2020/7/15

【R&D論】東レはなぜ、市場ゼロからの基礎研究を半世紀続けられたのか

NewsPicks Brand Design / Senior Editor
 科学の進歩と成熟によって、ものづくりの基盤となる研究・技術開発(R&D)はますます高度になっている。このような時代に、どうすれば本質的なイノベーションを起こす「新素材」が生まれるのか?
 東レの副社長でありCTOの阿部晃一氏と、ディープテックで数々のイノベーション創出に携わってきたリバネスの丸幸弘氏の対談で、化学からバイオまで、我々の生活の「素」を生み出す素材メーカーの役割を考察する。

市場のない基礎研究に投資する理由

 僕は2002年に、大学院の仲間とリバネスという会社を立ち上げました。
 子供たちに最先端科学の楽しさや面白さを伝える「科学実験教室」から出発して、現在は多くの研究者や企業の研究所のサポートを受けながら、社会課題を解決する科学技術の実装に取り組んでいます。
 現代の地球規模の課題は、ひとつの技術で解決できるようなものではありません。解決が困難な“ディープイシュー”に対して、国、大学、企業、ベンチャー、個人という垣根を越えたテクノロジーを組み合わせて解決する。それを僕は「ディープテック」と呼んでいます。
 東レさんは、長い時間をかけて優れた素材をいくつも開発してきた企業です。そのCTOを務める阿部さんと話せるというのでとても興奮しています。
阿部 丸さんが起業された2002年の前年度、東レは創業以来初めて、単体で営業赤字に陥りました。当時は大変な危機感を抱いてさまざまな経営改革に取り組みましたが、そのような状況下でも将来を見据えて、2003年に「先端融合研究所」を設立しました。
 もともとは「先端研究所」という名前にする予定でしたが、丸さんがおっしゃったように、これからの時代、異分野の技術や知識の融合なくして、新しい価値は創造できない。だから、研究所の名前に「融合」の文字を入れたんです。
 僕たちが会社を立ち上げたときから「融合」を掲げられていたんですね。単刀直入にうかがいますが、東レさんではどのような点を重視して素材開発を進めてこられたんですか。
阿部 素材の研究・技術開発(R&D)をゼロから立ち上げて事業化までもっていくには、膨大な時間がかかります。有名な例ですが、東レが炭素繊維の研究を開始したのが1961年。10年後の1971年に商業生産が始まり、ボーイング787型機の機体に採用されたのは2000年代に入ってからのことです。
 まったく市場がないところに先行投資をし、半世紀以上にわたってR&Dを続け、ようやく大きな成果を得ることができた。その間、拠り所にしてきたのは、この技術はきっと社会の役に立つという強い思いでした。
 1960年代にも飛行機はたくさん飛んでいました。しかし21世紀になると、もっと多くの人たちが世界を飛び交うようになるだろう。だとすれば、航空機の燃費をよくするために軽量化が求められるに違いない。
 そのとき、強靭で軽くて錆びない炭素繊維は最適な材料になることを先輩たちが見抜いたからこそ、R&Dを継続できたのだと思います。
 そしてその根底には、社会の役に立つ素材を作るという東レのR&Dの基本思想がつねに流れていました。

極限を追求することで得られるもの

 僕が気になっているのは、炭素繊維のような“強くて軽い素材”の研究開発はかなり限界まで来ているのではないか、という点です。
 この半世紀以上、天才的な研究者がコツコツと技術を磨いてきて、もう極限まで来た。そう考えると、これからそれを凌駕するような飛躍的な発展は、なかなか生まれにくいのではないでしょうか。
 だから僕らは、技術を組み合わせたほうが課題の解決につながりやすいと思っているんですが。
阿部 そうですね、丸さんがおっしゃるように、技術を組み合わせて課題を解決する「技術融合」や、適材適所の材料を用いて最終製品を作る「マルチマテリアル」という発想はとても大事です。
 一方で私は、「極限追求」と「超継続」が東レのR&Dの重要なDNAだと思っています。
 ひとつの技術を極限まで追求することによって、特性もまだまだ向上できる。もっと言えば、極限追求で新しい何かが見えてくると考えています。
 たとえば、炭素繊維は強度が強いと言われていますが、実はまだ理論強度のごくわずかしか実現できていないんです。
 この図を見ていただくと分かるとおり、半世紀にわたってR&Dを続けてきた炭素繊維でさえ、理論値と実際の強度には大きな隔たりがある。
 若手の研究者たちには、粘り強く極限を追求し、先達が越えられなかった壁をブレークスルーしてほしいと期待しています。
 なるほど。ボーイング787型機にも採用されたほどだから、もう極限に近づいているように見えますが、まだまだ磨いていける余地があるんですね。
 これは我々にとっても夢のある話です。素材のブレークスルーが起これば、組み合わせる技術のパーツが増えるわけですから。
阿部 ええ。組み合わせという意味では、ボーイング787型機に使われているのも炭素繊維と樹脂(プラスチック)の複合材です。
 鉄筋コンクリートでいえば、鉄筋が炭素繊維で、コンクリートが樹脂。それぞれの組み合わせ方によって、強度が上がります。
 よく分かります。異なる素材をいかに結合させるかが、大きな技術課題ですよね。異種接合って、そう簡単にくっつかないじゃないですか。
阿部 ええ。そうなんですよ。
 それを結合させるボンドのような技術も、もう持っているんですか。
阿部 持っています。ただ、そこは当社にとって大事なノウハウなので、あまり特許も出していません。
 「技術的な参入障壁=特許」と考える人が多いんですが、実際は特許と、あえてブラックボックスにしてあるノウハウの両輪が合わさって初めて参入障壁になるんです。
 丸さんに聞かれた接合部分は、リバースエンジニアリングをしても、なぜこれほど強固にくっついているのか、分かりませんからね。
 そこが、ものづくりの妙ですね。
 東レさんは化学の会社といいながらも、研究開発の過程で他が真似できないものづくりのノウハウを蓄積している。
 そういうところが日本企業の強みじゃないかと最近つくづく感じています。
阿部 デジタルじゃなくてアナログなんですよね。過程や中間のディテールを注視するからこそ、派生的なノウハウが得られる。
 それに、何をどうすれば融合の妙が出るかという最初の発想は、人間じゃないとできません。いくらAIが進歩しても、それだけは解決できないんじゃないでしょうか。

AIは、天才研究者を増やすか、減らすか

 素材開発の分野では、最近、「マテリアルズ・インフォマティクス」というAIを使った取り組みが注目されていますね。
 いままでは、研究者がトライ&エラーで素材を組み合わせ、新しい材料を作り出していた。そのプロセスにAIやロボティクスを導入することで、仮説の検証やデータベースづくりは飛躍的に効率化されます。
 そういった取り組みもすでに行われているんですか。
阿部 そこは力を入れてやっています。ただ、やはり最初の井戸はAIでは掘れない。そのあとのスクリーニングの部分での可能性は、大いに感じているんですが。
 僕が個人的に気になっているのは、「AIの活用が進んだ先に、天才研究者は現れるのか」です。
 生身の研究者は、明日は大発見をするかもしれないと、ワクワクしてラボに籠もっていた。実験結果を穴が開くほど注視するから、思いもよらない発見があった。
 先ほど阿部さんもおっしゃったように、「派生的な発見」が科学的なイノベーションの本質だと思うんです。
 機械に研究プロセスを任せることで、イノベーションは増えるのか、減るのか。阿部さんはどう思いますか。
阿部 スクリーニングなどには機械による効率化を徹底的に活用すべきですが、私自身は、人の手による研究はなくならないし、必要だと思っています。
 R&D畑をずっと歩んできた私から見ると、やっぱり最初の発想って理屈ではなかなか説明できない「不連続」なものなんです。
 ここはAIも苦手ですから、AIを使ったところで研究者の本質は変わらないし、大発明をする天才も、きっと出てくるでしょう。
 たとえば僕の専門のバイオ分野でいえば、遺伝子の解析に機械を使えるようになったおかげで、人がもうひとつ先を思考できるようになったんですよ。
 いままでは遺伝子の配列を読むときに、膨大な時間を使って手動で実験していました。でもその時間が省略できると、出てきたデータを解釈して、次の発想につなげていくことに時間をかけられます。
 課題を設定できれば、ロボティクスやAIがある程度のソリューションを持ってきてくれるけれど、課題を深掘りしてイシューを突き詰めることは機械にはできない。
 これから研究開発のプロセスが大きく変わっていくなかで、ディープイシューを捉え、課題を設定することに人間の重要性があると考えて、僕は「課題発見」のほうに回ったんです。
 そういった時代性も含めると、次の天才がどこから出てくるのかに興味があるんですよね。

「イシュー」は地球規模でつながっている

阿部 いまのお話にはとても共感します。東レでは研究テーマを選ぶうえでも、社会にどう貢献できるかをいちばん重視しています。
 東レでは年間約700億円をR&Dに投資しています。ただ、東レが手掛けている分野は多岐にわたっているので、アナリストの方からは「700億円でよくこれだけの分野をカバーできますね」と言われる(笑)。
 しかし、東レがR&Dを行っているのは「先端材料」です。その出口の事業分野が多岐にわたっているので分散しているように見えますが、我々は「材料」に選択と集中をしているのです。
 振り返ると、合成高分子が発明されたことで合成繊維産業が生まれ、今の基幹となるようなユニークな製品もできた。あるいは、半導体が発明されたことで、現在のエレクトロニクス産業につながった。
 材料は最終製品の中に隠れてしまうため、目立たないし売上高も小さいけれど、次の時代の産業や社会システムの礎になっていくことは歴史が証明しています。
 そのとおりですよね。僕は地球規模の課題として大気汚染を重視していますが、その分野でも東レさんは礎となる技術や製品を持っています。
 インドのデリーに行ったとき、すぐに鼻の奥が痛くなった。工場や自動車の排ガスのせいかなと思ったんですが、実はいちばんの原因は焼き畑農業で排出される煙でした。
 このようなケースは地球の至るところにあるので、いまシンガポールのベンチャーと組んで「地球の空調を作る」というプロジェクトに取り組んでいます。
 部屋の空調を作る会社はたくさんある。じゃあ「地球の空調は誰が作るの?」というのが、僕の中のビッグクエスチョンなんですよ。
阿部 「地球の空調」ですか? どんなアプローチなのか知りたいです。
 簡単に説明すると、鼻の粘液が汚いゴミをつかまえる仕組みを模したものです。さらに、その粘液に含まれる重金属を藻類に吸着させれば、大気汚染だけでなく重金属問題も解決できる。
 そうやってバイオとケミカルの両方の知恵を合わせて、持続可能なエコサイクルを作ることに挑戦したいんですよね。
阿部 非常に面白いですね。我々も、R&Dへの投資の50%をグリーンイノベーションに、30%をライフイノベーションに投じています。
 私は地球環境問題の根源は、「エネルギー」「食料」「水・空気」に帰結すると思うんですよね。丸さんが社会課題として空気に着目されるのももっともだと思います。
 それに、グリーンイノベーションとライフイノベーションは、最終的にはつながっていますよね。
 水や空気がきれいになっていくと健康になり、ヘルスケアの問題も同時に解決されていくわけですから。

ワクワクする研究なら、継続する

 いやぁ、今日のお話は僕にとってとても有意義です。リバネスでは既存の技術を組み合わせて課題を解決するアプローチをとっていますが、そのためには、人類の英知を前進させる基礎研究が必要です。
 もちろんコストもかかるし、実用化が見えない状態で研究を継続しなければならないんですが、それがないといざ大きな課題が持ち上がったときに、本当に重要なワンピースが足りなくなってしまう。
阿部 私は、東レという会社はベンチャーの集まりみたいなものだといつも話しています。
 ベンチャーは、新しい飯のタネを基礎研究で見つけてこなければならない。会社が大きくなっても、その基礎を怠ると東レではなくなってしまうんですね。
 その社風を守るために、当社では「アングラ研究」を推奨しています。研究者は勤務時間のうち20%を「上司に報告しなくていい研究」に費やしてもらう。「やってもいい」ではなく、「やってください」と奨励しています。
 実際、そういうアングラでコツコツやっていた基礎研究の中から、いまの東レの事業基盤を支えている発明が出ています。
 つまるところ、そういうふうに自分自身で課題設定した研究をワクワクしながら続けられる人材が、世界を作っていく。
 リバネスでは東レさんと一緒に「青空サイエンス教室」という小学生向けのイベントをやっています。自然のなかで、五感を使ってサイエンスの面白さを感じてほしいという狙いから始まったものです。
 なぜ先の見えない研究に打ち込めるのかというと、楽しいからです。それこそが科学技術の根本を作ってきたんじゃないかと。
阿部 私が数年前のIRミーティングで言って大爆笑された言葉があります。
 「東レがR&Dを継続する条件は?」と聞かれて私が答えたのは、「私がワクワクするテーマなら継続する」。
 (笑)。本当にそれが、サイエンスやテクノロジーのエッセンスだと思います。絶対正しいですよ。
阿部 丸さんも同じでしょうが、私の子供の頃を振り返っても、科学にワクワクするという感性が大事だと思うんですよね。
 多くの人がワクワクする領域には、研究者が集まり、投資も増え、事業としてもサステイナブルに進歩していく。
 これからも新しい素材開発に取り組むだけでなく、リバネスさんの知恵もお借りしながら科学の面白さを世に伝えられる仕掛けを考えていきたいですね。