても還付を受けられたりする……といった目的やメリットをしっかり示していけば、そこまで拒否反応は出ないはずです。
 我々の調査では、日本を含めたアジアの人たちは、「納得できる理由を示せばデータ提供に協力的な国民性である」という結果が出ています。日本は公的機関がもっとデータを運用し、活用の幅を広げられる可能性を持った国なのです。
──歴史をひもとけば、ペストの大流行がルネサンスを生む契機となりました。現代もコロナをきっかけに、多くの人が豊かさを実感できる社会に変えていくことはできるのでしょうか。
 実際は、そうならない可能性もかなりあるとは思います。経済合理性以外の軸やソーシャルグッドなんて綺麗事だと打ち捨てられ、分断が進んでいくというシナリオも十分ありうるでしょう。
 それでも、世界をより良い方向に変えていく力は、一人ひとりの行動から生まれます。
 たとえば、投資。個人投資家は大切な資金を成長期待の高い企業に投じるわけですが、これから成長する企業は世界をより良い方向に変えていく企業であることには疑いの余地がありません。
 こうした企業を選別し、資金を投じるという行動そのものが、世界を変えるエネルギーになります。特に日本は、海外と比べて超富裕層と言われる人たちが少ないので、一人ひとりの行動がより重要になるでしょう。
 私もひとりの科学者として社会変革に挑戦し、コロナをポジティブな契機として世界をより良い方向に変えていくニューノーマルを探していきたいと思っています。
(構成:森田悦子 編集:奈良岡崇子 写真:望月孝 ヘアメイク:田中いづみ デザイン:小鈴キリカ)