(写真:Shutterstock)
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 不思議なものでかれこれ20年近く、現場の声に耳を傾けたり、社会問題に関するコラムを書き続けたりしていると、時代の空気の変化を敏感に感じとることができる。

 そんな私が思うのは、今、私たちは「働き方」「働かせ方」の大きな転換期にいるということ(これは誰もが感じていることでしょう)。そして、この変化は、今、私たちが考えている以上に大きなプラスと、想像もしていなかった果てしないマイナスをもたらすってこと。いかなる変化もプラス面は分かりやすく、マイナス面は分かりづらい。その正体は、具体的な出来事が起きて初めて分かるものだ。

「取り返しがつかない事態」を予見する難しさ

 少々、例えが悪いかもしれないけれど、戦後70年のときに行った戦争経験者たちのインタビューで、「気がついたら戦争になっていた」と多くの人たちが語っていたことを、最近思い出すことが多い。あるいは、産業革命の最中、工場から立ち上る黒い煙を見た科学者のスヴァンテ・アレニウスは、「この煙が私たちの生活に及ぼす悪影響に多くの人が気づいたときは、手遅れになる」と地球温暖化を憂いたことを思い浮かべる。

 つまり、それらと同じような“変化”がこの先に待ち受けているのではないか。妙な楽観主義はやめ、今から一つでも多く、予想されるリスクへの事前の対処を考える必要があるのではないか。などと、考えてしまうのだ。

 「おい! 何、大げさなこと言ってんだ!」と、叱られてしまうかもしれないけど、理屈じゃない。ただただそう感じるのだ。よほど私の“勘ピューター”が劣化していない限り、取り返しのつかない事態が近い未来に起きる気がして仕方がないのである。

 と、しょっぱなから、えらくグダグダした書きっぷりになってしまったが、実はそのマイナス面の輪郭の一部が少しだけ見えたので、今回、あれこれ考えてみようと思った次第である。

 テーマは……、「仕事への向き合い方」「危機対応」「会社であることの意義」……、ふむ、なんだろう。

 とにもかくにも、先週8月12日のテレビや新聞の報道を見ていて、おぼろげに見えた輪郭と、深まった憂いを、「書いておかなきゃ!」という衝動にえらく駆られている。皆さまも、ぜひ、一緒に考えてくださいませ。

 ご存じの方も多いかもしれないけど、8月6日、民間航空機の現在位置をリアルタイム表示するサービス、「Flightrader24」に表示されたある画像がTwitterに投稿された。

 「NRT tokyo →N/A」と書かれた画像に映っていたのは、尾翼にツルのマークが描かれたボーイング777の機体で、物議をかもしたのがその「便名」だった。

 「JL123」(JAL0123)。そう。昭和世代なら絶対に忘れることができない御巣鷹の尾根に墜落し、520人の命が奪われた航空業界最悪の事故。その事故機の「JAL123」)の便名が付けられた飛行機が、リアルタイムで飛んでいたのだ。

 この画像は瞬く間に拡散され、「これは一体何だ?」「123便は永久欠番でしょ?」「操作ミスか?」と話題になり、一万回以上リツイートされた。コメントの中には、「以前にも123便を見たことがある」というのも含まれていて、「幽霊では?」と書き込まれるほどだった。

 で、その後の報道で、飛行機が整備場などに向かうときに、実際のフライトと間違わないように任意の便名を付けることがあり、「JAL123」も“たまたま付けられた”ことが分かった。

便名は単なる「数字」ではない

 「整備作業上の理由で任意の便名を設定する必要があったため、0123という数字を使用した。今後は便名設定時のルールを作成するなど、再発防止を図ってまいります。お騒がせすることとなり、大変申し訳ありません」(JAL広報部)、ということだったらしい。

 これを受けて、再びSNSには、
「ってことは、事故を知らない人が増えてるってことでしょ?」
「この投稿で123便のこと知ったって人もいるくらいだから」
「知ってもらえてよかったね」
 などという投稿が相次ぎ、思わぬ形で“事故から35年”という歳月の長さを痛感させられることになった。

 中には「実際に運行してる飛行機と間違っちゃいけないなら、永久欠番の123をつけることは、ある意味安全なのでは?」という意見もあったが、航空業界で働いた経験を持つ一人として、コメントさせていただくと、便名は単なる数字ではない。

 例えば、ANAの「NH001」便は、ANAが長距離国際線として最初期に就航したワシントンDC線の初便に付けられた便名で、私は今でもその「数字」を忘れたことはない。ANAがいまだに「NH」という航空会社コードを使っているのも、ANAの前身が「日本ヘリコプター輸送」であることに由来している。

 私がANAに入社した当時、1週間伊豆山で新人研修があったのだが、「NH」の意味を死ぬほど教官にたたき込まれ、「ANA」という会社を作ってきた先人たちの歴史を教え込まれた。

 当時、私はANAという会社に前身があったことも知らず、NHというコードに「何でANAなのにNH?」という疑問を抱くこともない、ノーテンキな新人だった。なので、教官たちから耳にタコができるほど、美土路昌一氏(初代社長)や岡崎嘉平太氏(第2代社長)たちの「民間の航空会社が国際線の空を飛ぶ夢にかけた思い」を聞き、ANAがいかに厳しい状況に追い込まれても、経営陣たちが社員を大切にしてきたことにえらく感動した。

 と同時に、NH001便が就航するまでの苦労や、就航した後の機内サービスがいかに大変だったかを、ワシントンDCに飛ぶ度に先輩たちから繰り返し聞き、徐々に「ANAのCA」としての自覚が芽生えていったように記憶している。

 であるからして、たかが数字されど数字。「JAL123」という便名が“たまたま”付けられていたという事実に、得体の知れない怖さを感じてしまったのだ。

 実際、JAL123便の事故から35年もの歳月が過ぎ、事故の後にJALに入社した社員は全社員の96.5%を占める。事故後に生まれた社員も35%に達し、JALでは事故の教訓や空の安全の重要性を、社員にどう伝えていくかが課題となっているという。

 JALの社員でなくとも、1985年、8月12日18時56分の瞬間を経験していると、あのとき「自分が〇〇にいた」という記憶と結びついているので記憶の箱から決して消えることはない。35年という歳月も、「もう、35年なのか」と時間の早さに驚くほどだ。

安全とは何か、どこで育まれるのか

 だが、35年といえば、生まれた子供が結婚し、子供を持ち、次世代を残すほどの長い時間だ。
長い。とてつもなく長い。
35年前の経験の教訓を、どう伝えていくのか? は、本当に難しいことだと思う。

 そもそも「安全」とは何か? それを理解するには、前提として「なぜ、何のために、自分がここにいるのか?」という、仕事への信念=ミッションの獲得が必要不可欠である。

 そして、その信念は、実際の現場でしか育まれない。
先輩たちと接し、言葉を交わし、訓練を繰り返し、年月をかけて仕事を共にすることで、自分の内部におのずと育まれる。

 経験者から紡がれる言葉には絶対にまねできない「熱量」があり、その熱は同じ空間でフェイスtoフェイスのコミュニケーションでしか伝わらないものだ。

 生きた言葉には、その言葉以上の意味がある。生きた言葉を受け取った人の心を動かすパワーがある。そして、その生きた言葉を繰り返し聞くことで、自分の中に“仕事への確信”が生まれるのだ。

 私事で申し訳ないけど、私は御巣鷹の事故の3年後にANAに入社したが、たくさんの先輩たちから、123便のクルーが最後の最後まで、乗客の命を守ろうと必死だったと聞かされた。今振り返ると、おそらく先輩たちは「自分たちと同じように空を飛ぶ人」たちの信念を信じていたのだと思う。

 そして、実際に数年前に公開された、JAL123便のボイスレコーダーには、先輩たちが信じていたことが残されていた。



機長(墜落32分前)「まずい、何か爆発したぞ」
機長(墜落6分前)「あたま(機首)下げろ、がんばれ、がんばれ」
副操縦士「コントロールがいっぱいです」



 公開されたコックピットで格闘する高濱雅己機長(当時49歳)と佐々木祐副操縦士(当時39歳)の声からは、キャプテンたちが最後の最後まであきらめず、最後の一瞬までお客さんの命を守るために踏ん張っていたことが分かるものだった。

 コックピットクルー、客室乗務員の最大の任務は「お客様の大切な命を守る保安要員」だ。
 私はそのことを新人教育で教官から言われ続けた。だが、その教えを理解するまでにはかなりの時間がかかった。

「ミッションを自分と一体化させる」ことの意味

 フライトの度に先輩から言われ、FE(航空機関士)さんからたくさんのマニュアルの入った大きなパイロットケースを持たされ、「重たいだろ? これが僕たちが人命を預かっているという仕事の重さだ」と教えられ、整備さんからは、「小さなことでも声に出して確認しながら整備しなきゃダメなんだ」と聞かされ、そして、あるとき自分が“失敗”し、「どんなにいいサービスをしても、保安要員であることを忘れたら、飛んでいる意味はない!」と、こっぴどく怒鳴られ、やっと、本当にやっと、「なぜ、何のために、自分がここにいるのか?」という仕事への信念=ミッションが、皮膚の下まで入り込んだ。

 おかげでいまだに、緊急時の衝撃防止姿勢や脱出用のスライドを滑り降りるときの確認事項が即座に言えるし、CAを辞めた後の仕事でも、常に「なぜ、何のために、自分がここにいるのか?」を考えるようになった。

 “ミッション”を自分と一体化させないと、必ずぶれる。そこに例外はない。

 想定外の危機に遭遇しても、骨の髄までミッションが染み込んでいれば、「自分のなすべきことは何か? 自分にできることはどういうことか?」と、自らの正義に従い、危機に対峙できる。
 自分がやるべきことに徹することで、最高の選択が可能になる。たとえそれが万事を解決せずとも納得できる行動が取れる。

 一方、ミッションが忘れられてしまうと、効率性だけが重視され、自分の存在意義を自ら壊し、本来やるべきことがないがしろにされてしまうのだ。

 ミッションはすべての仕事、すべての業種にあり、おそらく誰もが、私がそうだったように、先輩たちと仕事をする中で学び、「自分ごと化」してきたのではないか。JALなどの航空業界だけではなく、いかなる業種においても、「なぜ、何のために、自分がここにいるのか?」という信念が熟成されなければ、不幸な事故は起こるし、自分自身の職務満足感が満たされることもない。

 それは「現場の力」が失われていくことでもある。

 そういった先輩と後輩が、上司と部下が関わる機会が、今後ますますなくなってしまうのではないか? その転換期に今私たちはいるのではないか? そう、思えてならない。

 既に「働き方」「働かせ方」の羅針盤は、「効率化」の方向に加速し、「クオリティー・タイム=質の高い時間」が重視され、「クオンティティー・タイム=量を伴う時間」は淘汰されていく可能性が高まっている。

 コストパフォーマンスを最適化することは、「仕事・家庭・健康」という幸せの3つのボールを回し続けるためには必要だろう。
 しかし、生産性や効率化とは一見無縁な無駄話や無駄な関わりでしか、育まれないものがある。

 現場に必要な知識のかなりの部分は体系化するのが難しく、暗黙知のままにとどまり、人々の中に体現され、日常の業務や仕事のなかに現れ、引き継がれていくものだ。

 極論を言えば、「職務満足感」という言葉さえ通じない時代がきてしまうかもしれないという危機感を抱いているのである。

 最後に。以下はこれまで何回も、他のコラムでも書いているのだが、とても大切なことなので今年も書きます。

 JAL 123便のボイスレコーダーが公開された当時、高濱機長のお嬢さんである、洋子さんはJALで働く客室乗務員だった。

 ご自身もご遺族という立場なのに、墜落したジャンボ機の機長の娘であることから、事故当初から想像を絶する苦悩の日々が続いたそうだ。

 「519人を殺しておいて、のうのうと生きているな」――。バッシングを容赦なく浴びせられたという。

 そんな世間のまなざしに変化が起きたのは、ボイスレコーダーが公開されてからだった。

 キャプテンたちの必死な、最後の最後まであきらめず、最後の一瞬までお客さんの命を守るために踏ん張っていた“声”を聞いたご遺族から、「本当に最後までがんばってくれたんだね。ありがとう」と言われたそうだ。

 「ご遺族からの言葉を頂いたときには、本当に胸からこみ上げるものがありました。涙が出る思いでした。父は残された私たち家族を、ボイスレコーダーの音声という形で守ってくれたと感じました。私にとっては8月12日は、また安全を守っていかなければと再認識する、そういう一日かなと思います。父が残してくれたボイスレコーダーを聞き、新たにそう自分に言い聞かせています」(ボイスレコーダー公開時にメディアに洋子さんが語った内容より)

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