パンデミックに際して、私たちはいかに「移動」が現在の社会の根幹となっているかを痛感している。グローバルな移動によってウイルスが世界中に拡散し、都市封鎖や物流を制限すると、世界の経済活動が急激に減速する…。このような社会のあり方をいち早く示していたのが、社会科学において最も注目される研究者の一人であるジョン・アーリだ。

本連載ではアーリが2008年に刊行した書籍『モビリティーズ──移動の社会学』から全8回にわたって、「移動」がいかに社会の根幹を成し、社会を変えてきたかを紹介する。
動き続ける社会とシステム
「よその場所」─そこは情動の場になり得る場所─に行きたいという、より一般的な欲望は、日常生活の物質的営為に見られたいくつかの歴史的な転換から生まれたものである。それらは、土地の社会的営為から景観の社会的営為への転換である。
土地は、耕し、種を蒔き、放牧し、建てるためにある有形の物的資源であり、実用的な仕事の場所である。土地は売り買いされ、相続され、子孫に受け継がれる。住まうとは、生産活動と非生産活動が互いに響き合い、一定の拡がりを持つ土地と響き合い、その歴史と地理が奥深くまで知られている生活に加わることである。
人びとと、農耕、営林、採石、採掘などに見られる事物との間に距離はない。情感が場所と緊密に結びついている。景観の場合は無形資源が発達し、その特徴は外観や外見にある。
景観の概念は18世紀から西欧で広がり、特殊化した視覚のより一般的な出現に不可欠の要素となっている。つまり、この視覚は他の感覚から独立し、新たなテクノロジーに基づくものになったのである。
この視覚を組み立てる力について必然ないし自然なものは何もない。実際のところ、視覚が他の諸感覚との絡まり合いから抜け出すまでには数世紀に及ぶ角逐があった。
視覚による情動
フェーヴルの論じるところでは、16世紀の欧州では、「繊細な聴覚や鋭敏な嗅覚と同様に、この時代の人びとは間違いなく鋭い視覚を持っていた。しかし、厳密に言うと、人びとはまだ、他の感覚から独立したものとしての視覚を有してはいなかった。
それゆえ、当時の人びとは流動的な世界を生きていたという。すなわち、存在するものは次々にその姿かたちを変え、境界は瞬く間に変わってしまい、社会的世界や物理的世界の体系的な安定性などなきに等しい世界に生きていたのである。
「相互作用」がこの流動的で移ろいやすい知覚形態を記述するものであり、この知覚の移ろいやすさが16世紀の生活を特徴づけるものであった。
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続く二世紀に渡って数多くの変化が生まれた。中世の宇宙論のアプリオリな知識よりもむしろ視覚による観察が科学的正当性の基礎をなすと目されるようになった。
視覚による観察はその後、まさに西洋の科学的方法の拠りどころとなり、その礎石をなしたのは主に視力によって生み出され確かめられる感覚与件であった。
そうした「目に見える性質」を扱う数々の科学が、視覚による分類学(とりわけリンネの分類学)を中心に体系化されて発達した。視覚による分類を支えた近代のエピステーメーは、個としての主体、ものを見る目、そうした目が作り出すことができる観察、区分、分類からなるものであった。
この変化にしたがって、旅行に関する論説もまた、自らの耳で講話を聞く機会として旅行を学術的に重視するものから、自らの目による観察に力点を置くものへと移って行った。さらに、科学者たちの探検が広がるなかで、旅行者たちはもはや、自らの観察が科学の一部になるとは期待しなくなった。
旅することの正当化(相対的に見て莫大な費用がかかるために十二分な正当化が必要とされた)は、科学によってではなく、眼識、すなわち「十分に訓練された目」によってもたらされることになった。
「景観」という新たな考え
建築物、芸術作品、景観の眼識はとりわけ18世紀後半に育まれ、この時期に「景勝地の観光(シーニック・ツーリズム)」が英国で広がり、後にはヨーロッパ全域に広がった。そうした眼識は、新たなものの見方をもたらすようになった。
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すなわち、「一歩引いた超然とした態度で終始物静かに視界を見据えながら、長々と瞑想にふけるような」見方である。この視覚によって、しばしば距離を置きながら物や環境を自分のものにしてしまうことが可能になる。
距離をとろうとすることで、日常的な経験の雑然さから身を引いた固有の「見通し」が得られる。英国湖水地方、アルプス、デンマークのボーンホルム島といった荒れた原野からなる地域は、かつては不安と恐怖の源泉であり、嫌悪の対象となる場であった。
しかし、そうした地域は肯定的な情動の場に変容するようになった。レイモンド・ウィリアムズが「景色、景観、イメージ、新鮮な空気」と呼ぶものに変容し、都市居住者による観光のまなざしを待ち受ける場所へと変わり、崇高で絵画的な景観という新たな考えが見られるようになった。
続く19世紀の間に、ありとあらゆる自然が、広く、景色、眺望、知覚刺激をもたらすものとみなされるようになった。1844年には、ワーズワースが景観の観念が近年になって広がっていると伝えており、アルプスについても湖水地方についても情動を喚起する景観として称揚している。
かつては、「家の窓から見渡すことのできる風景がどれほど美しくとも」家の前には納屋と離れが建てられていた。ところが、19世紀中頃になると、家屋は、まるで一種の「カメラ」であるかのように「見晴らし」を考えて建てられるようになった。
こうして、眺望という言葉が、自然の経験に対して特有の視覚構造を規定したのである。遊歩桟橋、海浜遊歩道の建造や海辺の整備は、さもなくば荒れ狂った「自然」の海に対する視覚による消費をもたらした。
写真によって「旅」は「観光」へ
前述したように、オスマンのパリ大改造によって、大都市の人びとははじめて遠くまで見渡すことができるようになり、その目は都市の名所に誘われ、人びとは目的地と出発地を心に描くことができ、そうしてパリは「他にない魅惑的なスペクタクル」になった。
こうしたなかで、新たなまなざしのテクノロジーが生み出され広がり始めた。たとえば、そうしたものとして、葉書、ガイドブック、商品、アーケード、カフェ、ジオラマ、鏡、厚板のガラス窓、なかでも写真が挙げられる。
とくに1840年以降になると、観光旅行と写真撮影が結びつくようになり、両者は手を取り合って発展していくことになった。この二つの営為は、後戻りすることのない一大二重螺旋のなかで、互いに作り変えている。
「観光のまなざし」が登場したのはこの時期からであり、モバイルな近代世界の形成にずっと寄与している。
カメラ、フィルム、写真といった物を通して、そして当初は〔誰でも簡単〕「コダック・システム」を通じて、場所は「コダック化」され、欲望の対象となり、カメラが向けられている。
新たに写真が撮られた情動の場として、地中海、アルプス、カリブ海、グランド・キャニオン、エキゾチックなナイル川、特有の匂いを発する漁村、水全般などが挙げられる。
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こうして19世紀以降、「展覧会としての世界」が確立され、この「世界を写真のように見る」ことは無数の場所と人に長大な影響を及ぼすことになった。
また、写真を撮ることは、さらにもう一つの移動をもたらしている。つまり、手頃なサイズの数々の印画紙が人から人へと手渡され、世界中に送られ、プレゼントとして渡されている。
場所は「生活」だけでなく、「消費」も
ワーズワースの詩『兄弟(The Brother)』は、人びとがある文化に属するのを止め、文化を見て回るばかりとなる時代の到来を告げるものであるとみなされている。
すなわち、比較、対照、収集を行い、ヴェニスに死すために、文化を見て回るというのである。特殊化した視覚が、現代世界を特徴づけている。
E・M・フォースターが記したように、「コスモポリタニズムというものが実現するならば、...森や牧場や山は単なる風景になってしまう」つまり、土地ではなく景観になるのである。場所は見聞き、比較、評価、所有の対象となる。
場所は、そこに住む人やさらには訪れる人にとって、その場所特有の結びつきや意味合いを有するものではなく、各々の場所を目立たせる抽象的な特徴を組み合わせたものとなっている。
たとえば、他の場所よりも眺めがよいとか、コスモポリタンの気風があるとか、クールであるとか、エキゾチックであるとか、グローバルであるとか、環境の保全が進んでいないなどといった特徴が組み合わせられているのである。
この抽象的な特徴を示す言語は移動性を有しており、観光客、会議に参加する旅行者、出張旅行者、環境保護に取り組む人びとといったモバイルな集団からなる生活世界を言い表している。
これは移動による消費であり、身体、映像、情報がさまざまなかたちで地球全体を駆け巡り、地球全体が抽象的な特徴描写の下に置かれている。
浜辺では「すべてが役者であって観客ではない」
おそらくは、そうした消費の場所のなかで最もイコン的なのが浜辺である。レイチェル・カーソンが記しているように「海辺は不思議に満ちた美しいところである」が、それは、浜辺が次の瞬間にまったく同じ姿でいることがないからである。
浜辺は、合間の場所であり、純然たる土地でも海でもない。そして、過去二世紀の間に、浜辺は嫌悪と危険の場所から、人びとを誘う欲望の場所へと移り変わった。
浜辺は、訪客がいつまでも眺める場所になり、土地というよりは景観の優れた場所になり、とりわけ仕事をする場所ではなく余暇に過ごす場所になったのである。
このなかで、長期的な順化のプロセスが生まれ、浜辺の景観を乱す現地の人びとの営みが消えていった。現地の人びとたちは「召使いのように使われ」、観光のまなざしの対象へと変貌した。
この事態は、絵画の様式の変容に映し出されている。絵画のなかの浜辺は、仕事や作業をする場所から、ゆっくりと散歩する場所へと変転しているのである。
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さらには、とくに地中海とカリブ海のまばゆい浜辺が、地上の楽園と目されるようになっている。
浜辺は訪客が一時的に身を置く典型的な場所になり、彼らは普段は使わない小道具一式を手にしていた。20世紀前半の欧州と北米の富裕階級にとって、浜辺は溢れんばかりの情動の場となり、この上ない幸福と野放図さが見られる場所になった。
さらに、20世紀を通して、この異様な境界域にある場所はさらに広範な欲望の対象となり、工場、仕事、家庭生活に対して象徴的な「他のもの」を示すようになった。
浜辺は、太陽の光を浴びる場所として、世界中の欲望の対象となり、浜辺で日焼けした身体というイコンは、身体がより一般的に言って「マスク」ないし「記号」になっていることを示している。
ここから、日焼けの他にも身体をさまざまに装飾し物理的、化学的に変化させることが生まれ、こうして自己なるものは不安定化し、身体そのものが「モバイル」になり、(衣服をまとった)型にはまった富と権力のヒエラルキーを覆すものになっている。
海と土地との間にあるこの細長い境界域は何かを規定するものではなく、幾種類ものゆったりした演示を見せるための舞台へと変容している。シールズによれば、浜辺では「すべてが役者であって観客ではない」。
この細長い空間は、現代の余暇と観光の複合的、競合的、時には周縁的な演示の要をなす舞台である。
訪客は、観光客用の舞台である浜辺で演示者へと変わらないわけにはいかない。その独特な場所に相応しい演示を行う訪客たちが訪れ、眺め、住むことで、浜辺は舞台としての命が吹き込まれる。総じて浜辺は「余暇の生活を象徴する空間」である。
もう止まらない「場所の消費」
この細長い空間がグローバルなイコンに変貌していることは、土地から景観への、仕事から遊びへの社会の移行を表している。
そして、数々の社会にとって、浜辺は国民らしさを象徴するものであり、たとえばオーストラリアのボンダイ・ビーチ、さまざまな西インド諸島を取り囲む浜辺がそうであり、遊びや歓びはナショナル・アイデンティティの要をなしているのである(そして、浜辺では多くの仕事が人びとに遊びを提供している)。
しかし、浜辺は現れては消えていく。さらに欲望の対象になるところもあれば、もはや欲望の対象にならないところもある。
「時代遅れ」になってしまった北欧や北米の浜辺もあり、その凋落は、自動車移動や航空旅行が浜辺間のナショナルな競争とグローバルな競争を大いに高める以前の時代から起きている。
温泉や保養地は、しばしば悲嘆の場所であるというイメージとともにある。つまり、どこか他のところに、とりわけ無上の幸福をもたらす新たな浜辺に行くことができないために訪れるところとなっている。
したがって、場所は次々に作り出され、同じように次々に「旅先を巡る」なかで消費され、浪費され、使い古され、ついには、抽象的な特徴を組み合わせたものになる。
旅の営為は、このように動き続け、もはや前向きでない情動の場を置き去りにしてしまうこともある。
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そうした世界の「旅先を巡る」なかで、姿を見せる場所もあれば姿を消す場所もあり、拍車のかかる場所もあれば、減退したり忘れ去られたりする場所もある。
人びとは、「退屈な場所」、すなわち、そこに否応なく縛りつけられ、時の流れが固定され不変である場所から逃れようとすることもある。退屈な場所は、北欧や米国の多くの旧式のビーチ・リゾートのようにいつまでもどんよりとしたままであり、〔刺激の〕「低速車線」に取り残されている。
しかし、そうした場所は、ノスタルジアやギャンブルを演示する場所として生まれ変わることもある。以上のような場所は、すべて商品とサービスを消費するための場所である。商品やサービスは、しばしば場所の転喩になっており、部分が全体を表す関係にある。
場所の消費には、その場所の文化特有の商品やサービスを消費することが含まれることがある。モロッチが記しているように、「観光客向けの品物は、むしろはっきりとした場所性を有している」。
名産品は場所に織り込まれており、場所は名産品によって今あるような姿になっている。人びとは「よそ」のものを食べ、飲み、集め、賭け事に興じ、スキューバダイビングやサーフィン、バンジー・ジャンプを楽しんでいる。
※本連載は今回が最終回です
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本記事は書籍『モビリティーズ──移動の社会学』(ジョン・アーリ〔著〕吉原 直樹・伊藤 嘉高〔翻訳〕、作品社)の転載である。