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敗れた「中国を民主化する」夢 「香港民主主義の父」と若者の溝 そして謝罪

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李柱銘氏は、長年にわたる民主化運動を「失敗だった」と言った=香港・金鐘で2020年7月8日、福岡静哉撮影
李柱銘氏は、長年にわたる民主化運動を「失敗だった」と言った=香港・金鐘で2020年7月8日、福岡静哉撮影

 1994年に香港初の本格的な民主派政党を結党し「香港民主主義の父」と称される李柱銘(マーチン・リー)氏(82)。北京で民主化を求める学生らに軍が発砲し、多数が犠牲となった89年の天安門事件をきっかけに、李氏ら民主派は香港から中国本土の民主化を促そうと、これまで運動を続けてきた。

「中国は自由と法の支配が確立された香港社会に追いつき民主化に向かう」

 香港に国家安全維持法(国安法)が施行された後の7月8日、中心部の事務所を訪ねると、李氏は写真パネルを見つめていた。「90年に初めて香港で天安門事件の追悼集会を開いた時の写真だ」。表情は憂いを帯びていた。

 香港の憲法に当たる香港基本法は「1国2制度」を50年維持すると明記する。「中国は香港返還から50年間で、自由と法の支配が確立された香港社会に追いつき、民主化に向かう」。李氏はそんな信念の下、これまで活動してきた。

 父は、蔣介石が率いた国民党の元将校。11歳まで中国・広州で育った。国共内戦で国民党は49年に毛沢東率いる中国共産党に敗れ、家族と共に香港に逃れた。香港育ちだが中国への思いは強く「私は中国人だ」と言ってはばからない。

 弁護士として活躍し、85年に英植民地時代の立法機関「立法局」議員に当選。94年に「民主党」を旗揚げした。香港返還後も立法会(議会)議員を2008年まで務めた。

「改革・開放」政策で膨らんだ期待、中国中央集権化の裏切り

 「中国の民主化を促す」という掛け声は、今では夢物語に聞こえるが、李氏は「以前はそうでなかった」と言う。「『改革・開放』政策で中国は世界に門戸を開いた。大国と経済で相互依存関係になり、民主国家と価値観を共有する方向に進むと期待していた」

 だが、12年に習近平指導部が発足して以降、中国は中央集権を強め、香港の自由を奪い始めた。すると、李氏らの運動から若い世代の心が離れていった。

 「かなわぬ幻想を追い求める間に香港の自由さえも奪われているではないか」。15年の天安門事件の追悼集会に多くの学生らは参加しなかった。「香港人」意識が強い若者は、旧世代を攻撃し「香港独立」を主張する若者も現れた。

 「香港が民主主義を勝ち取るためには、まず中国の民主化が必要だ」。李氏らはそう主張したが、溝は広がるばかりだった。

李氏の逮捕、初めての起訴「幾分気持ちが楽になった」

 中国に容疑者を引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例」改正案への反対運動を機に大規模化した19年の抗議デモで、多くの若者らは取り締まりに暴力的に抵抗し、9000人以上が拘束された。李氏は「手法に同意できない点はあるが、誰が『やめろ』と説得できようか。悪いのは若者たちではない」と理解を示す。

 李氏は今年4月、警察に逮捕され、生まれて初めて起訴された。逃亡犯条例改正案に反対する19年8月と10月のデモを警察が不許可としたが、参加したため罪に問われた。

 「若者たちと共に『民主の道』を歩く機会を得られ、とても誇りに思う」。5月18日の初公判後、報道陣にそう述べた。事務所でその真意を尋ねると、少し表情を緩めた。「多くの若者が起訴され、収監された。私も起訴されて幾分気持ちが楽になった」

 国安法の施行で香港は中国の治安体制に組み込まれた。返還から23年。中国が香港に追いつくどころか、逆に香港の「中国化」は進む一方だ。最後に李氏が漏らした。「私たちは失敗した。若者たちに本当に申し訳ない」【香港・福岡静哉】

香港基本法起草で強く主張、実現した「普通選挙」

 李柱銘氏ら旧世代の民主派は香港の民主化にも力を入れてきた。…

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