リモートワークの本質は公私混合の時代

リモートワークが当たり前になって何が変わったかを考えてみる。
一見働き方の変化に見えるが実はそうではない。プライベートと仕事の境界がなくなってしまうという大変なイノベーションである。

1.リモートワークで変わった日常

まずはリモートワークのよい面を見てみよう。
まずよく聞く話が、「会社に行かなくても仕事が出来ることが分かった」という声。私自身も大学に行かなくても講義やゼミは何とかこなせることが分かった。もちろん、対面と同じレベルというわけにはいかないが何とかなると言うレベル。一方で、企業相手のミーティングやと取締役会は移動時間のロスを考えるとリモートワークの方がはるかに効率がよいと言うことが分かった。これは今後も続くと感じている。
また、比較的若い層から聞く話として、会社の中で仕事をやっている人とやっていない人が浮き彫りになった。とりわけ中間か離職(課長、部長クラス)で、管理することが仕事と思っている人は、リモートワークで立ち位置が消えてしまっているという。面白い。ちなみにそういう管理職に限って、「仕事は対面に限る」とか、「その話を私は聞いていない」とか言うそうだ。

一方で、通勤電車にゆられる無駄な時間が省力できて、時間を有効活用できる。また無駄な体力を使う必要がない、苦痛を受けなくてすむという声ももちろん多く聞く。
家族と過ごす時間が増えたという話も聞く。さらには、奥さんに任せきりだった家事や料理を始めたという人も多いと聞く。

それではリモートワークのマイナス面を上げてみよう。
よく聞くのは、メンバーとの深いコミュニケーションが取れない。親しくない人や初対面で特に難しいという話だ。
私自身も対面では人々の顔色を観察したり、部屋の空気を読んだりしていたのが、オンラインでは少し難しい。特にミーティングやプロジェクトについて行けていない人や、心ここにあらずの人を見つけるのが難しいと感じている。これも人によってはオンラインでもオフラインと遜色なくコミュニケーションが取れるという人もいれば、オンライン空間でもオフラインと同じように相手を観察できるという人もいる。
しかし、今年4月に新入社員で入った人間にとっては、ほとんど知らない人だらけの中で仕事をする気持ち悪さはあるだろう。会社のカルチャーを理解するのにも時間がかかりそうだ。

マイナス面でさらによく聞くのが、自宅にリモートワークにふさわしい場所がないと言う話だ。たとえば、家に自分用の書斎がある人は圧倒的に少数派である。となると家の中のリビングや寝室を使ってのオンライン会議と言うことになる。背景が気になる人もいれば、子供が騒いでうるさいとか気が散るという話もある。相手側も気になるかも知れない。
さらに同じ家の中にオンラインワークをする人間が二人以上いるとさらに環境は悪化する。妻と夫がオンライン会議が可能なリビングを取り合うとか、交代で使うという話もよく聞けば、家族に会議の話を聞かれないようにヘッドセットやイヤホンでやり続けると頭が痛くなるという話すら聞く。

2.リモートワークにふさわしくない日本の住宅事情

ここからが本題である。
要するに日本の住宅というのは家で仕事をすることをまったく想定しない造りとなっているのだ。
別の言い方をすれば、仕事をするのは会社、家では仕事をやらないという前提で住宅が出来ている。
したがって、基本は「仕事は会社でやる」。アフターファイブに仕事をする場合はオフィスで残業し、週末に仕事をする場合は休日出勤する。それが嫌で家で仕事をやるときはリビングのテーブルを使ったり、寝室を使って窮屈なスペースでも我慢してやるのが当たり前となる。それがこれまでの常識だ

以前暮らしたことのあるオーストラリアでは、都心のオフィスまで車で30分程度の場ションに庭付きテニスコート付きの戸建てに住んでいる友人がいた。プールもある。それが今の物価で言えば、2000万円くらいで買える。もちろん今はそんな大きな家は安い価格では手に入らないが、日本に比べればはるかに恵まれた住環境だ。
また別のアメリカの友人宅には本人の書斎はもちろんのこと、独立した子供部屋とは別に任天堂ルームというゲーム専用の部屋すら合った。広い敷地と大きな建物があるが故に可能な設計だ。
どちらも自宅でのオンラインワークは問題なく可能だ。完璧なプライバシーを守れる部屋が複数あるからだ。どちらも恵まれた家庭だが、オーストラリアもアメリカも人口の割に広大な土地があり日本に比べれば、一般的に広い家に住んでいることは間違いない。

翻って、日本におけるオフィスと自宅の関係を図にするとこんな風である。
そもそも、オフィスは仕事をする場所であり、自宅はプライベートな空間。

図1


ところがコロナでこの図がどう変わったかと言えば、自宅の大きさは変わらないのに、無理やり家で仕事をやるようになった。結果として、プライベートな空間は仕事に侵蝕されるし、一方で仕事をする環境としては欠点だらけという構図になってしまった。
そこで起きている悲劇は前述の通りである。絵にすればこうなる。

図2


リモートワークの結果、企業にとってオフィススペースが少なくなって経費が浮いたとか、より小さなスペースのビルに引っ越すという話を聞くが、その考えは勘違いの上に成り立っている。要するに仕事をするためのスペースがオフィスから自宅に移ったのにそれを個人の犠牲の上に成り立たせようとしているだけだ。

3.オフィスと自宅のあるべき姿

したがって本来あるべき姿は次の絵のようになるはずだ。

図3

本来快適なワークスペースを会社という場所を使って提供していたのを、個人個人の自宅に押しつけるわけだから、企業はその分の追加コストを負担すべきなのだ。
具体的にはワーク用の一部屋を余分にもてるような住宅手当、イメージで言えば月5万円程度は補助すべきだ。夫婦二人で働いていれば、それぞれの企業から5万円ずつもらって、2部屋余分にある住居に引っ越せるようにする。加えて、そこで必要なオフィス家具代あるいは通信費・エアコン代などは当然会社持ちにすべきだ。

自宅で働ける環境を提供出来ない企業は、優秀な社員を集められない。あるいは人気がなくなる。昔であれば福利厚生が充実した会社に人気があったが、これからの時代は自宅におけるワークスペースの提供を出来る企業、サポートできる企業が支持される。

4.公私混合の時代

少し、思考を先に進めてみよう。
私見ではあるが、究極的には仕事場と自宅という定義が消滅する。
今の述べてきた考え方は、仕事とプライベートは別物で、一時的に自宅というプライベートスペースを仕事場として使うニーズが生まれてきている。したがって、自宅の中にワークスペースをきちんと確保してやるのが企業の役割だという話だ。

自宅という同じ場所を仕事にもプライベートにも使うと言うことは、これまでと同じ概念であり、企業か個人あるいはその両方がよほど上手に管理しないと個人にとって、自宅はストレスの原因であり続ける。
そこで発想を変えて、人々が快適に暮らす場所として自宅を再定義し、その中でプライベートも仕事もこなしていく。必要なときにはオフィスに行くこともあれば、街のカフェやコーワーキングスペースで仕事をする。
各個人が好きなことを疲れずにかつ効果的にやり続けるために生活空間・時間・リズムを工夫して、好きなことが最大限に楽しめるようにする。その際に、人によって快適さの定義が変わってくる。家で家族に絡まれながら、仕事をやる方が幸せな人もいれば、家に書斎があるのに街のカフェでPCを持ち込み仕事をするのが好きな人もいる。

以前は公私混同はよくないとされていた。家は私ごとの場所で会社は仕事をするための公的な場、したがって両者を混同するのはよくないということだ。
両者には明確な境界線があり、それを越境すると様々な問題が生じた。会社で私的なことをやると公私混同と言われたり、極端な場合は業務規定違反に問われる。一方で、家で仕事をやると、仕事を家に仕事を持ち込まないで欲しいと疎まれ、家族からのクレームになった。
しかし時代は変わった、仕事は自分が好きな場所ですればよい。それがオフィスでもよいし、自宅でもよければ、外の別の場所でもよい。要するにプライベートを軸足に、仕事をする場所を決めればよい。日によって変わってもよいし、仕事の性格で変わってもよい。仕事の評価は働く場所や働き方でされるのではなく、アウトプットでされる。
公私をどのように組み合わせるのか、あるいは自宅でいかに快適に仕事をするのかは個人の裁量に委ねられる。
いわば公私混合の時代が到来する。

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