着物は、人々の生き方を解放できるのか

2020/9/14
コロナ禍で祇園祭も姿を変えた夏の京都。宗教、医学など異分野の5人が、伝統産業の現在とこれから、文化を未来につなぐ次世代のコミュニティーの在り方を探った。

【出席者】藤井浩一(藤井絞4代目)、松山大耕(退蔵院副住職)、石川善樹(予防医学研究者)、佐渡島庸平(コルク代表)、宮田裕章(慶応義塾大学教授)
【聞き手】THE KYOTO 編集長・各務亮
異分野の5人が京都で語る、伝統産業の現在とこれから

「三角関係」が必要

──コミュニティーは一人一人の人間関係の延長だと思いますが、形成する際のポイントはあるのでしょうか。
石川 人間関係って三角形がつくられると維持されやすいですね。一対一の関係は切れたら終わりですが、第三者がいれば、コミュニティーが存続しやすいわけです。コミュニティー形成のポイントは、三角形をたくさん作るのがひとつの肝だと思います。
──なるほど。石川さんの指摘と、先ほどの常連ばかりで入りづらい文化や伝統の世界の課題についてどのように考えられますか。
松山 常連ばかりの店がつぶれやすいのは、かねて「料理人はお客さんに育てられる」といわれることからもよく分かります。常連ばかりだと、新しく教えられることがなくなりますから。伝統や文化の世界において、入りづらくしている理由については、つまるところ「楽」だからですよね。居心地がいいから、分かる人だけの狭い世界で継続しているわけです。
佐渡島 お寺の場合、座禅の意味にしてもそうですが、分からないときに「理解が及ばない自分が悪い」という意識が生まれますよね。一方で、着物など伝統的な工芸品ってそう思わないんですよ。自分には関係ないと。良さが分からなかったときに、また機会があったとしても再度知ろうと思いづらいんです。

着る機会がない「着物」

松山 いい指摘ですね。着物業界で決定的に足らないのは、着ざるを得ない機会がないところだと思います。現在、着物は女性中心のものと考えられていて、七五三、卒業式、成人式。結婚式も少なくなっているので、着る機会は早いと22歳で終わるわけです。
男性にとっては、着る機会は皆無かもしれません。加えて、潜在需要があるはずの、時間も金銭的にも余裕がある50~60代の女性に対してもあまり機会を提供していない。
昔、人生40年といわれていた時代-平安時代の宮中行事に、35歳になったら長寿の祝いでハトの杖を持ち着物を着て祝うという行事がありました。現在でいうと70歳くらいでしょうか。そういったお祝いをするような機会をつくったらいいのではないかと思います。

服は何のためにあるか

佐渡島 「着物」のイメージを変えなければいけません。僕がもし着物を着ていたら仮に本当に着たかったとしても、必ず違うメッセージが伝わってしまいます。それが僕だけでなく「面倒くさい」と思う要因かと。もう一度その「文化」をつくるためには、着物を一般化させないといけないですね。
宮田 そうですね。ライトに着物を取り入れていけるアプローチが必要ですね。洋服が和服を圧倒した背景には、防寒性と活動性の優位性があります。多くの人がそれを楽だと感じたからです。気象条件がかつてから変化しているなかで、着物を使った新しいドレスコード、スタイルに挑戦することも重要でしょう。
世界的にはパリコレのデザイナーなどが日本のテキスタイルを採用したり、着物テイストのジャケットを提案するなど、海外のデザイナーの方が時に積極的に和を導入しています。一部のハイファッションだけではなく、現代の生活のなかに和をなじませるスタイルにも可能性はあると考えています。
佐渡島 会社員時代は、チノパンやジーンズでしたが、コロナ禍において家で仕事する生活では、すべてファストファッションになりました。あまりに快適すぎるからです。服はなんのためにあるかが鍵ですよね。
藤井 着物業界は真逆をいかなければならないんですかね。
石川 そうですね。服は個々人の生き方そのものを示すようになってきていますからね。

着物は「生き方を解放できるか?」

宮田 ビジネスの本流ではドレスコードが変わり始めています。金融業でも一番厳しかったゴールドマンサックスがドレスコードを変えました。かつては伝統的西洋ファッションで武装していた彼らが、Tシャツにジャケットなど異なる装いをビジネスの場に導入し始めたのです。
一方でシリコンバレーがTシャツを選ぶ背景には楽だからという点もありますが、もう一つは発言の内容で勝負をするという点があります。画一的なスタイルの下では、生地などに階級が露骨に現れ、それが発言に不必要な重みを乗せてしまい、その結果として対話の本質が見えなくなることがあるのです。
一方で着物の良さは首回りを閉めない開放性、湿度の高い環境でも快適に過ごせる点です。ニューノーマル時代の仕事着として着物あるいは着物をアレンジしたものが入っていけるチャンスはきっとあるはずです。
正装として活用するライフスタイルを作るだけでなく、着物が「人々の生き方を解放できれば」そこに新しい可能性が生まれます。シリコンバレーとは違う形で生き方や個性を表す服のなかに、日本文化のルーツを組み込んでいくことができれば、魅力的なスタイルとなるかもしれませんね。
藤井 リモートや在宅が増えた結果、浴衣や着物を着る方が増えていると聞いています。通勤する必要がなくなったとき、好きな衣服で仕事をする、日常着るものを好みで決めるというのがニューノーマル時代に芽生え始めているかもしれません。
宮田 ファッションの本流も変わりつつあります。「手軽におしゃれ」という感覚で服を選ぶ時代ではありません。ストローなどプラスチック製品による海洋ゴミ問題と同様、新興国に負荷をかけて大量に衣料品を生産していたメーカーが起こした崩落事故がありました。
誰が作って、誰を幸せにして、その結果どうなるのかを考えた上で、商品を選ぶ。何かの犠牲の上に成り立つファッションはかっこよくないという意識です。商品自体がメッセージになり、個々人の生き方と社会を関係づけるかも含めてデザインであるというスタイルが、新たな大きな潮流になりつつあります。
佐渡島 スーツやファストファッションが示すメッセージのように、着物を着るってことのメッセージの意味を明確にしなければいけませんね。

「着物」が示すべき新たな持続可能性

宮田 そうですね。どうしても懐古趣味、または「文化的な圧を借りて人を威嚇する」みたいに見られがちです。服にはそれほど強い力がありますから。着物を着ることが、日本の中での新たなサステナビリティーを示す表現も発信すべきです。
着物も祭りもコアなトラディショナル層だけでは衰退する文化になってしまいます。石川さんがおっしゃったように、ライト層やエッジが利いたイノベーター層を含めた文化的にも複層的な三角コミュニティーをつくっていく必要があります。
石川 ワイン業界では、カリフォルニアの新興産地が生まれ、新陳代謝が上手くまわっています。日本でも過去、漢詩(唐歌)が主流だったとき、和歌(やまとうた)が出てきて、その和歌が技巧を凝らすようになったので、ライバルとして俳諧(俳句)が出てきてという流れがあります。
佐渡島 着物にいまライバルがいないことが本質的な問題でしょうね。だからこそ勝ちきれないんだと思います。ビジネスとして一地域のニッチな市場では現在でも成り立つけど、東京やグローバルでは難しいという状況でしょうか。新幹線に乗る際に身に着けるものとして、浴衣も着物も現在では微妙ですよね。

ブレークスルーのチャンス

石川 ヨガウェアの「ルルレモン」を着ていると、少し前まで飛行機に乗る際、止められたそうです。みながスーツを着ていた時代もありますし、Tシャツにしてもそうです。
1950年代「欲望という名の電車」という映画から始まって、70年代にようやくTシャツを着て外出するのが一般的になりました。人の価値観の変化には時間がかかりますから。
宮田 コロナは良くも悪くもブレークスルーの契機です。マスクもそうですよね。屋内でも着用必須になっているように、ドレスコードの劇的な変化を迎えているなか、着物が新たな社会のなかで上手に提案できれば、新たなきっかけの一つになるかもしれません。
松山 社会的な認知を得るかは別ですが、フィジカルなことだけを考えると、洋服より作務衣(さむえ)のほうが圧倒的に楽なことを考えると、そのあたりが着物にとっての課題解決の端緒になるかもしれません。
※明日に続く
(構成:佐藤寛之、写真:塙新平)
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