2020/8/13

【出前館 会長】社長就任、給料10万円で誰よりも懸命に働く

中村 利江
出前館 代表取締役会長
新型コロナウイルスの感染拡大で外出自粛が続き、フードデリバリーサービスが急伸している。業界のトップランナーが出前館だ。2020年5月の第3Qまでのオーダー数は2,605万件(前年同期比125%)、加盟店数2万4000店(同125%)、直近1年以内に利用したアクティブユーザー数も370万人(同128%)と、利用が拡大している。

成功へ導いたのが、中村利江会長だ。リクルートで営業職としてバリバリ働き、再就職したハークスレイでも抜群の企画力で、女性初の管理職に。そして2億円の借金ごと創業者から出前館を引き継ぎ、見事な経営手腕で上場企業へと押し上げた。最近も機を捉えた先行投資や、LINEとの提携強化などで注目を集める。

カルチュア・コンビニエンス・クラブのカリスマ創業者の増田宗昭氏から「女増田」と評された中村会長が抱いてきた経営哲学とは。(全7回)
売り上げ月2万円、負債約3億円
私が「出前館」を運営する夢の街創造委員会(現・出前館)の社長に就任したのは2002年1月のことです。
37歳でした。ある程度ゆったり働くはずが、1年もたたない内に厳しい世界に自ら飛び込んでいました。
中村利江(なかむら・りえ)/出前館 会長
1964年富山県生まれ。関西大学在学中、女子大生によるモーニングコール事業を立ち上げ話題に。88年、学生時代からアルバイトをしていたリクルートに入社。東京本社広告営業部に配属。入社1年目にしてトップセールスとなり年間MVP賞を受賞。90年、出産・育児のため退社。その後インテリアコーディネーターを経て、98年「ほっかほっか亭」の西日本地区本部のハークスレイに入社。2001年に独立し、キトプランニング設立。同年、夢の街創造委員会(現出前館)取締役、02年に社長就任。09年から会長。一時カルチュア・コンビニエンス・クラブに転出するも、12年に社長に復帰。20年3月LINEグループと資本業務提携を締結。同年6月から現職。
出前館は2000年にサービスを本格スタートしました。インターネットで出前の注文ができるという従来にない利便性が最大のセールスポイントでした。
しかし、当時は加盟店舗数も少なく、自転車操業の状態です。役員になって、最初の取締役会に出席したとき既に資金ショートで、「今月も給料を払えそうにないから、給料日を遅らそう」と話していたほどでした。
このままではまずい。とにかくまず資金を集めないといけないと言って、大阪ガス主催のビジネスコンテストに応募することにしたのです。
私は応募に必要な事業計画や資本政策を急遽作成し、プレゼンテーションをして、どうにか4000万円の出資を受けられることになりました。
この「さあ、ここから」というタイミングで、当時の社長から次期社長就任をオファーされたのです。
私はもともとあまり迷わないタイプです。迷っている間に、チャンスを無にしたくないので、即断するようにしています。
しかし、このときばかりは3日間だけ悩みました。なんせ当時の夢の街創造委員会は赤字経営で、毎月の売り上げは2万円程度。負債は2億8000万円ありましたから。リスクを冷静に計算したら受けなかったと思います。
大化けする可能性に賭ける
それでもなぜ引き受けたのかと言えば、このビジネスはやり方次第で大化けすると考えたからです。
外食市場が縮小に向かい、宅配市場が今後ますます伸びると言われる中で、社会はどんどんIT化が進んでいる。
加盟店への出前注文を一手に請け負うポータルサイトの「出前館」なら、店にとってはコスト削減になるし、ユーザーにとっては多くの店から好きなメニューを自由に選んで注文できる。
まさにこれからを先取りしたビジネスモデルだと思いました。
(写真:jenifoto/iStock)
自分で始めた企画会社はこの時点で年商3000万円くらい。今後3500万円、4000万円に伸ばすことはできても、2倍、3倍にするのは難しい。
でも、出前館というビジネスモデルなら、今は売り上げが月2万円でも、売上高200億円、2兆円を狙えるかもしれない。
「こんなチャンスをもらえる人はめったにいない。だったらチャレンジしてみよう。失敗しても死ぬわけじゃない」と腹をくくりました。出前館の将来性に賭けたのです。
月給10万円に設定
とはいえ、現状は火の車。経営を立て直すためにさまざまな改革を進めていきました。
まず社長である私の給料を社内で一番安い月10万円に設定し、誰よりも懸命に働きました。朝一番に出社し、掃除をしたり、電話を取ったり。
やる気のない社員はどんどん辞めていき、「社長がそこまで頑張るなら一緒に頑張ろう」という社員だけが残ってくれました。
サービス面では、注文方法を変更しました。当時は、大手企業のデリバリーサービスと同じく、注文をメールで受ける仕組みを採用していました。
出前はスピードが命。そこで、ユーザーはネットでオーダーできますが、そのオーダー情報を店側にはファクスで送ることにしたのです。加盟店とユーザー双方にとって、何が一番便利なのかを考えた結果です。
当時、スマートフォンはありません。飲食店が水や油を使う中でパソコンを立ち上げてメールをこまめにチェックするのは無理だと思ったからです。
(写真:bjdlzx/iStock)
そもそも昔ながらの小さな飲食店にはネット環境の整っていないところが少なくありませんでした。出前館はインターネットサービスをうたっていますが、すべてをITにする必要はないのです。
出前館なら、ユーザーはピザや寿司、洋食などたくさんのメニューの中から好きなものを選べます。店舗にとってはチラシを配るよりもコストを低く抑えられます。
ユーザーと加盟店の双方にきちんとメリットを示すことができたことが成功の秘訣だったのではないかと思っています。
同時に、加盟店を増やすための営業を進めていきました。数年かけて営業をかけ続け、すかいらーくやピザハットなど大手がようやく加盟してくれました。
地道な取り組みもしました。それこそ「登録してもいいよ」と言ってくれた飲食店のチラシを自前で作成して近所に配ったり、お客のふりをして注文したり。
実際にオーダーが入るようになると、オーナーが「出前館はなかなかいい」と勝手に宣伝してくれます。
トイレで泣いたことも
社長になったばかりの頃は3日に1度はつらくて辞めたいと思っていたし、3年間赤字続きで、トイレでこっそり泣いたこともあります。
うまくいかないこともたくさんありました。
社長になって間もなくある企業との提携話が持ち上がりました。ほぼ確定だったはずが、契約締結の数日前に「やはり独自でやりたい」と言われ、ご破算になりました。
ここまで資料を開示して、全部ノウハウを取られるのは悔しいと思い、すぐに別の類似企業に電話を入れ、提携にこぎつけたということもありました。
融資もことごとく断られましたね。「女性(が社長)だからいつ辞めるか分からない」とよく言われました。
(写真:turk_stock_photographer/iStock)
あるベンチャーキャピタルの最終審査は、先方の専務との面談だったのですが、部屋に入った瞬間、「え、女の人?」と小ばかにした感じで言われたので、「このお話はなかったことで」と言って面談せずに帰りました。
先入観で、女性だからと差し引いて見られるのには本当に腹が立ちます。
悔しい思いもたくさんしましたが、社員の前では一切、そんな素ぶりは見せませんでした。
社長はいわば企業のエンジンです。そのエンジンが弱音を吐いていたら、会社は前に進めません。
だからこそ、前向きな発言を心がけ、今回は失敗したけど必ずうまくいく、次はこうしよう、頑張ろうと言い続けました。
3つのトップ企業と組みたい
そうして諦めずにこつこつと活動を続けてきた結果、加盟店は少しずつ増え、業績も上向き始めました。
2004年に単月黒字を達成し、同じ年に携帯電話向け情報配信大手のインデックス、ポータルサイト大手のヤフーとそれぞれ資本提携をしました。
出前館の事業は長期的な継続性があるので、きちんと一緒に応援してくださる提携企業を探したいと思っていました。
いずれ出前はテレビを見ながらリモコンから、パソコンから、携帯電話からも頼めるようになる。この3つ、テレビとパソコンと携帯電話のトップ企業と組みたいと考えました。
(写真:kohei_hara/iStock)
当時、テレビの売り上げナンバーワンがパナソニックだったので、大阪の門真に営業に行って、説明しました。
パナソニック側も私と同じような構想があり、「ぜひ出資したい。株を51%持ちたい」と申し出ていただいたのですが、経営の主導権を持っていたかったので、結果的に事業提携のみになりました。
次に行ったのがインデックス。当時、インターネットや携帯電話向けコンテンツの製作・提供ではナンバーワンの企業でした。インデックスの創業者、落合正美さんと意気投合し、4億円、株式比率20%の出資が決まりました。
その後、落合さんとともにヤフーの井上(雅博)さんを訪ねたところ、ヤフーも4億円を出資してくれました。当時、出前館は全くの無名会社でしたが、将来性を買ってもらえたのでしょう。
そして社長就任3年目の05年、創業初の年間黒字を達成しました。そして06年6月には大証ヘラクレスへの上場を果たし、07年2月にはヤフーの増資を受けて傘下に入り、経営基盤も安定しました。
*明日に続く。