ごみの山が“無限のエネルギー源”になる:米国で動き出した水素革命の潜在力
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廃棄物からの水素の製造は、工場廃棄物、一般廃棄物の焼却灰、アルミ複合廃棄物、排水、食品廃棄物、プラスチックなど、日本国内だけでも本当に色々な廃棄物で試みられていますね。
本記事では米国の取り組みが紹介されていますが、ここで示される課題は日本でも同様で、廃棄物由来の水素発生は(1)調達供給コストを従来エネルギーと遜色のない水準まで低減させること、(2)品質・量ともに材料の安定供給をすることの面で、まだまだ課題があると言われています。
都市ごみを取り扱う場合、日本よりも米国のほうが一般廃棄物の分別がなされていない状況ですので、(2)の品質・量の予測が立てにくいと想像します。日本の廃棄物分別は世界と比較するとかなりごみの分別がなされており、ごみ質の予測が立てやすい状況ですが、こういった面では諸外国よりも少し有利に働くのではないかと思います。
「究極のクリーンエネルギー」ともいわれる水素ですが、製造する過程のCO2にも配慮してはじめて、本質的にクリーンと言えるようになるのだと思います。この点で、廃棄物利用に期待できる面は大きいです。経済合理性の見通しが得られるプロセスの早期開発に期待したいと思います。「ゴミが無限のエネルギー源に」というワードや水素への期待感だけが一人歩きしそうな危険な記事。
廃棄物からの水素製造というアイデアは大昔からあるが、現代の人間社会のメカニズムからして、技術開発では原理的にうまくいかない。つまり、最初から最後まで問題は「コスト」になる。
高エントロピーの廃棄物から低エントロピーの水素を生産するには、外部から低エントロピーを持ち込むしかないが、一般に低エントロピー資源(電力や木材等)は社会的に高コストなので、いかに技術開発をしても桁違いなコスト削減は永遠にできないだろう。
ましてゴミの量は社会で使われるエネルギーに比べで桁違いに少ないので、できたとしても大した量にはならない。
可能性があるとすれば、水素を生産する為の低エントロピー資源だけが低コストになる世界がやってくる必要(それは普通あり得ないので政策としてそうされる必要があるだろう)があるが、その場合はその安価な低エントロピー資源(再エネ電力?)が直接使われることになるので自己矛盾に陥る。
結局、水素社会の活路は、金持ちや世間の趣味的なお金をどこまで集められるかという事と、再エネの出力調整という不確実性の高いポテンシャルに賭けることだが、エネルギー媒体として輸送と貯蔵に難がありまくりなので、そこに目を瞑り続けないと騙せない。逆に言えば、その問題が明るみになるまでは、このストーリーは続いていくだろう。
社会がエネルギー危機になるとこの手の怪しいベンチャーがたくさん出てきて、そして私への問い合わせが増えるという歴史を繰り返している。
「無限」などという単語を詩的な使い方以外で軽々しく使うべきではないですね。可算無限?濃度は?水素はコストやインフラ面での課題はあるものの次世代エネルギーとして注目されています。
一方でゴミをエネルギーに変える廃棄物発電も世界中に多くあり、どんな形であれゴミをエネルギーに変えられればメリットは大きいですよね。