FB、投稿規定を厳格化へ トランプ氏に対応せず批判受け
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USでは想像を絶する議論が巻き起こっており、COVID-19どころではなくなってしまいました。特に言論空間を司るFacebookやTwitterは、経営陣の一挙手一投足が社員の離脱に繋がっています。
結論から述べると、私はこの問題には「表現の自由」と違法表現とは別に、もう一つ、「編成権の独立」という大きな問題が浮き彫りになったと思っています。
つまり、経営陣と編成権が同一化していることに大きな問題があります。
Facebookが社内で行った説明会によると、今回の一連の意思決定は、CEOやCOO、CTOらによる決定だったとのこと。しかし、なぜ経営陣があるコンテンツの掲載可否を決めて良いのかは実はよくわかりません。
メディアでは長く議論されてきた「編集権の独立」とパラレルで考えるべきであり、政権や広告主らとは距離を取った独立の編成部がコンテンツ編成に携わるべきではないでしょうか。
アルゴリズムと人によるコンテンツ編成を行うUGCプラットフォームが、経営陣の鶴の一声でコンテンツ編成を変えられるということが浮き彫りになった事案だとおもいます。ある一定程度のSNSの規制は賛成です。
そう言うと言論統制だとか表現自由だとなりがちですが、私の考えは以下のようになります。
・駄目なもの
誹謗中傷、人種差別、個人を攻撃するもの、人を傷つけるもの、殺人予告等違法なもの、フェイクニュース
・許容されるもの
論拠を伴う批判、風刺、(ウィットに富んだ)野次、政治的見解、冗談
基本的に面と向かって言わないことが、SNSだと許容されている感じになっていますが、それは一定程度是正されるべきかと。言論統制と叫んでる人たちは、多くの場合公の場で議論できるほどの大した論理もないように感じていて、誹謗中傷にあたる場合もありそれは制限されるべきかと思います。
インフルエンサーだからと言って誹謗中傷は許されない。数の暴力みたいなものはいじめでしかない。ちゃんと議論になっているのか?相手と会話が成立していないものは議論ではありません。
また、専門家知識を持ってる人がそうでない人と議論というか言い争いをするのは見苦しい感じがします。プロとプロの熱い議論は、読んでいて学びがありますが、そうでないものには個人的には興味が湧きません。
さはさりながら、リアルと完全に一致している必要もないかと思います。ネットで匿名だから発言できる人達、また文字で議論できることで有益なこともあります。
匿名と実名の間の世界観や倫理観というのが新しいスタンダードとなると考えています。その世界観についてどうあるべきかの議論が始まったのかと感じています。社内外からの多くの批判を受けて、ザッカーバーグは投稿内容に関する規定や対応を見直し、厳格化を検討する方針を表明した。
対応がブレブレ…
個人的には国民に選ばれた大統領の発言の是非を一企業が決めるべきではないと思う。中立なプラットフォームではなくメディア企業ということならそれもアリだけど。そうなるとユーザーの投稿内容の全てに責任を持つ必要が出る。この辺のルール作りは国が主体的になって決めていくべきだと思う