「決断できない人」に欠けている3つの考え方
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決断できない人というより本質的には決断をしなくてもいい人たちなんですよね。
僕自身、20歳の時に大学進学を諦め、起業家として生きる決断をしましたが、それも半端な学歴を得に行くか、それとも博打を打つかという二択を迫られたからこそした決断でした。現役で希望の大学に受かっていれば、おそらく起業家にはなっていなかっただろうと思うと、決断っていうのは自分からするというよりも迫られるものなんじゃないかと思います。そういう意味では海外へ行くかどうかとかで迷っているというのはその人にとって迫られた選択ではないってことだと思います。
その上で、僕自身の経験から言わせて貰えば、この社会において自分から決断していける人というのはめちゃくちゃ貴重です。正しい決断ができるかできないかではなく、決断という行為を自分の責任でできるということが今の社会においては強い武器になります。
決めて断つ。
これは本質的には何かを捨てるということができるってことです。この強さを理解し、実践できるようになるというのは得難い能力だと思います。
だからこそ、あえて自分から自分への決断を迫ってみるというのも大事なことなんじゃないかと思いますね。羽生善治さんの話はこのテーマにそれほど関係無いと思います。
さて、「決断できない人」というくくりが大雑把すぎで嫌いな記事です。
といいつつ内容確認してみれば、仕事なのか趣味なのか日々のちいさなことなのか、習慣の話なのか性質・性格の話なのかさっぱりわかりませんでした。
さて、この記事の最後に
「現在のリスクは未来の安全につながる」
といって、リスクを恐れないことを勧めていますが、これ逆に考えるべきですね。
「現在の安全(安心)は未来のリスク」
安全だと思うことのほうがリスクでしょ。
目立たない方が安全、出過ぎないほうが安全、問題を起こさないほうが安全。
で、そういう選択をしている人は、何か大きな外的変化が起きたとき、
サバイバルできますかね?
決断できないひとは、決断しなくても「いまは」大丈夫だからですよ。
切羽詰まればだれだって決断せざるを得ません。意思決定の多くは何かを決める「決断」ではなく、相対的にいいものを選ぼうとする「判断」に溢れています。いいものを選ぼうと選択肢を考えているうちに、もっといいものがあるのではとか、選択肢の欠点が目についたりして選べなくなります。
人生万事塞翁が馬、第三の手、現在のリスクは未来の安全は、一定のところで開き直ることにも通じると考えますが、勇気がいることです。
いきなり大切な場面で決断することは躊躇してしまうので、日頃から小さなことでも決断を意識して、決断への耐性を持っておくことが大切だと思ってます。