【塩野誠】日本はどの未来を選ぶのか#6/6

2020/10/9
「テクノロジーを知らずして、未来を語ることはできない」とよく言われる。しかし、現代は、国際政治への理解なくして未来を語れない時代となった。

ファーウェイやTikTokが米国から追放され「米中新冷戦」とも呼ばれる状況の中、日本はどう振舞うのか。GAFAは政府のように公共性を担う存在になりえるのか。SNSで投票を操作できる世界で、民主主義は成立するのか。

様々な論点を一つの物語として描き出す新刊『デジタルテクノロジーと国際政治の力学』(塩野誠著)の各章冒頭部分を、お届けする。
相対的に向上する日本の地位
「世界はあっという間に変わってしまった」
2020年春、新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界中の人々が他人との接触や物理的な移動を制限されることとなった。外出できない人々がオンラインの世界で生きることは日常となった。
おそらく2020年に生まれた人にとってはオンラインとオフラインの区別さえも意味が無く、オンラインでのコミュニケーションが存在しなかった時代など想像もつかないことだろう。2020年に生まれた子供たちが大人になる頃にはデジタルテクノロジーを巡る覇権争いには決着がついているのだろうか。その未来にある国際秩序はどんなものだろうか。そしてこれからの日本はどうすべきだろうか?
結論から言えば、テクノロジーと安全保障分野で米中が対立するなか、各国が求めるテクノロジーのオプションとして、日本の地位が相対的に向上すると私は考える。また、テクノロジーと個人の自由、権利が対立し民主主義が後退する時代に、日本がテクノロジーと民主主義のバランスにおいて「うまくやる」モデルケースとなり、多極化し分断した世界で、平和的協調に向けてのリーダーシップを取る機会と能力があることをお伝えしたい。
本書ではデジタルテクノロジーを巡る各アクターの動きをいくつかのアングルから見てきた。競争政策にしても通貨にしても、国か、企業か、個人か、どこから誰が見るかで風景は異なってくる。デジタルテクノロジーのこれまでの物語を踏まえて、最終章では日本が今、進むべき道を私見をもとに考えてみたい。
衰退する米国と秩序なき世界
デジタルテクノロジーの中心にあるインターネットの発展は、コスモポリタニズム(世界市民主義)と共に歩むかに見えた。国境を越えて人々が連帯し、国民国家を越えた民主的コミュニティが生まれる未来は実現可能かのように思われた。米国が生んだソーシャルメディアは「アラブの春」を各国にもたらすかに見えたこともあった。しかしながら、今、目の前にあるのはむしろ強化されたナショナリズムであり、分断されたコミュニティである。世界各国が同時に直面した新型コロナウイルスという稀有な危機においても、デジタルテクノロジーが国際協調や国境を越えた人々の連帯に寄与したとは言えないだろう。
日本を取り巻く国際関係に目を向ければ、自由と民主主義を標榜し、かつては国際秩序のリーダーを自任した米国は見る影もなく、コロナ禍において自国内の危機管理もままならない。今の米国には、他国を助け国際公共財を提供するパワーはすでに無いように見える。これはある意味で米国が望んだことでもある。2017年12月の米国国家安全保障会議におけるトランプ大統領の声明には米国の利益を優先する文言だけが並び、そこに国際秩序と公共財を守る意思はすでに存在しなかった。
元オーストラリア首相で中国語も話すケビン・ラッドはコロナ禍における米国の姿について、フォーリン・アフェアーズ誌への寄稿文で、「アメリカ・ファースト」は「自国の世話さえ十分にできないのだから、真にグローバルな危機でアメリカの助けは当てにしないでほしい」というメッセージであると語っている。当のオーストラリアは、ファーウェイ排除を進める一方で、羊毛の全生産量の80%が中国に輸出されている現状もあり、米中関係を見据えた政治的バランスが難しい局面を迎えている。
一方で中国は、これからの国際秩序を中国が導くべきだと考えている。習近平国家主席が「中華民族の復興という『中国の夢』の実現に取り組み、(中略)『中国の夢』とは『アメリカン・ドリーム』を含む世界各国の国民の夢と相通じる」と述べているが、米国や欧州各国がその夢に賛同しているとは言えない。それでも中国政府はコロナ禍を奇貨として危機における世界のリーダーとして自らを位置付け、「中国ならではの強さ、効率、スピードは広く称賛されてきた」としている。コロナ禍でも見せた中国のデジタルテクノロジーの進化は止まることがないだろう。
経済的利益のために中国との良好な関係を優先してきた欧州各国であっても、国際秩序において米国が担ってきた役割を中国が代替することに容易にイエスとは言えないだろう。中国の国際社会における振る舞いが別次元に入ったことを欧米諸国に認識させたのは、2020年7月1日に施行された「香港国家安全維持法」である。6章66条からなる同法の施行により、香港の一国二制度は実質的に終わりを告げ、自由と資本主義によってアジアの金融センターとなってきた香港は歴史的な転換を迎えた。同法の目的は国家安全に危害をなす者を取り締まることであり、最高刑は終身刑となっている。警察による通信の傍受や秘密裏の監視も可能となった。同法には香港非居住者でも同法に違反したとみなされる条文があり、諸外国もリスクに身構える。2020年7月6日、同法の施行を受け、グーグル、フェイスブック、ツイッターは香港政府へのユーザデータの提供を一時的に停止することを発表した。同法第43条4項によれば、サービスプロバイダーは政府の求めに応じてデータを提供する義務がある。グーグルらの動きは、米国政府ではなくテクノロジー企業が香港の法制度に公に対抗意見を表明した珍しいものであった。
一方でパンデミックにより発展途上国や中小国の経済危機が深まれば、より一層経済的に中国に依存する国々も出てくるだろう。新型コロナウイルスは世界のパワーシフトを加速した。また、米国の空母内で集団感染が起こり活動が制限されるなど、安全保障上のパワーの真空をつくり出した。真空ができれば、当然にそこを埋めようとするパワーが現れる。
日本と米国は同盟関係にあり、1960年に日米安全保障条約が発効されて以来、2020年で60年となる。この日米関係が一朝一夕に変わることはないだろう。米国政治研究者の久保文明東京大学教授は2020年6月25日の日本経済新聞のインタビューに対し、「安保政策では政治体制や価値観を共有する同盟国の米国を優先的に考えるべきだ。経済面で中国と対立する必要はないものの、安保に関わる経済関係は一定程度のデカップリング(切り離し)の方向になるのはやむをえない」と述べている。
日本にとって中国は地理的にまさに隣国であり、地政学的なこの条件は変更できるものではない(本書に多く登場したロシアも同様に日本の隣国である)。また、日本の産業界は米国と中国の両国に生産拠点及び販売市場を大きく依存しており、いかに米中両国の経済・テクノロジー摩擦が大きくなろうとも、日本が一方から完全に脱却することは現実的に難しい。また日本企業のマネジメント層がそのようなドラスティックな経営判断をすることは、社内コンセンサス醸成に要する時間の長さと難易度を考えるとほぼ不可能である。
※全文公開期間は終了しました
*塩野誠氏は、株式会社ニューズピックスの社外取締役です。