2020/9/17

【0→2400億円】東レは「炭素繊維」世界シェアNo.1をどう築いたか

NewsPicks Brand Design Senior Editor
より軽く、より頑丈な素材を目指して──。

炭素繊維は、東レが50年以上にわたって研究・技術開発・市場開拓を進めてきた素材だ。鉄の10倍の強さと1/4の軽さを持ち、飛行機・自動車・自転車・釣り竿に至るまで、様々な製品に使われている。

まさにゼロから市場を作り上げ、売上高2400億円規模の事業へと成長。今では翼や胴体にまで炭素繊維が採用された、通称「黒い飛行機」が空を飛ぶまでに用途が拡大し、世界シェアNo.1を誇っている

東レはどのようにして、市場さえなかった炭素繊維を実用化し、事業化への道筋を立てることができたのか? 同社の炭素繊維技術開発の最前線を見つめてきた北野彰彦氏から「黒い飛行機」の誕生秘話、そして炭素繊維の未来を聞いた。

なぜ、東レは炭素繊維に目をつけ、研究継続できたのか

──北野さんが東レに入社された当時、炭素繊維の開発はどんな局面を迎えていましたか?
 まず、炭素繊維のお話をさせていただきます。
 炭素繊維という素材はトーマス・エジソンらが発明した電球のフィラメント(発光する部分)に、焼いた竹を使ったことで誕生した材料です。
 そこから、1961年に炭素繊維研究者である進藤昭男博士がアクリル糸を使った炭素繊維を発表したことで、より軽量かつ強度も弾性率も優れた材料に進化しました。
 そのポテンシャルの高さには東レも注目しており、1950年代後半からコツコツと基礎研究をしていました。
 そして私が入社した85年は、自社製品の炭素繊維製品「トレカ®T300」の発売から15年ほど経っていて、より高強度の炭素繊維を作ることが最重要課題になっていました。
 既にゴルフシャフトや釣り竿として使われていたものの、東レは研究開始当初から飛行機に炭素繊維が採用されることを、本命と睨んでいました。
 飛行機メーカーは、1973年の第一次オイルショックを受けて、機体の軽量化とエネルギー効率化を目指し、新たな材料を探していたからです。
 これまで機体における炭素繊維は、飛行機の方向舵など「二次構造材」には採用されていたのですが、主翼や胴体など大きな荷重を負担する「一次構造材」には採用されていませんでした。
──大きな課題があったとはいえ、当時からゴルフや釣り竿、飛行機の二次構造材にいたるまで、東レは炭素繊維の市場をリードしていたんですね。
 そもそも、炭素繊維は有機繊維であるアクリル繊維を高温で熱処理して、炭素以外の元素を切り離すことで作るのですが、東レはその出発原料であるアクリル繊維を自社生産できました。
 ナイロンやポリエステルは、欧米の他社からライセンス供与を受けるのですが、アクリル繊維は1959年から自前で生産しています。つまり、原料の設計と製造のオリジナリティーが高いということです。
 料理も同じだと思いますが、炭素繊維の性能も原料(アクリル繊維)が大事です。たとえ火加減や手順が他と同じだったとしても、素材を熟知しているか否かで最終的な仕上がりが変わります。
──出発原料を作るノウハウがあったからこそ、炭素繊維の研究・技術開発でリードできた、ということでしょうか?
 それだけではありません。実は炭素繊維は単独の素材ではなく、「樹脂」などと組み合わせた炭素繊維複合材料となることで、初めて工業的に役立つものになります。
 たとえば髪の毛やロープと同様に、繊維は引っ張る力に対しては強いものの、圧縮すると簡単にグニャッと曲がって力を逃がしてしまいます。
 つまり、繊維だけでは、重いものをぶら下げることはできても下から支えることができないのです。
 そこで大切になるのが「樹脂」。どんな樹脂をどのような塩梅で合わせれば、炭素繊維単独よりも圧縮強度を上げることができるのか。より強度の高い炭素繊維複合材料の作り方を見つけ出すことが、我々の課題のひとつでした。
 実は、それを見越していたように「トレカ®T300」の量産を開始した71年には、炭素繊維複合材料のポテンシャルを探る「複合材料研究室」を、当時の中央研究所内に設置しています。
 複合材料研究室では、どんな樹脂を組み合わせてどんな工法で仕上げれば、求めている炭素繊維複合材料が作れるのかを検証してきました。
 炭素繊維に樹脂を混ぜるとどうなるのか。あるいはどう混ぜるのか。混ぜるのではなく塗るのか、それとも浸すのか……。そういうプロセスを、ひたすら繰り返し研究してきました。
 加えて、どんなに良い材料だとしても、最終製品に使えるようにするには設計技術がなければ実用化できません。
 最終製品に求められる用途によっては、複合材料にすべて同じ繊維を入れる必要はありません。強い繊維や伸びる繊維をストライプで入れてもいいし、2本おきに入れてもいい。組み合わせは無限です。
 ただ、炭素繊維複合材料は、文字どおりとても複雑で扱いにくい材料なので、設計や成形加工に挑戦するプレイヤーが少ない。だから我々がその役割も担ったのです。
 東レはより強靭な炭素繊維複合材料を開発する一方で、エンジニアリング部隊が用途に合わせてお客様に「どう使いこなすか」を提案する。言うなれば「テーラーメイド」のものづくりですね。
 出発素材の開発ノウハウ、より強度の高い複合材料の研究、そして最終製品を考慮したうえでの用途検証や成形加工技術まで、リングのようにつながったものづくりのサイクルを見通す。
 それが、この事業をリードできた理由だと思います。

メーカーとの共同開発。長い道のりを完走するための心構え

──その結果、飛行機の尾翼や床下材など、重要な箇所を担う「一次構造材」への採用につながったのでしょうか。
 技術はもちろん重要です。しかし、それだけではなくポイントは「信頼」だと考えています。たとえば、我々が炭素繊維複合材料を共同開発したボーイング社には、私たちが保有する技術開発の手の内を見せています。
──他社に手の内を見せるとなると、それなりにリスクも伴いますよね。
 そのとおりです。しかし、何かを隠した状態で飛行機を世に出して、万が一トラブルがあったら、それこそ大変なことになります。
 すべてにおいて「こうなるから、こうしているんだ」という原理原則を明らかにして、相手に示すことで信頼を勝ち取っていく。
 作っては壊して、壊しては作ることを現場で繰り返す。そうすることで、炭素繊維複合材料にまつわるデータを積み上げていき、使っても99.9%大丈夫というところまで追求する。
 その結果、ボーイング社の飛行機の材料に採用されることになりました。
 さらに、材料認定以外にも我々は独自で数万回にもなる長期耐久試験を行っています。
 たとえば、飛行機に負荷をかける耐環境試験。高度1万2000mの上空にいる飛行機の室外温度は、マイナス55℃にもなります。そこから5分以内に着陸すると、その温度差は80〜100℃くらいになる。
 いわゆるサーマルスパイクという耐熱試験ですが、そういったことを数万サイクル繰り返す。もう、それはすごい試験で、評価する装置が故障してしまうほどでした。
 あとは、タイムリーな対応ができるように、アメリカのボーイング社のすぐそばにR&D(研究・技術開発)センターを設立しました。いかにも日本人らしいのですが、正直さに加えて、スピーディな対応もするという意思の表れです。
 材料提供者としては、それくらい責任を持つべきですし、我々も夜は安心してぐっすり眠りたいですから(笑)。
 このように、顧客に対して妥協しない姿勢が認められ、信頼を勝ち取れたのだと思います。ボーイング社とは、この数年、連携開発をますます強化しており、その関係は今も全く変わっていません。
──70年代から炭素繊維が採用されている釣り竿なども、メーカーと二人三脚で作り上げたのでしょうか?
 釣り竿は、当時主流だったガラス繊維強化材のガラス繊維を、炭素繊維に変えるだけで劇的に軽量化できたため、メーカー側に炭素繊維の魅力を訴求しやすかったと思います。
 とはいえ「軽くなりますよ」と言うだけでは、当然信頼は得られません。釣り竿に使われる材料設計や成形加工技術を研究する部隊にリソースを注ぎこみ、お客様がものづくりのイメージができるような材料を揃える。
 信頼とは、メーカーが製品を作るにあたっての理論的な裏付けを示すことで生まれるものです。何でもメーカーの要望ばかり聞く「イエスマン」になることが求められているわけではありません。
 「イエスマン」ばかりだと、信用ならないですからね(笑)。

0から1、1から100へ。領域横断の秘訣

──クイックレスポンスは大企業の苦手分野だと言われますが、東レがスピーディな研究・技術開発を実現できるのは何か秘訣があるのでしょうか?
 多面的な技術開発を行っていて、技術の融合による新技術が生まれやすいことも東レの強みのひとつです。
 何か問題が起きたら、複合材料研究所だけでなく、繊維研究所やエンジニアリング開発センターなど、当社のすべての研究・技術開発機能を集約した「技術センター」でチームを作り、問題解決に取り組める。
 この技術センターが言わば“駆け込み寺”のようになって、各事業分野の幅広い知識を取り込みながら新しいソリューションを生み出し、顧客満足度を上げることに役立ったのだと思います。
 これはひとえに「これから異分野の技術や知識の融合なくして、新しい価値は創造できない」と常々話す、阿部晃一CTOによる横断型の組織づくりのおかげですね。
 新技術を生み出す「0から1へ」の部分は一人の研究者に任せられますが、その後スピーディに仕上げていく局面では組織の総合力が非常に大事です。
 コロナ禍において物理的に会えなかったとしても、いかにコミュニケーションの質と量を保つか。そこは研究・技術開発にとって重要な課題だと考えています。
──北野さんも、まだ用途が見つかっていないような素材の先行研究を手がけているのでしょうか?
 時代の先を読みながら、アングラ研究(勤務時間のうち20%を「上司に報告しなくていい研究」に費やせる制度)のようなこともやっていますね。お客様の要望を聞いて、それをそのまま作っているだけでは、技術のイノベーションは生まれません。
 だから15年後、あるいはもっと先の未来を見据えて、出口のない研究にいそしんでいる。研究所での20%を「夢を見る」ことに使っているんです(笑)。
 ──北野さんの夢は何ですか?
 至極個人的な夢ですが、炭素繊維複合材料を使った空飛ぶ自動車と宇宙エレベーターを実現してみたいですね(笑)。
 子供の夢みたいな話ですが、研究・技術開発にはクレイジーなことを言う人間も必要です。炭素繊維と同様「できんこと言うな!」から始まり、他の分野のために作られたものが、結果的に複数の事業に貢献するのですから。
 とはいえ、炭素繊維の歴史を見ても分かるとおり、こういった研究には大変時間がかかります。ですので直近の私の使命は、炭素繊維で今の社会を支えることだと考えています。
 特に、現在のコロナ禍において、航空機産業は苦境に陥っています。しかし、人や物資の移動は産業の基盤活動ですので、今後も飛行機が世界にとって不可欠なモビリティであることは変わりません。
 そうであれば、航空機産業を支える炭素繊維複合材料にも更なる技術革新が求められるはずですし、一人の研究者として、それを支えていきたいですね。