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「体調が悪いので休みます」

 安倍晋三首相が辞任することになった。体調に問題があるとの理由だそうで、色々思うところはあるが、前回の政権を覚えている人ならば「またか」との感想を抱かないのはちょっと難しいのではあるまいか。前回は衆院選で大敗し、引責辞任するのかと思いきや一ヶ月も間を置いてから唐突な辞任を表明したという妙な経緯があり、しかしそれはいつのまにか「持病の悪化にて」ということになっていた。なんだか騙されたような気分になるが、今や当人の中でもそのようなことになっているようだ。

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 ただし今回は、最初から体調不良によって総理大臣を辞任することになっと明らかにしているようである。なにしろ「病気が理由で正しい政治判断できない」というのだからただごとではあるまい。ヘエそれは大変だと思う向きもあろうし、そんなことで大役を投げ出すなよと考える向きもあろうが、他人からは判断のしようがない。なにしろ「健康問題」という極めて個人的な事情を真正面に掲げられてしまった以上、本当のところは当人にしかわからないからだ。どのような診断書があろうが検査結果があろうが、結局の所判断するのは当人である。
 だから本件について筆者が言えることは、「宰相が自分の健康問題を公表し、そしてそれを公務に堪えないという判断材料にした」、その点に尽きる(※1)。

 思うに、公人が進退を明らかにする理由は公的なものと私的なものに大別できる。公的理由は、政局を運営する立場にあればこそさまざまに思い浮かぶもので、例えば政策の失敗や選挙の敗北を理由に引責辞任をすることはしばしばあろう。むろんそこに至るまでのさまざまな政治的力学だの党内情勢などがあるにせよ、最終的に公にされる理由はそういったあたりに集約される。
 一方で、私的な理由での進退判断とは、考えてみればあまり思い浮かばない。まず思い浮かぶのはスキャンダルのたぐいで、贈収賄だの男女関係だので世間的に申し開きができないとか、刑事罰を受けたとか、いずれ明らかに当人に問題があった場合となろう。
 では、健康問題はどうか。これが少々ややこしい。個人的事情の極みみたいなものでありつつも不可抗力的であり、なにしろ客観的な判断もしにくい。つまり、健康問題とは「本意ではないのですが不運ゆえに……」のようなニュアンスが含まれることになろうし、聞く側にも「それならまあしょうがない、体調が悪いのだからね」という暗黙の了解が成立する。親の葬式でさえ言うをためらうような、個人的な理由を公的な場に持ち出しにくい本邦においては数少ない、他人が手を出せない個人的な聖域なのである。
 そして、そのようなものである健康問題を、本邦における総理大臣が二度にわたって辞任の理由付けに用いた。このことは、なかなか示唆に富んでいるのではないかと筆者は考えている。

 実のところ、安倍晋三という人物が本当に何らかの病状を伴っていてそれが公務に耐えぬほどに悪化しているのか、そういうフィジカルな部分の詮索は意味がないことだ。疾患である以上は診断書も出ようし検査結果も医師の判断も出てこようが、それを以て公務に耐えぬのかどうかと判断するのは他人ではない。ただ一人、安倍晋三という当人のみである。
 人間とは「たかが」歯痛や頭痛でさえ人生に絶望する理由になるほどの弱い生き物である一方で、重病や難病を隠し通して見事な仕事を遂げる強い生き物でもある。これはどちらが良いというものでもない。辛さとは当人にしかわかり得ない要素だし、そもそも人類とはそのていどの矛盾などたやすく併せ呑むものだ。
 だからこれも繰り返しになるが、ここにおける対外的な問題とはただ一つ、当人がそのことを公にするか、そして判断材料とするか、その点に尽きるのである。

 安倍晋三という人物は、「健康問題によって(※2)」第一次内閣を一年で終わらせてから、返り咲いてからはとにかく長く政権を維持していた。党の総裁は二期に限るという党の内規を変更してまで三期目の政権を率いて、そのさなかで「健康問題により」それを終えた。どんな政権であれこれほどの長きにわたれば、良い点もあれば悪い点もあるだろう。進退のきっかけにする出来事もあっただろうし、理由付けもできただろう。
 そうではあったが、安倍晋三という人物はそれらの選択肢を採らなかった。自らの行ってきたことの結果に対して自らが判断するという選択をしなかったかわりに、またも健康問題という神様の投げたサイコロを職を辞する理由付けにした。自分のものでありながらもっとも自分の意思の及ばぬおのれが肉体を理由にして、自分の行ってきたことの責任を負うことを避けた。このことは、健康問題という不可知性や不可避性を考えるならば、率直に言って、どうにも主体性を欠いているように思われる。
 ここで「本当に体調が悪いのだから仕方ないじゃないか」という擁護は意味を持たないように思う。そもそも体調が悪いのかどうかは他人にはわからないうえ、その「悪さ」を判断材料にすることもまた当人の意思だからである。体調が悪かろうが仕事をするという判断もできるし、さほどの体調悪化でなくとも仕事を辞めると判断することだってできる。詰まるところそれは、当人の価値観と判断力の問題である。
 日本史上最長の政権を率いたことになる人物は、あまたある理由と判断材料の中からひとつ「体調が悪いので」という理由付けを自ら選び取り、それを以て日本史上最長の政権に終止符を打つ判断をした。今回の辞任劇を総括すれば、そういうことになる。

 ここで想像するのである。もしもここで安倍晋三の「体調が悪くなかった」のだとしたら、かれはどこまで政権を率いただろう。今の状況であれば、当分のあいだ自民公明以外の党が政権を取れるとも思えない。選挙もつつがなく、両院ともに安定多数を保ち、意のままにかれは政策を実行できたであろう。三期目の任期満了を以て首相の座を降りもせず、またも党規約を変更して四期五期とその政権を延長することだって可能だっただろうが、かれはそうしただろうか。あるいはなにか政治的な失敗を認めて自ら辞める判断をしただろうか。そのような主体的な判断ではなく、またも、「体調が悪いことによって」その進退を決めただろうか。
 どうにもわからない。


※1 ただし筆者は、「公的立場にある人間が具体的な疾患名を挙げて公務に耐えぬとする理由付けにした」ことは大変に問題があることであり、従来から強く批判してきた。これは、当該の疾患が「時と場合によっては任に堪えないほど急激に増悪するものである」という判断を公人が公的立場から示すものだからであり、当該の疾患に大変な偏見をもたらす恐れがあると考えている。しかも二度にわたりこのことを辞任理由にしたことについては筆者は率直に言って耐えがたいほどの憤りを覚えてもいるのだが、本稿ではそのことは考察しない。
(追記)このことはやはり杞憂ではなかったようで、安倍晋三がの首相辞任によって、当該疾患に対する偏見や仕事上の支障が生じた例などが報じられていた。当然そう言うことは起こりえるだろうと思う。
「首相相辞任で失った仕事 潰瘍性大腸炎患者が憂うコロナ後」
https://www.asahi.com/articles/ASN9354CHN93ULBJ007.html

※2 上述のように、第一次安倍政権における当初の辞任理由は健康問題ではなかったような気がするのだが。


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