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前回は都知事の小池氏について触れました。今回はコロナ禍における安倍首相をトップとする国家の最高意思決定についてどこに問題があるのか、説き起こしました。

安倍首相は官僚に「忖度」させるぐらいだから、よほど官僚をコントロールできているのではないかとふつうなら思ってしまいやすい。しかし、実際には官僚の作文をプロンプターを見ながら滑舌の悪い発音で読み上げるだけでしかないことがわかってしまいました。

平時でならそれで済むかもしれないが、コロナ禍はある意味では戦争と同じ緊急事態です。そこでは強いリーダーシップが発揮されねばなりません。

日本では「公」を官僚が独占しています。これは独特な日本の歴史がもたらしたものです。

ドイツの文化大臣は、アーティストやクリエイター、独自で多様なメディア、こそが「生命維持のために不可欠な存在」と言い切って、真っ先に給付金を支給した。なぜならアフターコロナの未知の社会を設計するのは彼らだからです。「公」を担うのは役人ではない。

ところが日本は行政機構が肥大化してシンクタンクさえ兼ねている。本来なら、アーティストやクリエイター、独自で多様なメディアが「公」であり、「クリエティブな人びと」がビジョンをつくり、その下請けが行政機構であるはずなのだ。

日本はいつから「公」を失ったのか。どう「公」を再構築したらよいのか。コロナ禍の意思決定を検証しながら、あえて『公』という一文字のタイトルで「私」の国、日本に欠けている概念を考察してみました。

【追記】このインタビューは『公』の内容に基づくもので、単なる批判ではありません。解決の糸口を導くソリューションジャーナリズムを目指したものです。

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/review/4910063099/R31FTUR3ZICMZ/ref=cm_cr_dp_mb_rvw_1?ie=UTF8&cursor=1
なぜ日本は、官僚主義とポピュリズム(大衆迎合主義)が跋扈してしまったのか? その本質は「公〈おおやけ〉」がないことであると、猪瀬さんは言及しています。

本記事は、直近の安倍政権における意思決定のマネジメントを例に、この問題を掘り下げました。コロナ危機は、私たちが「公」を考え直すチャンスなのかもしれません。
新しい「公」が必要だと私も思います。世代や利権関係なく立場を超えてフラットに議論し意思決定できる構造。選挙だけではない、誰もが政策をはじめ「公」のアイデアを提案し関われる新たな手段とイノベーション。そして公は法制度だけじゃない。この国の社会規範・倫理・文化も公の大事な要素。
公の語源は「大きい宅」とも言われており、日本には「公共性」の概念が薄いと言われます。公共性=publicの意味には、❶official、❷open、❸common、の3つの意味合いが内包されていて(齋藤純一『公共性』)、それぞれが対立したりもする。公文書なんかはofficialだけどopenでなかったりするし、公園の多くはopenだけど本質的にはcommonでない。

大阪の都構想を推進された元マッキンゼーの日本支社長の上山信一さんも、「行政には評価がない。行政改革の第一歩は行政の評価を確立すること」みたいなことを書いていらっしゃいましたが(『行政評価の時代 経営と顧客の視点から』)、失敗しても振り返り前進できるよう、意思決定の結果だけでなくプロセスをできる限りオープンにして、しっかりと第三者的なシンクタンクのような機関が評価できるような仕組みをつくっていってほしいと思います
「クリエイティブな勇気」という言葉が響きます。以下のメッセージは作家に限らず、あらゆるクリエーターに問われていることだと思います。

 「個別・具体的な「私の営み」を、普遍的な「公の時間」につなげるのがクリエイティブな作家の仕事です」
パブリックやソサエティーの概念を日本に持ってくるのはとても大変だったでしょう。明治日本、福沢諭吉のような先輩たちの苦悩はよくわかります。概念を外から持ってきて浸透させるには本当に時間がかかります。
いまだに浸透しているとは言い難く、誤解されたまま今に至ってるのかもしれない
"国のビジョンをつくるのは誰か
国のビジョンは文化の世界からつくられるものであり、行政はビジョンを執行する場であるはずです。"
大変興味深い論考です。

「公」の概念は曖昧で国民に広く共通理解があるわけでもないですが、その象徴たる政治や行政には不審が渦巻いています。

「公」の象徴たる政治や行政を批判することは容易いですが、国民自身もそのような政治や行政を生み出していることに寄与していることはあまり指摘されません。

猪瀬氏が指摘するように、独自で多様な文化が必要なことは首肯しますが、その担い手はメディアだけに限られません。「公」を意識できる国民の存在もまた重要です。
国民と政治や行政との関係には、基本的に相互不審が存在しますが、お互いに健全な議論ができない状態では、緊張関係の中にも存在する信頼を得ることはできません。

国民も正解のない課題の存在を認め、政治や行政がそれでも解を示さなければならない存在であることを理解しなければ、独自性も多様性も存在できません。

国民の不在は国民が克服しなければ解決できません。
タイトルからして認識が違うと思います。

コロナ対応は、日本は総合的に見れば、成功している方だと思います。

このようなパンデミックで最も大事な指標のうちの一つは、

「死亡者数(A)に対する総人口(B)の割合(A/B)」で、

日本は、世界の中でもかなり低い数字になっています。成功というのは、政策の目線で見れば、この割合が少ないこと、が成功ということになります。

私は、コロンビア大学大学院に留学しているとき、世界中のエリートから「どうしてコロナ死者数が人口の割合に比べて、japanは少ないのか、抑え込みに成功しているのか?」と繰り返し質問されました。

政策は、ある意味、結果が全てです。むしろ、アメリカやイタリアの方が圧倒的に上手くいっていない、のではないでしょうか。
この連載について
政治・経済の話題に関するNewsPicksオリジナルのインタビューやレポート