【解説】豊田章男の言葉から、「トヨタの10年」を振り返る

2020/6/30
その日、豊田章男が泣いた。
2020年6月11日、トヨタ自動車の株主総会。豊田社長は、トップに就任してからの約10年間を振り返りながら、株主の前で言葉を詰まらせた。
“番頭”の小林耕士執行役員も過去を回想しながら涙を流す場面があり、株主もそれに感動するという、なんともドラマチックな株主総会だった。
涙の意味は、直近10年に味わった苦しみにある。
2009年、トップに豊田社長が就任したとき、トヨタは危機にあった。2009年3月期は、リーマン・ショックの影響で過去最悪の4610億円の営業赤字。社内に御曹司の社長就任を祝う雰囲気はまるでなかった。
それから11年──。
トヨタは「危機が来ても利益を出せる」組織への変化を目指し、地道な体質強化を続けてきた。
その結果、コロナの打撃をモロに受ける2021年3月期には、リーマンショック時以上の販売台数の落ち込みが予想されるものの、5000億円の営業黒字を予定している。
もし10年前と同じ収益体質であれば、トヨタはコロナショックで、リーマン時を超える赤字を残すことになっていただろう。
この10年で、何が変わったのか。豊田社長の発言を追いながら、振り返っていく。
リーマン・ショックが起こる直前まで、トヨタは絶好調だった。
08年3月期は2兆2703億円の営業利益をたたき出し、日本企業として過去最高の数字を達成していた。
当時の好業績をさかのぼると、95年に社長に就任した奥田時代にたどり着く。たたき上げのサラリーマンからのし上がった奥田碩元社長は、攻めの姿勢で拡大路線を敷いていった。
国内ではダイハツ工業を傘下に収め、海外では北米を中心に巨額投資。GMやフォードの背中を追った。
拡大路線はその後の、張富士夫(在任期間:99〜05年)、渡辺捷昭(05〜09年)時代も引き継がれ、世界需要の拡大もあって、トヨタの業績は右肩上がりで成長していった。
この拡大期における積極的な投資が、トヨタを世界トップの自動車メーカーに押し上げたことは間違いない。
ところが、好業績の裏側でトヨタは過剰に膨張し、利益効率の悪い組織になっていた。
つくれば売れるという意識の下、毎年50万台以上の生産能力の増強を続け、固定費が大幅に増加をしておりました。

この時代は、トヨタが世の中から一番称賛されていた時期でもあり、時の勢いに任せて身の丈以上に規模の拡大を進めた結果、人材育成が疎かになり、のちのリコール問題にもつながっていったのだと思います。
(2020年 株主総会にて)
モデルチェンジを繰り返して新車をたくさん生産すれば、飛ぶように売れる。需要の増加とともに売り上げが増えるため、「儲ける」ことへの意識が薄れていたのだ。
下図を見てほしい。