人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか
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冷笑主義がアイヒマンまで語られるとは、興味深く。
「芸能人」というだけで、まるで政治などには関心が無いという思いこみ。冷笑というより少し、馬鹿にしているような、
では、名前も知らない見たことも無い「識者」と言われる人達なら納得するかと言えば、しないでしょう。
SNSで実名でもないネット民は勝手なものだと、つくづく感じます。
実名で冷笑してみたら?その発言に勇気があるかどうかを、マイノリティの叫びかどうかを、たかだかSNSで知り得るだろうか?
真に勇気があるなら批判を恐れない根拠や信念があるはずで、真に知恵があるならどこで誰に訴えかけるかを考えるはず。
SNSや道端で自分の日常のリズムを変化させてまで他人の意見を吟味しながら傾聴する人は、よっぽどの暇人か、優しい人か、心地よいものに惹かれたり、傾聴に値する何かに惹かれる時だ。
行動や発言は因果の一部となる。
他人の心を平気で脅かす人がいざ自分に矛が向けられると簡単に心が折れる、、というのはよくある滑稽な話。
冷笑主義など、主義ではない。
冷めたものを沸騰させるまで熱くさせるものがあるのか、
その手段が簡単で心地よいほど何か恐ろしくないか、
それらは個々の個人の経験による知恵が教えてくれる。
自らが状況の一部であることを忘れて、
他人の思考を俯瞰して制御しようとする哲学や宗教的な態度を私は嫌います。【ソーシャルメディア時代のシニシズム】
SNS上で、「正義を振るう」者を「正義の暴走だ」と叩くシニシズム。しかし、それはブーメランになってはいないか?という問を投げかける記事。
多数派に迎合するのではなく、自ら考え、時には「権力者」(大衆)にも牙を向け、と伝える。どんなツールを使ったとしても何百年と考えられ続けた人の性質を確かめることに繋がるだけなんだ。