性差別をなくすためには、男の子の育て方こそが大切だ。弁護士・太田啓子さんが『これからの男の子たちへ』と題した本を書いた理由
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「男も女も同じだ、性別はなくしてゆこう」という方向性では、女性は男性がキャッキャウフフと家事育児に積極的になって、女性の労働戦士としての活躍を素直に褒めてくれる「執事」になってくれると思っているだろうが、恐らく、現実には男は女性へのアプローチをやめ「自分の生活のみにしか興味を持たない」シングル・ライフを選択する人が増えるだけだと思う。無給で「執事」をやりたがる奇特な男は女性の予想より随分少ないと思う。
性の違いは、生物が進化の過程で、獲得した多様性だ。
一方で、多様性、文化を、いいながら、性差、あるいは、それに基づく伝統的な文化まで否定してどうする
もちろん、仕事では、できる限り同じ評価だし、個性の差は、性差を超えるべきだと思うが。
最近、経営学も教育もイノベーションも標準化、ISO化が進み、そのうち、文化までISO化され、家庭の子育てまで、ISO化される、
この流れは、ナチスと同じ方向性だ。ージェンダー以外のアイデンティティーによって弱い立場に置かれている人は存在する。けれど、現前する性差別を、強い言葉で「そんなものはない」と否定できてしまう人の多くには、共通する特徴がある。それは「知ろうとする気がない」ことだ。
まず、ジェンダーを考える基本姿勢として「性差別」と「ジェンダー以外のアイデンティティ」は明確に区別したほうが良いと感じました。
以下は記事を読んで思い出した個人的な体験です。
小学校の頃プールの着替えは男子だけ体育館の通路でした。僕自身、それがすごく嫌で、何でこんなに粗雑な待遇を受けないといけないんだと小学生ながら思ってました。
「男なら気にするな」と世間からは言われそうですが、個人的には一人の人間として軽視されていると感じるので納得はできませんでした。
仮にこの本を読み、子どもを育てる人たちがジェンダーについて深く考えることができれば、「着替えが通路とはどういう事だ」と学校側に直訴することだってあり得なくはないと思います。
子どもたちが正しくジェンダーについて考え、まだ古い考えの人たちに「その考え、時代遅れですよ」なんてガツンと言える社会が来て欲しいです。