withコロナの時代。「健康」は自己責任か、それとも経営課題か

2020/7/22
 新型コロナのパンデミックによって、医療から経済まで現代社会の脆さが浮き彫りになった。だが、その問題の多くはすでに予想されていた社会課題であり、働き方や経営、医療など社会インフラの変革によって軽減できるはずだ。

 高齢化社会の経済や労働力を考えるときに、いかに健康寿命を延ばして生産性を上げられるか。テレワークや遠隔医療を可能にするテクノロジーは、どのように社会に実装されていくのか。昨今注目される「健康経営」は、企業が競争力を持つためにも重要なキーワードになっている。

 現在進行形で「ニューノーマル」が模索されるなか、ヘルスケアはこれからの経営戦略にどう関わってくるのか。フィリップス・ジャパン代表取締役社長の堤浩幸氏と、DeNAでCHO(Chief Health Officer)室を立ち上げ、健康経営を推進する平井孝幸氏が語り合った。
一人ひとりが健康でいられる環境をつくる
※本記事は、2020年3月19日に行われた対談をもとに構成しています。
 フィリップスは包括的なヘルスケアを事業の軸に、「2030年までに年間30億人の人々の生活を向上させる」というビジョンを掲げています。
フィリップスが挑む。「ヘルステック」という現代のフロンティア
 働く人の健康を経営上の課題と捉え、企業が配慮することで生産性の向上や組織の活性化を図る。私個人としても、「企業経営」の視点を抜きにして社会のヘルスケアは成り立たないと考えています。
 平井さんは、何がきっかけで「健康経営」に興味を持たれたんですか。
平井 私がDeNAで働く人の健康づくりに取り組むきっかけとなったのは、腰痛や睡眠不足といった問題を抱える人が少なくなかったことです。
 一見、なんの問題もなく働いているような人でも、実はなんらかの不調を抱えている場合が少なくありません。
 身体の不調が原因で本来の生産性を発揮できないことは、本人だけでなく企業にとって大きな損失になります。
慶應義塾大学卒。2011年、DeNA入社。ともに働く人たちを健康にするため、2016年にCHO室を立ち上げる。東京大学医学部附属病院22世紀医療センター研究員、DBJ健康経営格付アドバイザー委員会社外委員、企業活力研究所「健康経営に関する研究会」委員も務め、健康経営アドバイザーとして講演や執筆活動等も行う。
 健康はパーソナルな問題と捉えられがちですが、実はそうではないんですよね。
 フィリップスはヘルスケアとテクノロジーを融合した「ヘルステック」で、社会課題を解決しようとしています。
 そのためにはまず、当社で働く一人ひとりが健康でいられる組織づくりができていなければなりません。
1962年生まれ。慶應義塾大学理工学部卒業後、NEC入社。2004年シスコシステムズに入社し、2006年取締役就任。2007年米国スタンフォード大学ビジネススクール修了。2015年サムスン電子ジャパン入社、CEO就任。2016年フィリップス・ジャパン入社。2017年より現職。
 私が考える健康とは、フィジカルとメンタルが両立して初めて成り立つものです。
 それは仕事に対しても、プライベートに対しても、モチベーションを高く保っていられる状態。仕事もプライベートも充実していれば、パフォーマンスが上がり、人生をエンジョイできる。
 そんなふうに一人ひとりが健康なら、組織も健康になります。経営においては、その環境づくりが大切だと考えています。
“課題解決型”で健康への関心を高める
平井 堤さんがおっしゃる通り、健康づくりはゴールではなく、目指すのはその先にある個々の幸福や、企業にとっての生産性向上です。
 その第一歩になるのが、一人ひとりの健康意識を高めること。ただ、健康への関心が薄い人たちにアクションを起こさせるのは簡単なことではありません。
「こうすれば健康になれますよ」と伝えても「余計なお世話」と言われればそれまでですから。
 そうですね。あれをやれ、これはダメ、という押し付けでは、人は動かない。
 健康になるために生活を改善しましょうと言われても、目先の欲求を優先してしまうものです。
平井 はい。そこで私がDeNAで行ったのが、課題解決型のプログラムです。
 むやみに生活習慣の改善を押し付けるのではなく、具体的に「腰痛を改善しよう」と呼びかけ、それが仕事のパフォーマンスアップにつながることを伝えたところ、たくさんの人が興味を持ってくれました。
 というのもDeNAの社員はエンジニアが多く、一日中座りっぱなしのため、腰痛に悩む人が少なくなかったのです。
「腰痛撲滅プロジェクト」と銘打ったその取り組みには、若手からマネジメント層、執行役員まで幅広い社員が参加しました。
 その結果、実に85%の人が「腰痛が改善された」と回答し、一定の成果を挙げることができたんです。
 なるほど。それはとても参考になる事例ですね。
 一つアクションを起こすことで体の状態が改善されると、もっとよくしたいという気持ちが起こる。そのきっかけをつくり、自分自身のヘルスケアに関心を持ってもらうことが難しいんです。
平井 何がきっかけになるのか、企業や業種によっても最適な取り組みは異なります。
 健康経営のアプローチが、その企業の文化や風土、そこで働いている人たちの気質にマッチしているか。それを無視してうわべだけで取り組んでも、結局うまくいきません。
「自分の働き方には向いていない」「今の状況では無理だ」と思われたら、小さな成功体験を得る前につまずいてしまいますから。
 健康になりたくないと考える人はいません。少しケアすることで気持ちよく生きられることがわかれば、みんな進んで取り組むはずです。
 ただ、面倒だったり、メンタルに余裕がなかったりするから一歩を踏み出せない。そういった状況を変えるにはちょっとした後押しがあればいい。
 一方的な押しつけではなく、企業と従業員が一緒になって「どうすればみんなが幸せでいられるか」を考えていくことが大切ですね。
意識だけでなく、行動を変える
 平井さんがDeNAにCHO室を立ち上げて4年が経つそうですが、その間にどんな変化がありましたか?
平井 当社の経営陣が健康経営の重要性を理解してくれるようになりました。社外でも講演を行う機会が増え、世の中の関心も高まっていると感じます。
 CHO室を立ち上げる際、健康が経営に与える効果を伝えるために、専門家の協力を得て「プレゼンティーイズム(健康上の問題で本来のパフォーマンスを発揮できない状態)」による損失額の算出を行いました。
 健康経営への取り組みでは、WHOの評価スケール(WHO Health and Work Performance Questionnaire)などを用いてその効果を具体的な数字で示せるように心がけています。
 また、DeNAでは健康経営の取り組みの一環として、半年に一度、社員に対してライフスタイルに関するアンケートを実施しています。
 このアンケートで多くの社員が睡眠不足に悩んでいることがわかったので、「睡眠スキルUPプロジェクト」と題して質の高い睡眠に必要な知識や習慣の啓発活動を行いました。
 このように、社員のパフォーマンスを阻害している健康課題を把握し、対策を話し合い、行動変容を促す。これを繰り返すことが、健康経営のポイントだと思います。
 「行動変容」は重要なキーワードですね。最終的にアクションを起こすのは本人ですが、その環境を整え、トリガーをつくるのは、企業の務めですから。
 睡眠は、長ければいいわけではありませんが、質の高い睡眠がウィルスに対する免疫力や、仕事のパフォーマンスを高めるうえで重要なのは言うまでもありません。
 睡眠の質を向上させることは、個人の健康や生産性を向上させ、ゆくゆくは企業や社会を活性化することになる。フィリップスが昨年発売した「SmartSleep」も、そういった考えの下に開発された製品です。
「SmartSleep ディープスリープ ヘッドバンド」2カ所の脳波センサで睡眠の状態を測定し、オーディオトーンによってもっとも深い徐波睡眠を持続させることを目的に開発された、フィリップスのコンシューマー向け睡眠デバイス。
 平井さんは「SmartSleep」を使っていただいたそうですが、実際に使ってみていかがでしたか?
平井 最初はどれほど効果があるのか半信半疑でしたが、実際に使ってみて、翌朝の目覚めのスッキリ感に驚きました。
 睡眠が大切なのは誰もがわかっていることですが、仕事が忙しくて十分な睡眠時間を確保できない人が多いのも事実。SmartSleepはそういったビジネスパーソンに適した製品だと思います。
 健康って、不可逆的ですよね。健康的なライフスタイルを一度手に入れると、不健康には戻りたくなくなる。むしろ、健康をより突き詰めたいと思う人が増えてきます。
 SmartSleepで睡眠の大切さを知った人が、より良いライフスタイルを目指して、食事や運動などほかの領域にも関心を広げていく。
 そういった正のスパイラルがどんどん生まれるといいですね。
 ありがとうございます。フィリップスはまさに、その正のスパイラルを生み出すための製品や仕組みを、社会に届けようとしています。
 SmartSleepが健康的なライフスタイルを手に入れるきっかけになり、日々の行動や生活習慣を変えるトリガーになればうれしいですね。
健康を継続するためにできること
平井 ヘルステックの領域ではセンシングやAIが目覚ましい発展を遂げています。でも、センシングだけだと、私のようなよほどの人体・健康オタクでないとすぐに飽きてしまうと思うんです。
 私がフィリップスさんの製品に可能性を感じるのは、SmartSleepにしても、電動歯ブラシのソニッケアーにしても、使ったあとに「爽快感」を得られること。
 使うことで心地よさを感じ、脳がポジティブな状態になる。その体験価値があるから、続けられる。そこが重要なポイントだと思います。
 そうですね。楽しかったり、気持ちよかったりしないと、長続きしません。「習慣化」することが、ヘルスケアの難しさでもあります。
 健康課題を意識するようになり、行動を変容させたとしても、継続しなければ意味がありませんから。
平井 どこまでを企業がサポートするかという論点もあります。
 例えば健康という意識を根付かせるには、経営サイドは社員の「健康スイッチ」を押してあげるだけでいいのかもしれない。
 きっかけさえあれば、それぞれの社員が自分流のセルフコンディショニングを編み出していくはずです。
 フィリップスはオランダの企業ですが、欧米では、毎日働くオフィスを社員が自分自身を活性化させたり、アップデートさせたりする場所だと認識しているように思います。
 社員一人ひとりが健康やモチベーションを高める意識を持ち、それを企業がサポートするという考え方です。
平井 海外はボトムアップの精神なので、「こうしてほしい」という主張の中で、擦り合わせながら環境をつくりあげることに長けているのでしょうね。
 それに対して、日本企業の良いところは、「きちんとやっていますか?」「大丈夫ですか?」と、一人ひとりをしっかりウォッチしながら包括的にケアできること。
 どちらも一長一短ですから、両方を足して2で割るくらいがちょうどいいと思いますね(笑)。
平井 なるほど。ヨーロッパやアメリカと日本、それぞれの長所を組み合わせられれば、健康経営の新しいスタンダードが生まれるかもしれません。
 少子高齢化などの社会課題を抱える日本から新しい健康経営のモデルを示すことができれば、グローバルに発信できる強みになると思います。
 働く人たちの健康をどんなアプローチでサポートするか。そこには、企業の理念が表れます。
 それに、今回のコロナ禍により、一人ひとりが自分自身の生活のなかで健康を管理し、ヘルスケアの意識を持たないといけなくなった。企業や経営層が、それをどうサポートしていくかも問われています。
 これからますます、働き方や健康に対する姿勢が、企業の求心力やブランド価値として評価される時代になっていくでしょう。
 そういった意味でも、「ヘルスケア」は避けて通れない経営課題なのです。
(編集:宇野浩志、海達亮弥 取材・文:榎本一生 [steam] 写真:大橋友樹 デザイン:小鈴キリカ)