【アパ代表】家は「進化の証」。停滞人生を生きるな

2020/6/24
大手ホテルチェーン「アパホテル」のグループ会社代表・元谷外志雄氏は、不動産業のプロ中のプロだ。
生まれ育った石川県小松市で創業して約50年。住宅事業、マンション事業、ホテル事業へと広げていき、いまや国内外に650超のホテル、客室数10万室超を誇る日本最大規模のホテルチェーンを展開。コロナにも負けず、急拡大を続けている。
そんな元谷氏に、自分の家をいつ、どこに、どのように持てばいいかを聞いた。

新しい家を求めるのは進化の証

━━住まい選びには、「都心か、郊外か」、「賃貸か、持ち家か」、「マンションか、戸建てか」など様々な論点があります。読者に向けて、住まい選びのアドバイスをいただけますか。
私は「10年以上、同じ家に住んでいるとバカになるよ」と言っています。
自分が進歩して大きくなっていく過程で、もっといい家に、もっと大きな家に、もっと便利な場所に……と新しい家を求めていくのが、進化の証です。
逆に言うと、同じ家にずっと住み続けているというのは、その人が停滞している証です。
停滞人生をずっと生きるのか、それともどんどん成長して躍進し、自分の力やバリューに応じたところで生きるのか。
それに10年ごとに自分の進化に合わせて新しい家に住むのは、刺激にもなりますよ。
特に若い人には、自分の家を早く持つ、いわゆる「自分の城」を持つことが成功の秘訣だと伝えたい。
資産を持つことによって人からも信用されますし、資産が収益を生みますから、早いほうが得なのです。
━━元谷さんも若いうちに「自分の城」を持ち、住み替えていったのですか。
私は20歳のとき(1963年)に初めて自分の家を石川県小松市の近郊に建てました。そして27歳で会社を創業し、1、2、3番目の家までは小松市内で建てました。
小松の家もそれなりにいい立地でいい家だったんですよ。近くに競技場があって野球や陸上、相撲をするから人が大勢来る。鉄筋の地下1階・地上2階建てで、ガレージに4台、外車を置いていた。
でも、北陸なら何をするのも金沢だということで、1982年に本社を金沢市に移転し、長町の武家屋敷に土地を買って家をつくりました。これが4番目の家。
金沢市長町の武家屋敷周辺(写真:TkKurikawa/Getty Images)
その家は、外観は木造に見えるけれどもRCの鉄筋コンクリート造りなんです。
なぜ鉄筋コンクリートにしたかというと、戸建ての木造住宅には柱がいるから大空間がつくれない。あれが嫌いなんですよ。だからRCの壁式構造にして、広い空間をつくりました。
家の前には川が流れていて、庭に曲水で入り込んでいる。その川の上に橋を架けて、茶室をつくりました。敷地が400坪ぐらい。その家は今もあって、別荘の一つにしています。
それから支店を北陸三県に広げて、1997年に東京に進出し、2001年に西麻布に家を建てました。これが5番目の家で、よくメディアでも公開しましたね。
2002年に本社を東京・赤坂見附に移転し、2016年に東京某所に6番目の“迎賓館”を建てました(笑)。地下1階・地上7階建てで、高い塔があり、東京を一望できます。
━━会社が大きくなるにつれて、家もグレードアップしているのですね。一般のビジネスパーソンも、そのような住み替えができますか。
実は、普通の不動産を売ると利益にまるまる税金がかかりますが、自分の家を売ると、居住用財産の買い替えに伴う特例で税金がかからないんです(※編集部注:マイホームの「3000万円特別控除」。売却益が3000万円を超えた場合は課税対象になる)。
その免税を利用して、家を売って利益を出し、次にもっと大きな家を買い、それを繰り返しました。

賃貸は収益を生まない

━━賃貸で住み替えるのはダメでしょうか。