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「ワイルド・ワイルド・ウェブ」というこの記事の造語は、米国のテレビ・ドラマで、映画にもなった『ワイルド・ワイルド・ウェスト』からの造語でしょう。この作品で描かれた西部フロンティア開拓時代というのは、南北戦争終結後の1860年代後半から90年代初めまで、30年ほどの短い期間でした。インターネットも、ワールド・ワイド・ウェブが一般に普及しだしたのは1990年頃からで、ちょうど30年がたったところです。
 米国人にとっては、30年間の西部フロンティア開拓時代は、新たな農地を手に入れるための家族ぐるみの大移動、インディアン虐殺、無法者の跋扈と西部劇で有名な数々のガンマンの決闘、で彩られた時代でした。そして、数多くの起業家が一代で巨万の財を成した時代でした(金鉱の採掘などよりも、鉄道や牧畜などが、実際の花形の産業でした)。
 西部フロンティア時代を終わらせたのは、何よりも人口の急増であり、秩序を求める新住民たちの声であり、そして急速に大票田となっていく西部への連邦政府の介入でした。
 米国人にとっては、インターネットの草創期を『ワイルド・ワイルド・ウェスト』にたとえるのは、非常にわかりやすいです。無法者の時代から、秩序が確立されていく、という同じ経過をたどるのだ、といわれると、納得しやすいでしょう。日本人にしてみると、わからなくはないですが、社会の秩序を揺るがすほどの無法が蔓延っているとは思わない人も多いでしょう。中国だと、インターネットの空間は、ほとんど初めから管理された秩序のある空間でした。
 米国にしてみれば、インターネットは、人種間の憎悪を煽り、ニセ科学の迷信を流布して感染症の危険を高め、大統領選挙の結果を覆す、米国の弱点を突くために最適の道具なのでしょう。弱くなっていく米国では、インターネットが悪者探しの標的の一つになっています。これを過剰反応、あるいは誤った処方と見るかどうかは、米国の直面する危機から判断されるでしょう。
国籍をもつようにウェブにも籍をもたねば権利を主張できない世界。新しくなったというよりは大人になった感じというか、見ないできた見せずにきた権力構造が明らかになったということ。見せずにきたのはプラットフォームかはたまた国家か。国を選ぶかプラットフォームを選ぶか、住む場所を選ぶように、そんな岐路に我々が立つ未来というのもぜんぜんありだと考えます。
インドではWhatsAppに対する圧力も厳しい。デマによって、罪もない人がリンチにあった。これが尾をひいて、いまだインドではWhatsApp Payが認可されていません。Google PayやAmazon Payは認可されているのですが。

ソーシャルメディアはプラットフォームなので、そこで起きていることに責任をもたない。という姿勢は許容されなくなっています。

ブラジルでは、フェイスブックが大統領の関係者たちがつくったFacebookコミュニティ(偽アカウント)を削除しました。

WWWプラットフォーマーの責任が強く問われるようになってきました。
コロナによってオンライン世界の影響力はさらに強まった結果、責任をより痛感した、と言うことでしょうか。自浄作用や揺り戻し機能を持つプラットフォームであるかどうかが長く続くコツだと最近強く思います。
国民やユーザーに選択肢がない事が権力の使い方をおかしくする最大の要因です。歴史が証明しています
"影響力のあるプラットフォームが放任主義をとることで凶器を手にする者が出てくるという現実を、理解できるようになった証し"
タイトルからEUで昨年制定されたリンク税を想起したが、自由なかわりに無法地帯のインターネットからプラットフォーマーが管理・制御しヘイトやフェイク等に対応するそれへの変貌という内容だった。いずれにせよインターネットコミュニティの成熟は進むでしょう。
WEBの仕組みは自然増殖するところが重要である。
しかし、これがインフラ化すると、公共性が問われる。
公共性があるものには、一定の責任が問われるものである。

即ち、これはこの次の時代の幕開けという事である。
Internetの上に更に新たなプラットフォームが出現する
のである。
「ワイルド・ワイルド・ウェブ」に秩序が生まれ、現実世界がワイルド化する。
文化を成熟させながら、世界は前に進むと考えたい。
インターネットの「匿名性」という基本的な特性が、過去の時代の価値観となりつつある感じですね...

確かに、インターネットが出来た時のような、性善説の世界ではなくなってきたような最新の世界。

セキュリティを考えれば「匿名性」という特徴を、あるレベルで取引きする時代になるかもしれませんね。

そうなると、今ある闇の世界「ダーク・ウェブ」とは逆の個人認証が保証される実名の「ホワイト・ウェブ」のようなものがでてくるかもしれませんね。

この動向は目が離せませんよね。

※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません
言論の自由もあるが、一方で侮辱罪などがあるように、責任も伴う。生活に溶け込み、またSNSなどの進化と併せて影響力が高まった中で、一定の変化は必然だし自然だと思う。
ただ、ネットがここまで進化したのは、分散的な接続構造やオープンソースなども含めて、一定の性善説や、未来・技術・進化への楽観性があったからだと思っている。もちろん昔からクラッカーなどもいるし問題も起こってきた。だけど、根底には楽観と、使ってみてどんな情報も簡単に得ることができる分かりやすい便利な体験があったからだと思う。そういった良い文化が消えないでほしいとも思う。
ネットが成熟化していく過程でこれは避けられない。まあ米国の開拓時代の「ワイルド・ワイルド・ウェスト」もかなり無法だった。ある程度以上に大きくなるとルール作りは必要になる。これは個社に任せるのではなく社会として決めていく必要がある。民主主義に大きく関わる問題だから


それは「ワイルド・ワイルド・ウェブ」──自由放任主義で成長させるというテック業界の10年に及んだ実験──の終焉の兆しではないのか。そこに新たに形作られようとしているのは、これまでよりも責任の所在を明確にし、自己を省みようとする、思慮深いカルチャーだ。