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これ、わかる。言葉にする作業は最寄りの格子点を探して収束させる行為。モヤモヤしたアナログな部分が生き残らない。僕はできるだけ言葉にするのを遅らせたい。
「絵を描かないと頭の中に物事が落ちない」
これもすごく共感する。僕はいつも新しいプロジェクトが始まるときに、必ずノートに対象となる物やアイデアの絵を描く。描けたときはだいたいその仕事で活躍できるし、描けなかったときはだいたい活躍できない。
理系でも、数字や数式を使わない分野もありますし、文系でも、ファイナンス関係は、数字や数式の塊です。
ですから、「理系は」とか「文系は」という考え方は、あまり当てはまらないと思います。
理系、文系関係なく、その人の理解度を把握するためには「絵で描いてもらうこと」というのは事実だと思います。
何故なら、理解できていなくても、口頭で述べたり、文章で書いたりはできますが、理解していなければ、絵で描くことはできませんので。
※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません
子どもたちを小学校受験用の塾に連れていってびっくりしたのは、とにかく問題を「絵」として捉え、頭の中でその「絵」を動かしながら問題を解かせることでした。
(ひらがなもまだ習っていない、かけ算割り算も当然習っていない未就学児なので当然と言えば当然ですが。)
このビジュアル化が自然とできる癖が身につけば、初めてぶつかった問題でも対処できるというのはまさにその通りではないかと思います。
学校の勉強も仕事も、ビジュアライズするためにはまず問題をシンプル化させることが必要なので、ポイントを絞って整理する力もセットで身につきますね。
あ、記事読みました
絵でも同じだと思いますねぇ 上の例でいうと、3面図→iso がうまく描けなくても、自分で間違ってると解る (正解を見ずに) コは7割位います つまり、アタマで思うイメージを描く技量がないため、出来る範囲で近いモノに置き換えているんですねぇ
「それどころか、人はひらめきを言葉にする時点で頭の中にある“新しい何か”を、“すでに世の中に存在しているもの”に変換しがちなのだ。つまり「概念化」によって、新しいものを生むのが難しくなることも多いのである。」
特に 、「絵」といっても、venn diagram, quad chart, block diagram, flow chart, bar chart, scatter plot というような パワーポイントとかエクセルのメニューにあるような、すでに世の中に存在している "formats" から、(無意識にでも) 近いものを選んで描くのでは、ここでいう「言語化」と変わらないと思いますねぇ ただ表現の手段と、それを使いこなす技量が違うというだけで
僕は、物事をイメージでとらえて、こんな感じというイメージで考える習慣があります。
目に飛び込んでくるのも、文字よりビジュアル。だから、大量の文字情報を処理するのは得意ではありません。
言葉で考えるのも、図や絵で考えるのも、一長一短があります。タイプによって、向き不向きもあります。
ちなみに、僕は理系です。だからといって、ビジュアライズ思考が得意というわけではなさそうです。
母方の実家が農業をやっていたので、小さい頃から自然に触れて五感の刺激が多く、いろんなことをイメージしていたからです。
理系とか文系とか分けない柔軟な考え方がいいと思います。
例えば、隈研吾さんが、高輪ゲートウエイのデザインで、模型とメモ書きを延々と繰り返していたその膨大な様子が伝わってきました。
ただ、理系や文系は関係ないと思います。理系の一流論文のタイトルや文章は、ほとんど一流コピーライターのレベルだと思います。
「言葉」に変換する意味、共通認識を確認したり、広いコミニティに共有したりする効能はあるとは感じますが、「言葉」に変換するデメリットも多くある気がします。どうしても言葉に置き換えた時点で、なんらかの要素を簡素化するだけではなく、削ぎ落としてしまうと感じる時があります。
せっかく多面性や多次元性があることも、言葉にすることで平面的になってしまうリスクがあるということです。
「言葉」に置き換えるべき時は置き換え、そうすべきでない時はそうしない、そういう使い分け、つまり物事を立体的に捉えつつ噛み砕いて理解できるにとは、文系理系問わず、アカデミア・ビジネス両方の世界で成功を収める確率が高いと思います。
どちらで考えても、自分で思っている以上に頭のなかで整理することすら難しいです。ましてやそれを人に伝えようとすると、ただでさえ頭のなかで整理できていないものが、絵や言葉の不自由さで更に表現しにくくなります。
いずれの思考法も普段から自分の限界と向き合わないと磨かれません。どちらも一長一短なので、状況に応じて使い分けられることが理想です。