30歳をすぎると、人生の明暗が少しずつみえてくる。そのため早くも「人生を持て余している感覚」をもつ人たちが出てくる。しかし、それでいいのだろうか。職業人生の設計に詳しいワンキャリア取締役の北野唯我氏は「根本的な理由は『これからの生き方』が定まっていないからだ」という――。

※本稿は、北野唯我・百田ちなこ『これからの生き方。』(世界文化社)の一部を再編集したものです。

頭を抱えているビジネスマン
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30代半ばにして「人生を持て余す」人たち

「これからの生き方が問われている」

30歳を過ぎたあたりから、そう思うことが増えてきました。

キャリアも30歳を超えてくると、昔の仲間であった同僚や同期たちの中に明暗が少しずつ分かれ始めます。それは単に「出世しているか」「有名になっているか」「お金を稼いでいるか」などそんなどうでもいい短期的な話ではなく、もっと本質的な「諦め」や「人生を持て余している感覚」があるかどうか、です。

言い換えれば、仲間の中から活躍し生き生きと夢を語る同年代も出てくる一方で、30代半ばにして既に世の中の固定観念に縛られ、自分の過去の栄光にしがみついて生きている人も出てくる、ということです。その共通点はシンプルで、才能や能力を持て余した日々を過ごし、なんとなく不満をかかえているということ。そういう悲しい話を聞くことが少しずつ増えるようになりました。

若い頃に頑張っていた人ほど、持て余している

当然ながら、どう生きるかなどは人それぞれ。本質的には大きなお世話です。あるいは、経済的に苦しい中で自分のことだけでいっぱい、いっぱいになるのは理解できます。ですが、そういう話を聞く際に共通するのは、その割に、若い頃は、勉強や部活を必死に頑張ってきた人たちだったりすることです。むしろ、若い頃に経済的にも豊かな家庭に育ってきた人や、誰もが知る企業に勤めていたりする人ほど、「なんか漠然とした持て余している感覚」を持っていたりするものです。

私はその現象に対して、毎回「なんで、早くも人生持て余している気分になるんだよ。まだ人生、始まったばかりじゃないか……」と内心では思います。ただ当然、そんな言葉を口には出しません。彼らも求めていないことを私自身も重々知っているためです。しかし、同時に「なぜこんなことが起こってしまうのか」と不思議にも思い、「自分より若い人たちにはできる限りそうなっていってほしくない」とも思います。

かつてあれだけ輝いていた仲間やあれだけ夢や目標を語った仲間、楽しそうにしていた後輩、自分よりもはるかに勉強もできて頑張ってきた仲間が、60代ならまだしも、30歳前後でビジネス人生を持て余す感覚をおぼえ、それだけならまだしも、その中からは、高みの見物を決めて「あぁ、あれはこうだよ」といった感じで他人の人生の評論家に成り下がる人も出てくる。その根本的な理由はなんなのだろうか、と。