日航ジャンボ機墜落事故から35年。航空史上最悪の事故を振り返る【画像】
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この機体が、伊丹空港で尻餅をつき、
その際痛めた圧力隔壁の補修の際に、
リベットを2列で打たなかった為、
その後の繰り返し荷重で疲労破断した。
とボーイングで一緒だった先輩が
、教えてくれた。
補修を含め、全て作業を記録、
デザイン承認管理の強化が今日まで、
続けられている。
痛ましい事故を二度と起こさない為。
心からご冥福をお祈りします。記者5年目だった私は8月12日夜、埼玉県浦和市(当時)から秩父方面に向かい、長野県へと入りました。最初は長野県が墜落現場とみられていました。長野県北相木村で夜を明かしたら、墜落現場は群馬県上野村とわかり、私は遺体の搬送先になった藤岡市の体育館に行くことになりました。遺体の臭いが街全体を包むのではと思える中、体育館前で遺族取材を1週間続けました。取材しながら嗚咽したのは後にも先にもあの時だけです。
あれから35年、日本で墜落事故が起きていないことは、あの壮絶な事故の反省と遺族の思いがあったからだと思います。一方で、一昨年はパイロットの飲酒事案の続発が問題になりました。また、コロナ禍で航空会社はまさに存亡の危機です。安全対策がおろそかになることを強く懸念します。