【転換点】「脱・試合」×「365日モデル」構築のヒント

2020/6/11
 ようやくスポーツの足音が聞こえ始めた。
 予断は許さないものの、その音に胸を躍らせるもの、撫で下ろすものもいるだろう。
 しかし、こと「ビジネス」の側面を捉えれば、そのあり方は、早々に変化を求められている。
 「試合ができない」という未曾有の危機を経て、進むべき「スポーツビジネス」への指針はどこにあるのか。
 千葉ロッテマリーンズや全世代侍ジャパンなどでプロ野球におけるビジネス改革を推進してきたスポーツマーケティングラボラトリー代表の荒木重雄氏に聞いた。
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転換期に起こったコロナショック

──新型コロナウイルスの影響でスポーツ界はビジネス的にも大ダメージを受けています。特に「試合ができない」は、手も足も出ないように見えました。
荒木 はい。まさに、良い意味でも悪い意味でもこれまでのスポーツ界のビジネスモデルが「試合ありき」だったことを示しています。
 結論から申し上げれば、今の状態に対してどれだけ早く試合に依存しないビジネスモデルにアップデートするかがスポーツ界の未来へのポイントになると考えています。
 ただし、これは決して新型コロナウイルスによる転換ではない。そもそも、大きな可能性、必要性があったところに、この事態で拍車がかかっている状態、と考えるべきです。
──具体的に教えてください。
荒木 去年頃から、スポーツビジネスは新しい形、──「スポーツビジネス3.0」のフェーズに入らなければならない変革期を迎えていました。
 1.0は1984年のロサンゼルス五輪が契機となった独占型のビジネスモデルです。
 1業種1社に限定したスポンサー企業には五輪マークなどの商業利用を認める。また、一つのテレビ局に権利を独占させることで放映権を高くして売る。
 メディアを絡め露出を増やすことで大会の価値を最大化し、そこにビジネスを紐づけていくビジネスモデルとして確立させました。
──いわゆる「ロス五輪モデル」ですね。
1984年7月28日に開幕したロサンゼルス五輪。以降のスポーツビジネスに大きな影響を与える。
荒木 はい。テレビを中心としたメディア露出でスポンサーの満足度を高めるBtoBが中心だったわけです。
 このモデルが各国のスポーツビジネスの教科書となり、全世界に拡がっていきました。
 しかし、2000年前半からインターネットが普及したことで、コンテンツの多様化とボーダレス化(国際化)が一気に進み、いわゆる国境を越えた「選択肢の時代」に入りました。
 テレビにおける番組編成にも変化が現れます。巨人戦の地上波中継の減少に代表されるように地上波から国内リーグのスポーツ中継の露出が減ってきたのです。
 国内においては、1993年から地域密着を掲げたJリーグが開幕していましたが、2004年のプロ野球再編問題を契機にプロ野球(パ・リーグを中心)も地域に寄り添うビジネスモデルへの転換へ舵を切ったことで、これまでのメディア起点のビジネスモデルからスタジアム起点へのビジネスモデルへ切り替わっていきました。
 それがスポーツビジネス2.0です。地域と密着する、スタジアムでの体験を向上するなどBtoCへ転換したと言えます。
 この2.0モデルは日本においてはまだまだ成長の余地があると思いますが、加えてスポーツが生み出す価値をもっと活用しようという発想が出てきたのが、スポーツビジネス3.0です。