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「屁理屈」や「詭弁」とは、一体なんなのか。とてもわかりやすいです。本稿の終盤にあるこのフレーズが刺さりました。

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膨大な情報に一瞬でアクセスできる今の時代の「頭の良い人」とは、「知識が豊富な人」ではなく「他人の詭弁に踊らされず、自分の考えを持てる人」であるはずです。
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他方で、逆説的ですが、こうした「自分の考え」をもつには知識も必要です。基本的な知識がないと、悪意のある詭弁にコロッとだまされてしまいます。では「基本的な知識」とは、どうやって身につければいいのか。私は、松岡正剛さんの「キーブック」という考え方をよく紹介します。

「編集者」を自称する松岡さんは、1日1冊の書評を1000日続ける「千夜千冊」をやりとげた、とんでもない読書家です(いま確認したら、1743夜に突入していました)。松岡さんの「編集」の概念は独特なのですが、「キーブック」はその根底にある考え方です。

詳細は松岡さんの著作にあたっていただきたいのですが、その一端が、デビッド・ワインバーガー著『インターネットはいかに知の秩序を変えるか?』(エナジクス)の解説で触れられています。
https://1000ya.isis.ne.jp/1605.html

私たちが一生に読むことのできる本の数は限られています。読書家という人でも1万冊、どんな人でも10万冊がいいところでしょう(1日5冊60年が必要です)。そして、新刊は日本だけでも毎年7万点超。それらを読み切ることは不可能です。しかし、松岡さんは古今東西のあらゆる本に目を通しているように感じます。それはなぜか。それぞれの本をつなぐ「キーブック」をおさえているからです。

本はゼロから書き起こすことはできません。古今東西の著者は、かならずこれまでに読んだ本にならって文章を書いていきます(そもそも言語がそういう存在です)。だからこそ、多くの著者が参照している「キーブック」を読んでいれば、そこから生み出された本のことも類推できます。知識が豊富なのではなく、豊富な知識にアクセスする方法を知っているわけです。

詭弁にもパターンがあります。「キーブック」ならぬ「キー詭弁」をおさえていれば、騙されずにすみます。「ああ、これは例のやつだな」とわかるだけの基本的な知識を身につけたいものです。私も日々、修行中です。
セカオワ「Dragon Night」のリリックに、

「人はそれぞれ『正義』があって 争い合うのも仕方ないかもしれない
だけど僕の嫌いな『彼』も 彼なりの理由があると思うんだ
(中略)
だけど僕の「正義」がきっと 彼を傷付けていたんだね」

と、あります。

コロナ渦の今、残念ながら、人はそれぞれの正義によって、人を傷つけてしまうことが平時以上に起こりました。

本記事は、この問題の発生メカニズムに詳しい桑畑さんの寄稿です。

膨大な情報に一瞬でアクセスできる時代だからこそ、「他人の詭弁に踊らされず、自分の考えを持つ」ことの大切さを綴っております。
「同様に、「子どもたちのために」「日本のために」といった反論しにくい空気を醸し出す言葉を伴う主張にも、一度立ち止まって自分の頭で考える必要があります。」

これは教育領域でも見られる。
例えば、「子どもたちのために」「教員はトイレ消毒・清掃を実施する必要がある」。

子どもたちのためにという反論できない枕詞の後に、先生の本務ではないことが羅列される。

先生方の働き方改革も必要だが、何でもかんでも先生にというのはおかしい。明確なjob description(職務)がないからこういうことになる。
積極的に自分の意見を発信していきたいと思うのであれば、消極的に聞こえるかもしれないけれど、文面のやり取り、応酬で他人の考えを変えることなんて不可能であるということ、他人と文面を通じてわかり合うなんて不可能だと割り切り、受け容れることだと思います。
なまじ文面での議論を通じて、見ず知らずの赤の他人と理解し合える、他人の考えを変えられると思っていると、重箱の隅をつつくような屁理屈、攻撃に落胆するんじゃないでしょうか。

やれと言われれば、NewsPicks上の全てのコメントに対して、無理矢理な拡大解釈、ありもしない含意の捏造を通して、因縁をつけることなど、造作もないことでしょう。
多くの場合は、自分の発言内容とは全く関係ないストレス(今ならコロナによる自粛生活)の捌け口になっているだけですから、まともに取り合っても仕方ありません。

オンライン上の見るに耐えない言葉の暴力を放置していいとは決して思いません。マクロでの対応策は必要でしょう。
ただ、個人レベルの自衛策としては、気にしないか、あるいはそもそも、敢えて発信なんてしないことだと思います。
後者は決して逃げではありませんし、自分の日々の生活を健やかに保つための、積極的な態度だと、私は思います。

たとえ賢い人の正論であっても、「いちいちなんでそんなに攻撃的に表現しなきゃいかんかな?」と思うことはしばしばあります。
経験則としては、言葉を武器にする士業の方にありがちだと感じますが、プロフェッショナルの世界では当たり前の激しい応酬を、そのままのノリで普通の人が見聞きするSNSに持ち出せば、引かれるのは当たり前でしょう。
この点は我が身を振り返って気をつけなきゃな〜と思う次第です。

シニカルに聞こえるかもしれませんが、SNS事業に携わっていたこともあり、なおさらSNSの負の側面に目が向いてしまいます。
事の本質は、ストレスのはけ口になっている、だと思います。

勿論ある程度の議論は何についても起こり得ると思いますが、後半殆どは何でも良いから騒ぎ立ててストレス発散したい人が一方的に叫んでいるだけ。

そこの本質を見失うと、しなくて良い規制をしてしまったり、余計な苦労ばかりで何も解決しない、ということになりかねないと思います。
自分の考えをしっかり持つためには、多面的な視座から物事を見ることが大切。その通りだと思います。

「◯◯先生がこう言っているからまちがいない」という人がよくいます。言葉や企画に権威を求める人は、あまり考えていないなあと、思ってしまいます。このレポートの「みんなが言っている」と同列です。

本質を考える、見抜くことが、今求められています。
ここまでロジカルに語られるとパワハラ上司もネトウヨも自粛警察も皆黙る。喧嘩も論争も相手がヒートアップすればするほど応戦でなく冷静になれるタイプが最後勝つ。
金泉さんのコメントに…
「人はそれぞれ『正義』があって 争い合うのも仕方ないかもしれない
だけど僕の嫌いな『彼』も 彼なりの理由があると思うんだ」というセカオワの歌のフレーズが紹介されていました。

この記事のような件も、最近混迷の度を深める世界情勢も、「お互いの理由」をもっと理解することの大切さから考え直すべきだと私は思います。
他人の詭弁に踊らされず、自分の考えを持つこと。そのために、視座・視野・視点」を意識的に変える癖をつけること。言葉の暴力から身を守ると同時に、自分自身が知らずに無意識に言葉の暴力に加担しないようにするためにも、大事ですね。

ちょっと前に放映された「ヴィンランド・サガ」、すごく面白いアニメで見ていたのですが、そこでのテーマは中世のヴァイキングを題材にしたリアルの暴力。主人公は暴力の世界を加害者・被害者の両方の立場で経験してから成長し、最終的には「本当の戦士には剣は必要ない」「俺に敵なんか一人もいない」と言って剣を捨て、暴力のない世界を追求していくのですが、なんだかヒントを与えてくれる気がします。
単純にSNSみてる時間と人が増えてるからかと。言葉の暴力は率でなく絶対数で目立つため
> 新型コロナ休校で10代のSNSとゲーム利用時間は大幅増、依存状態の子どもも増加中、対策は急務
https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashiakiko/20200423-00174829/
この連載について
キャリアの話題に関するNewsPicksオリジナルのインタビューやレポート