教育実習に特例措置 やむ得ない場合、なしで免許取得も
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正直、2~4週間の教育実習って、本当に力をつけるためにやるものではなく、学校現場がどういうものなのかを理解するための「体験」に近い。
なので、学校現場のリアリティを知る機会が他にあれば、(今回はコロナという特別な事情もあるし)教育実習ななくても仕方がないと思う。
教員の質を考える際に大切なのは「教育実習をどうやって拡充するか」ではなく、「学校現場に入ってから、どうやって実践を積み上げ、教員自身が学び続けるか」にある。
先生になる人って、結構前から「先生になる」事を目標や夢に置いている人が多い。先生になった瞬間、ゴールが達成されてしまうのである。
大切な事は、「個人の教育ビジョンやどういう先生になりたいのか」ということであり、教員になってからもその個人ビジョンに向かって努力し続けられる体制が大切。
また、大学の教員養成課程からもっと「ビジョンづくり」や「学び方(大人の学習理論)」を習得する訓練をした方が良い。
ビジョンがあって、学び方を知っていれば、現場に入ってからも先生は育つ。《 教職免許って必要ですか? 》
広辞苑によると、
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めん‐きょ【免許】
①特定の事を行うことを官から許すこと。官許。太平記24「開山別儀を以て末寺たるべき由、申し請けらるるに依つて―せられ候ひき」。「教員―」
②(→)名対面なだいめん1を許されること。名謁みょうえつを許すこと。
③〔法〕
㋐(→)許可2に同じ。
㋑(→)特許1に同じ。
④師から弟子にその道の奥義を伝授すること。また、その書付。ゆるし。
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とあります。
④は心から納得がいきます。
自らが教えを乞うた師匠のもとで学び、修行し、その技、そして、心を体得し、そして師匠からのゆるしが出るのですから。
これは、誉れですし、その師匠が優れた教師であるならば、もう納得も納得ですし、信用に値します。
ぼくが教師として歩んだ道を考えてみましょう。
初任校で出会った綺羅星の先生たち、当時お世話になった副校長先生から免許が出されるのであれば、まさに師匠ですから、これは最高の免許状になります。
子どもとの接し方、子どもが主役で、文部科学省が「主体的」という言葉を使う前から主体的を突き進んだ授業をしていた先生方でした。
ですから、今でも、地域にその心が根付いています。
子どもが大人になる意味と価値を見事に証明した教育の意義がここにあると思いました。
そして、品川でぼくを成長させてくれた校長。
彼女はまさに教育者。人育てのプロでした。ぼくの一挙手一投足を見続け、厳しく育て続けてくれた彼女から免許状が渡されるのだとしたら、感謝と共に生涯の宝物となるでしょう。
また、学校外でも。
とにかく、甘い考えが少しでもあると怒り続けてくれたオシムさん。
子育ての極意を教えてくれた「子育ての神さま」池上正さん。
親がどうしたら子どもと向き合うことができるのか、親をどのように育てていくのかを教えてくれた高濱正伸さん。
そして、和田中学校で、生徒と真正面から向き合う大切さと地域の大人たちを大切にしていく姿勢を見せてくれた藤原和博さん。
彼らから免許状が渡されるのだとしたら、ぼくにとっては、本当の意味で免許になると感じます。
ところが、今の教育職員免許状はどう考えても、
①特定の事を行うことを官から許すこと。
でしかないですよね……免許や資格制度の設計に、例えば小児性愛者などの不適格者を確実にはじく仕組み作りという観点が増えるといいなあ。
準備とプレゼンの巧拙でしかない教育実習は、就活での面接と同様、あったら足しにはなるけれど。問題がある教師が生まれたとしたら、それは仕組みと養成する側の力量の問題。