2020/8/18

【名将の哲学】大富豪を虜にする指導者、求めた「4つのK」

木崎 伸也
スポーツライター
世界中のサッカーファンが待ちに待った欧州ナンバー1クラブを決めるビッグトーナメント、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)が再開した。
俄然注目なのが、RBライプツィヒ。
この記事が配信されるころには、もしかするとその名がトレンドになっているかもしれない。わずか10年前、5部からスタートしたドイツのクラブは、8月19日(日本時間の朝4時)「ヨーロッパナンバー1」に王手をかける戦い、CLの準決勝でフランスの名門パリ・サンジェルマンと戦い、その勝者となっている可能性がある。
大躍進の影にいたのは「教授(プロフェッサー)」と呼ばれた男。その哲学──。

欧州を席巻する「レッドブル」帝国

大富豪から依頼を受け、次々に新参サッカークラブのブランド化に成功している名オーガナイザーがいる。
ドイツ出身のラルフ・ラングニック(62歳)。
特にこの2、3年に国際的な評価が急上昇しており、今夏にイタリアの名門・ACミランが「監督兼スポーツディレクター」として招聘に動いた。
ラルフ・ラングニック(Ralf Rangnick)。1958年6月29日生まれ。ドイツ国籍。
最も有名な実績は、「レッドブル帝国」の構築だ。
世界的飲料メーカー「レッドブル」は、2005年にザルツブルクのクラブを買収してサッカー界に進出したものの、欧州最高峰の大会・UEFAチャンピオンズリーグになかなか出場できず、創業者ディートリッヒ・マテシッツ(Forbs誌が発表する世界長者番付57位)の要求に応えられずにいた。
参入6年目には優勝を果たし4連覇を達成したF1やXスポーツで成功したノウハウは、サッカーには通用しなかったのである。
そこで白羽の矢が立ったのがラングニックだった。
2012年、ラングニックはオーストリア1部の「レッドブル・ザルツブルク」とドイツ4部の「RBライプツィヒ」のスポーツディレクターに就任。
両クラブに共通のコンセプトを植え付け、若手中心の前衛的な集団に生まれ変わらせた。
“兄貴分“のザルツブルクからは欧州トップクラスのタレントが次々に巣立ち、たとえばイングランド王者のリバプールには現在3人のレッドブル出身者がいる(サネ、ケイタ、南野拓実)。
今冬にドイツの強豪・ドルトムントへ移籍した20歳のハーランドは、ドイツでのデビュー戦でいきなりハットトリックを達成して時の人になった。
“弟分”のRBライプツィヒは瞬く間にドイツ1部に昇格し、今季のCLではベスト4に進出している。
大富豪マテシッツの「欧州サッカー界でレッドブル・ブランドを確立する」という夢がついにかない、“赤い雄牛”たちが気鋭の勢力になりつつある。
今年7月、ラングニックがレッドブル・グループを離れることを発表すると、マテシッツは声明を出した。
「並外れた仕事をしてくれたラングニックに感謝したい。

彼を手放したくないが、彼の希望を尊重して契約を解除する。

8年間の仕事に心から感謝している」
ディートリヒ・マテシッツ(Dietrich Mateschitz/写真右)は、栄養ドリンク「レッドブル」を販売するレッドブル社の創業メンバーのひとり。ジャガー・レーシングチームを持っていたフォード社からチームを買い取り、レッドブル・レーシングチームを設立。自動車メーカーではないにもかかわらずF1界を牽引する存在となっている。

過去にも起こしていた奇跡

ラングニックが大富豪の心を掴んだのは、これが初めてではない。
世界的ソフトウェア企業「SAP」の創業者、ディトマール・ホップ(ドイツ6番目の富豪)から全権を与えられ、人口約3000人の“村のクラブ“に奇跡をすでに起こしていた。
2006年、ラングニックはホップが資金援助するドイツ3部のホッフェンハイムの監督に就任した。
ただの監督ではなく、すべての人事権を持つ“全権監督”である。
すると田舎の小さなクラブを2年で1部に導き、さらにSAPの協力を得て、テクノロジーを活用した新時代のクラブを誕生させた。
現在、ホッフェンハイムはSAPと共同でバーチャルリアリティを活用した練習施設を開発している。最先端のテクノロジーを試す“実験場”のような存在になっている。
もはやその評判はドイツ語圏に留まらない。
昨年にはイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドと交渉したと報道され、そして今年、前出のとおりACミランの経営権を持つアメリカのヘッジファンド「エリオット・マネジメント」が、ラングニックに狙いを定めた。
結局、ミランが思いもよらず好調になり(新型コロナによるリーグ中断後に9勝3分)、またマルディーニらイタリア人幹部からの猛反発もあったため、契約はサイン寸前で破談になったが、今後もビッグクラブからのオファーが絶えないだろう。
もともとラングニックは選手としてプロ経験がなく、監督としてもドイツ7部からスタートした無名の存在だった。
眼鏡をかけた博士のような風貌を「教授」と揶揄され、マッドサイエンティストのような扱いを受け続けた。それでも自分の理論を信じて障害を乗り越え、欧州サッカー界で唯一無二の存在になった。

組織に求めた「4つのK」

ラングニックはいかにして無名のチームを強くし、その地位を築きあげたのか。