【削除されました】養殖物2020年7月14日(火)
コメント
注目のコメント
セキュリティの問題が非常に大事なのは論を待たないところですが、日本の場合はセキュリティが単にIT化を進めない口実になっているだけという場面に多々遭遇します。
いや正確に言えばIT化は進めるのですが、どういうわけかその途中で不必要な人間と紙のチェックや審査プロセスが入り、全部が台無しになるというパターンです。
このところ何回もそういう場面に出くわすことが多くなり些か頭がいたいです。
【今日の歴史】
サッカーW杯予選でエルサルバドルがホンジュラスを下したことから両国の関係が悪化、1969年の今日エルサルバドル軍がホンジュラスに侵攻しサッカー戦争と呼ばれるこの戦いとなった。
戦争はエルサルバドル優勢で終わった物の戦後の混乱で内戦が始まり、中米の日本とまで言われた同国は衰退した。オペルのクルマ2
続き…
日本で急拡大を始めたのは91年からヤナセが取扱う様になった頃だろう。
…
Cセグメントのカデットはモデルチェンジし、初代アストラとなる。
Dセグメントは空力ボディセダンのベクトラ、そしてEセグメントサイズのオメガと言うラインナップとなった。
94年にはベクトラ派生モデルの2ドアクーペ、カリブラを投入。2Lターボにフルタイム4WDと言う高性能モデルのみでかなりのインパクトがあった。(モデル末期にはFFオートマモデルへ変更)
同年、オメガもモデルチェンジ。セネター廃止と共にEセグメントへ格上げされ、最上位は3L V6搭載。ワゴンボディもあり、比較的安価な大型車として人気があった。
95年にはBセグメントVWポロ対抗の新型コルサを日本名ヴィータとして発売。格安で小型にも関わらずABSやデュアルエアバッグ標準装備で安全性をアピール。2000年にドラマビューティフルライフでヒロイン常盤貴子が乗っていたアレだ。
ヴィータ派生のキュートな2ドアクーペ、ティグラも発売。
96年にはベクトラがモデルチェンジ。それまでとは打って変わって上質なセダンとなった。
その後アストラもモデルチェンジし上質となった。
雲行きが怪しくなったのは2000年、輸入権が日本ゼネラルモーターズに移り、独自の販売チャネルを構築した辺りだ。
2001年には人気の小型ミニバン、ザフィーラを事もあろうにGMと資本提携していたスバルでも発売。
トラヴィックと名付けられたそのクルマはザフィーラの1.8Lに対して2.2L、スバルが見直した足回りにより日本で使いやすく、タイ生産で低価格と言うとんでもないお買得クルマだった。
元々低価格路線で売っていた各車も徐々に値上げを実施し、他のドイツ車と変わらなくなった為に販売実績は悪化の一途を辿った。この頃GM本体の業績悪化もあり2006年に輸入販売をやめた。
さて、現在オペルはPSA(プジョーシトロエンアライアンス)グループの一員だ。
先日お目見えした新型コルサは今時の新鮮なカタチだが、その印象はプジョー208辺りと被る。
そして直接のライバルとなるVW各車は日本で戦略的に安価な設定としている。コレを下回る価格設定は相当難しい。
果たして勝算はあるのだろうか。
何はともあれ、再び輸入車業界が賑やかになる事を期待する。
(完)こんばんは.
昨日はひたすら自分の活動に向き合う1日でした.
4月に開設した,通信制高校サポート校・CAP高等学院のFacebookページへの投稿,noteへの投稿,クラウドファンディングページ制作と,自分の想いをひたすら言語化することに費やしていました.
そんな中で,視聴した“HORIE ONE”.堀江さん自らが関わる“ゼロ高”の入学式で話した言葉を語っていたのが,とても印象的でした.
「高校生の時は,ある意味親の下,ベーシックインカムのようなものが保障され,少年法でも守られている.言ってみれば“ノーリスク・ハイリターン”な時期.こんな時期はこの先ないんだから,失敗なんか気にせずに,やりたいことをやれ」
のようなことを言っていました.
歳を重ねて,ある程度社会的な地位みたいなものを得てしまうと,世間の体裁や失敗,所属企業での立場を気にして,リスクを取れなくなるのは間違いない.
でも,大人が余計なお世話で,子どもにリスクを取らせないのは,勿体ない.
わざわざ失敗する必要はないけれど,せめて高校生の時くらいは,失敗しても安心できる“場”を作りたいなと,改めて感じることができました.
皆さん本日も素敵な1日をお過ごし下さいね!