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「円周率とは何か」と聞かれて「3.14です」は大間違いである

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言葉をどう定義するかが大事、という話と解釈しました。

日本の学習はテクニックに走ってしまうので、円周率は3.14となる。
そもそも円周を図るにはどうしたらいいか、ロープを円の周りに付けて、一周したときの長さを直線で計ったもの。円自体はコンパスの原理で描いたものですかね。
さらになんとか円周の長さを効率的に計算する方法はないかと考えに考え抜いた結果、直径に一定の数字を掛けると円周を求めることが出来た、これが円周率であった。
また、円は小さな三角形の集合体であるというところから、半径を二乗したものに同じ率を掛けると円の面積が求められる、ということにも気付いた。

数学は詳しくないので正しくはこんな感じでしょうか。なぜ、その解が言葉が作られたのか、数学は経過が大事ですね。

これが考える力であり、論理的思考能力であり、仕事の中でも新しい仕組みを作り出す力だと思います。

昔は作り出した仕組みを回すために人力であったために論理的思考がなくても仕事が多かったが、今はコンピューターで多くの仕組みを回すことができるやになってしまったために、個々が新しい仕組みを考えるための論理的思考能力が必要となっている。

流れ的に学校でプログラミングを学ぶのが必須になるのは当然ですね。
大丈夫かこれ。何を教えたいだろう。

"私は「円周率とは何か」を訊ねています。つまり円周率の定義です。円周率の値を訊ねているわけではありません。"

これでは質問になっていない。定義と説明は違う。
言葉の勉強とやらをやり直した方がよいのでは。

だいたい、円周と直径の比であるという定義である必要性はないわけで、「円周率」という名称は誤解を招く。このような呼び方をしているのは日中韓語とドイツ語(Kreiszahl=円周数)くらいで、他の多くの言語圏では単純に「π」(パイ)と呼ぶ。

円周率を半径ではなく直径と円周の比として定義された値を広めてしまったのは、数学記号の歴史の最大の失敗の一つ。半径で定義していれば、例えば「半径1の円の円周」という自然な定義が可能だった。πは二次元ユークリッド空間で自然に現れる量なので(そうでもないが、、)、折衷案として半径1の円の面積をπと定義するサージ・ラング式の定義のやり方もありだと思う。

学問はどの分野も言葉なので、言葉が数学の本質と言われると、それはどこの分野も同じでしょうとなる。

論理の学問と言えばまあそうだが、それは手続きを重視する形式科学だからで、論理学が数学と言われると、その上に築かれている豊潤な概念の価値を見誤る(むしろ圏論かも)

確かに数学は計算ではないが、計算もまた論理であり言葉であり、計算を軽視すれば数学の本質から遠のいてしまうのもまた真実。計算は数学を血肉にするために必要なプロセス。

本質とは何かという問いの答えは、似て非なるものと一線を画す性質でなければならない。数学にしかないものは何かといえば、「無限」を手続き的に完全に扱える枠組みがあるか否かとも言える。算数では無限は扱えない。

3.14は小学校までの「算数」なので、中学高校までの「数学」を例にするなら、3.14ではなくπと答えるべき。高校までの数学の目的は、公平に勉強の習熟度合を測るための科目なので、計算ばかりでプレゼン能力が身に付かないのは当たり前のこと。

いかにも「確かにそうだ」と思わせるかのようなことが散りばめてあるが、どこにも数学が語られていない。

ビジネスで求められる考え方を「数学っぽく」語っているだけ。まあいいんだけど。
円周率の定義は単純。

が、円周率πを求める公式は多数存在します。なんでそんな変な式が円周率に関係ある?と言いたくなるものばかり。最近話題になったラマヌジャンが編み出した式もいくつか掲載されています。

数学の深遠なる世界へ、ようこそ。

円周率
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%91%A8%E7%8E%87

インドの数学者ラマヌジャンの「驚異のひらめき」
https://newspicks.com/news/4968935
言わんとすることは理解しますが、この手の形式の質問は誤読・聞き違いされやすいことが容易に想像できるので、質問する方にも一定の配慮が必要と考えます。ビジネスの場面なら尚更。

質問の趣旨が誤って解釈されると双方に負担ですので、
定義が聞きたいのなら「円周率の定義はなんですか」と具体的に尋ねた方がスムーズです。

まあそういう趣旨の記事ではないのでしょうけど。
さすがプレジデント。また私も寄稿しようと思わせる納得感。要するにリベラルアーツの本質そのものを言っていますね。

いい国作ろう鎌倉幕府 0点
自分が頼朝ならこうする 10点〜100点

こんな感じで得点配分を決めておけば、あっという間に筆者の言っているよな世界が訪れる。

計算は普通にほとんどの人ができるようになる。考える訓練をするのが本当の学問。日本には寺子屋という素晴らしい教育訓練校があったわけだから、また考える学問を導入できるはず。まだまだ日本語でやってもいいし、10年後は他言語でそうするともっと世界を驚かせる人材が排出されるはず。
数学は世界共通の論理・思考。国語はその国のコードによる理解・表現。プログラミングは世界共通コードによる表現・実装。いずれも根っこは楽しいものですが、作業や暗記に偏っちゃうと楽しくない。小学生のとき覚えた円周率を今でも100ケタならスラスラ言えるけど、一度も役に立ったことはなく、ムダに埋めた脳のキャパを返してほしいよ。
揚げ足をとるようだが、では問いを投げかけている人は、自分の国語力をどう感じているのだろうか?
円周率とは何か?
その質問の仕方では、さまざまな解釈が受け手に生まれるとは考えずにその言葉を選んでいるのであれば、数学云々言う前に、まず国語を勉強すべき。

おそらく、記事にする為だけに、わざと、そのような言葉で質問を作ったのだろうが、それが逆に説得力を落としている。

私は数学脳では無いタイプの人間だが、ストレートに分かりやすく物事を伝える力はあると自負している。

国語と数学の関係性について無理やり結論付けた感を感じるのは私だけだろうか?
数学がコトバや論理ではなく計算として理解されてしまうのは、中学までの授業が計算に力点を置いているからだと考えます。
中学校で学ぶ図形の証明問題は苦手とする生徒も多く、部分点狙いの丸暗記です。

もちろん計算力も大切ですが、数学的な考え方を押さえないと使えない知識になってしまいます。
北野監督が映画のカット割りで因数分解の考え方を用いていたことは有名な例です。簡潔に論理を伝えるためには、欠かせない思考です。
「公式を覚えればOK」的な考え方も、成功事例などを求める志向に寄与していると思うんだよね。数学は論理の学問であると思うのだけど。算数の分野になるのかもしれないけど、単なる計算問題ってなんの意味があるんだろうと思う。
数理論理学の話でしょうか?確かに、計算よりも「原理」を発見する方が、奥が深いですね。

そう考えると、数学は、論理性を鍛えるために最高かもしれません。そうであれば、日本のように理系と文系を分ける必要が、ますますなくなりますね。

※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません