東京と神奈川の県境の一部に「妙にクネクネしたところ」があるのはなぜか
アーバン ライフ メトロ
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私の実家は東京側の坂上にあり、亡くなった父はハケ下(武蔵野地区の方言で崖下の意)は子供の頃はジャリ沼と呼んでいて人が住むようなところではなかったとよく言ってました。新築工事で地下を掘るとすぐ水が出てくるぞ、と。多摩川は昔は暴れ川だったのでしょう。
注目のコメント
人生の半分以上は川崎市民でしたが「くねくね」は知りませんでした。記事によると、最も有名な分断された地名は「丸子」とのこと。マニアックですが、美味しんぼで、新丸子と下丸子を勘違いしてすれ違ったカップルのはなしがありましたね
個人的には「等々力」の方が有名な気はします。東京側の等々力渓谷、等々力駅、川崎側の等々力スタジアム、等々力アリーナと、由来を知らないと不思議ですよね確かに勝手に多摩川の手前→東京都。多摩川以降→神奈川くらいに思っていましたが、こんな歴史があったとは。
祖母が昔、下丸子に住んでいましたが、分断されていたんですね。
土地の名前は、その土地の歴史を表すことが多く、「谷」や「田」が付く地名は地盤が弱かったり、「台」や「山」が付く地名は高台で水はけがよく、地盤が強かったり、、とマニアックな話もありますが、今はハザードマップですくに災害リスクが見れますので、ぜひう物件購入の際はチェックですね。