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「なにか質問は?」でスベってしまう人に欠けている視点

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私は授業中質問してくれた人に「恥ずかしがらなくていい。こんな質問したら呆れられるんじゃないかと思わなくていい。1人が疑問に思うことは、たいてい他の人も言わないだけで同じ疑問を持っている。質問してくれてありがとう。」ということにしています。

良い質問をしようと思うのが萎縮してしまうのでしょうか。他の人になんと思われようと「自分はいい話きいたな」でいいのではないでしょうか。
質問ですべったと思っても、いい質問だとコメントをもらえることも多い。
あまり気にせず、思ったことを言う方が大事かと思う。
日本以外の国では、積極的に質問する人は評価される傾向が高い。
「質問でスベる...」こういったことを言うので、日本では、質問がしづらくなります。

米国では、こういった価値観はあり得ません。何故なら、その人は、その人の価値観で質問したのであり、それを否定することは多様性の否定ですから。

「スベったらどうしよう?」と考えるので質問を躊躇してしまいます。

海外の学校やビジネススクールを経験されている方はわかると思いますが、実に様々な質問がでますよね。

中には、とんでもない的外れなども、しょっちゅうです。でも、それを「スベる」とは言いません。

「あっ、そう、次ね」程度です。質問には「正解」も「スベる」もないと思います。

日本では厳しいかもしれませんが、海外のイベントなどでは、あまり気にせずに質問されることをオススメします。

※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません
漫才ではないのでスベるという概念はないと思います。
講演などで、公演終了後に個別質問に並ぶ状況があります。アメリカ留学時代に「この質問は個人的な質問かな」と講演後に個別質問に言ったら「質問の答えを独占することはよくない。どんな質問でもオープンな場でして知識を共有しなさい」と教わりました。尾原さんの本記事で、どんな質問でも講演者・聴講者に気づきを与えるきっかけになると言われたことを思い出しました。
「わからないことがある」「もっと知りたい」から
質問をするわけで、その状態で
「これは良い質問かどうか」を気にすることって
そもそも無理があるんじゃないかと。

そんなことより恥ずかしがらずに
どんどん質問をしていくことだけが
「いい質問スタンス」に近づく方法だと
個人的には思ってます。
そもそも気にせず積極的に質問した方が良い論もあります。が、私はそうは思いません。そう簡単に、スベる空気がなくなるような文化的な変化は見込めない、と考えるからです。

となると、やっぱり、質問のコツは知っておいた方が良いし、それが、「こういう質問すればいいんだ」って理解になって広がるとなお良い、と考えます。

私が思うことは1つだけで、自説を展開しないこと、です。

質問するときに長々と自説を展開してそれが正しかそうでないかを確かめようとする人がいます。

そんな質問のやりとりを聞いているとつらくなります…

シンプルに問いを立てて尋ねる。これに尽きると感じます。
質問をする事は大切。そしてその前に確り相手の話を聞いて理解を深める。その中で疑問と思う事をそのまま質問すればいい。
講義がZoomになったら質問多くなったということで、いろいろと感じることあります。場の作られ方で、質問しづらい空気ができていたんだろうなあ、と。また、その空気もおそらく本人たちが勝手に作ってる部分もあるのは確か。そんな空気とは断絶されるZoomのいい部分かと思われます。

ただ、質問を生むための視点は、テーマに沿って何らかの自分なりの仮説と話し手の仮説を構築して、そのギャップを質問で確認していくのが楽かと思っています。実は質問するための方法論てあまり習わないかも、と思ってます。

自分をアピールするための質問も世の中存在するけど、大概、質問者の意見の開陳と話し手に認証や同意を求めるものも少なくないです。聴衆は辟易とするし、他の質問者の時間を食うので程々にしてほしいところ。
講演で多くの質問をうけますが
もったいなと思うことをまとめてみました