2020/9/15
ユニクロの歴史とは、すなわち柳井正の歴史である。
父親が経営していた紳士服店をグローバル企業に成長させ、会長兼社長としてアパレル世界一まであと一歩のところまで牽引してきた。
しかし、これまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。むしろ、自ら「一勝九敗」と評するほど、柳井とユニクロの挑戦は失敗の連続だった。
「プー太郎」だった学生時代、仲間の離反、海外進出、値上げ、ブラック企業批判、後継者育成……。数多くの壁にぶち当たった柳井は、失敗から学ぶことで力強く成長してきたのだ。
柳井とユニクロの「失敗の歴史」には、ビジネスパーソンが学ぶべき成功の哲学が隠れている。柳井の言葉とともに、ユニクロの歴史を振り返っていこう。
「学生時代はプー太郎でした。いわゆる“ヒッピー”の状態だったんです」
1949年、柳井正は山口県の宇部市で生まれた。柳井といえば、いつも険しい表情で危機感をあおる、ストイックなイメージが強い。
しかし青年時代の柳井は、現在の厳格な経営者像からは想像がつかないほど怠けた生活を送っていた。
早稲田大学に入学するも麻雀やパチンコに明け暮れ、大学にはほとんど行っていない。自身も認める「プー太郎」だった。
卒業後も定職には就かず、アメリカ放浪などを経てジャスコ(現イオン)に就職。ところがここでも長続きせず、たった10カ月で退職している。
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コメント
注目のコメント
経営者の中でもとりわけストイックで、周囲に対して厳しいという話ばかりを聞く柳井さんですが、青年時代はプー太郎だという事実を知って、なんだか安心しました。
時には政治批判をするなど踏み込んだ発言もありますが、そうした姿勢も全ては「人は努力すれば変われる」という自身の経験からきているのかもしれません。
では、どのようにして変わってきたのか。プー太郎だった柳井さんが数々の失敗を超えて自信をつけてきた半生を、可愛いイラストと共にお届けします。おもしろい記事でした。キーワードは「ストイック」ですが、私の印象は少し違います。
柳井さんの人物像を象徴するエピソードは「夜の会食はしない」ということだと思います。夕方になると、さっさと家に帰って、読書や音楽を楽しむ。財界活動にも関心がないので、会食の必要がない。趣味のひとつはゴルフで、ホールインワン経験のある腕前です。松濤のご自宅には、ゴルフレンジが備え付けてあります(空撮で確認できます)。
オンとオフの切り替えができている。好きなことはとことん極める。まわりに影響されない。確固たるディシプリンがある。そんな印象をもっています。
そして最大の功績は多額の納税です。経営学者の楠木建さんは、企業の社会貢献は納税に尽きるとおっしゃっています。柳井さんは不可解なスキームでの節税を選びません。その一点から清々しいと感じます。
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