【長友佑都】アスリートは「応援される喜び」を知っている

2020/5/11
人から人へうつる恐ろしいウイルスが多くの人を苦しめている。
僕もサッカーができない。家にいてトレーニングをすることが精一杯だ。
何かできることはないか。
この時間がストレスフルであることには間違いないけれど、成長のきっかけにすることはできないか。
日々、それを考え続けていて大事だと思ったことがある。
どう行動するか、ということだ。
その行動は(お互いが相互に関係しながらも)大きく分けて二つがあって、一つは社会のため。もう一つは自分のため──になる。
今回は、この二つの行動に対して僕が思っていることを記したい。
なぜひとり親の支援をしたかったか
先々週、このコロナウイルス禍で「ひとり親世帯」が大変な思いをしていることを知った。
1ヶ月くらい前から、「誰が困っているのか」をスタッフたちと話し合っていた。医療従事者たちへの支援がまず必要だ、ということで、チャリティーオークション、そしてマスクを届けるクラウドファンディングに支援をした。
このプロジェクトは多くの人に支持され、その輪の広がりを感じた。でも、それだけじゃ足りないのが今の状況だ。
その後も話を続ける中で耳にしたのが「ひとり親」の困窮だった。
僕自身、ひとり親家庭で育った。母は、朝から晩まで働いて、姉と僕、弟の3人を育ててくれた。
僕らが学校に行く前に母はもういなかった。夕食を一緒に食べることもできない。
子どもながらにその姿を見て、苦しい思いをさせている、という実感があった。
時を経て、僕自身も「親」になった。二人の子どもはまだ小さい。はっきり言って大変だ。小さい子どもをみることには、常に緊張感がある。
そんな中で、このコロナによる外出規制。
もともと厳しい経済状況にあったのに、働くことができない。仕事がなくなる。「家で仕事」といっても、そこには学校や幼稚園に行けない子どもがいる。仕事はなかなか進まない。
学校は、ひとり親にとってちょっとしたセーフティネットになっていた。例えば「給食」がある。少なくとも、バランスの取れた昼食を賄えるのだ。
それも、今はない。
現場で支援をしている人たちの話を聞くと「明日の食事にすら困っている家庭もある」と言う。
容易ならざる状況であることは「肌感覚」でわかった。そして、すぐにクラウドファンディングを立ち上げた。
肌感覚と影響力が第一歩となる
社会のためにできる行動。それを決める上で大事にしたことは、「肌感覚でわかること」「自分で想像できること」であるかどうかだ。
この状況において、社会のために何かできないか、と考えて、でもあまりに広範囲にわたる被害に、どうしていいかわからない人もいると思う。冒頭に書いた通り、僕自身がそうだった。
コロナ禍で苦しんでいる人、困っている人はたくさんいて、(──「ヒーロー思考」を行動原理にする僕はそう願っているのだけど)全ての人に支援を送ることは現実的に無理だ。
では「長友佑都」は何ができるかを考えたとき、困難が想像できる場所に対してできることをやろう、と決めた。
肌感覚がわかる、つまり知っているところからその一歩を踏み出せばいい、と考えたのだ。
そしてもう一つ、自分の「影響力」をきちんと使おうと思った。
偉そうな物言いになってしまうけれど、サッカーを長い間続けてきてサッカー界では言動を注目してもらえる存在になれた。
少なくともそれは大いに活用すべきだ、と。
書いてきた通り、僕ができる範囲は限られる。だから「肌感覚」がわかる場所を選んで、まず行動をした。でも、現実には困っている人がもっとたくさんいる。
そこで、僕ができないことを他の誰か──「肌感覚がわかる」人たちに動いてもらえるよう、自分の支援を逐一発表した。
僕一人の「影響力」なんてたかが知れている。だから、他の人の「影響力」もうまく巻き込む。そのためには発表することが必要だった。
その発信によって、それを見てくれた「誰かの一歩を動かせれば」と思ったのだ。
【長友佑都】ロケットスタートを切る準備はできている
アスリートが「支援」を発信すべき理由
支援を公表すると、非難をされることもよくある。
いちいち公表するな、とか、金額まで言う必要はない、とか、黙ってやった方がいいなど、その声はさまざまだ。指摘自体は理解できる。
実際、そういうスタンスを取るアスリートもたくさん知っているし、それはそれで素晴らしいことだと思っている。
ただ僕の場合は、本当に今、困っている人がこれだけいる状態なのだから、公表をすることによって「誰かの一歩」を動かせることの方が価値があると思った。
黙っていては、誰も動かせないのだ。
こういうことを書くと「偽善者」と言われるのだけど、何もしないより、どこかで役に立つ偽善者の方がいい。
社会に対して行動する、という点でその辺りの考え方はとてもシンプルでクリアだった。
というのも、今の僕自身が、「多くの人の応援があったから在る」ということをはっきりと感じているからだ。
もちろん、誰よりも努力してきた、という自負はある。
でも、誰にも応援してもらえなかったら今の僕はないことも確かだ。
これまでずっと応援し続けてもらったからこそ、人から見れば多くの「影響力」を手に入れることができた。なのに、それを使わないでいることはできない。むしろ、そういう姿勢はちょっと違うんじゃないか、と思う。
アスリートは、誰よりも人に応援されることの心強さ、嬉しさ、または自身を成長させてくれることを知っている。
今回のように困っている人を支援し、それを世に訴えることは、社会貢献的な意味合いもあるけれど、何より恩返しなのだ、と僕は思っている。
ロシアワールドカップのとき僕は、みなさんからパワーをください、とツイートし、そして試合前にはピッチ上で「元気玉」をと、天に両手をかざした。
あれは、パフォーマンス的な意味合いももちろんあったけれど、本当にパワーをもらいたい、もらえると思っていた。間違いなく僕は、その応援に勇気づけられた。
パワーをもらった僕が、それをお返ししないわけにはいかないのだ。
自分の成長のために「水をクリア」に
二つ目、自分のためにできることは何か。
これはとても難しい課題だ。はっきり言って、練習すらできない今の状況はアスリートとして辛い。それはいろいろな制約を受けているみなさんも、同じではないだろうか。
そこで一つ心がけているのが、わずかなチャンスを逃さないようにしようということだ。
そのために、「水をクリアにしておこう」と思っている。
テッポウウオという魚がいる。水面から、陸上にいる虫などを口から吹き出した水で撃ち落とし、捕食する。
もし、水が汚くて陸上にいる虫などの動きを察知することができなければ、テッポウウオは食事ができない。だから、自分の住む水の中をきれいにしておく必要がある。
例えが極端かもしれないが、僕自身もそうあろう、と思っている。
この状況において、せめて自分自身の心をクリアにしておくこと、そして何か地上で動きがあれば、すぐにでも動けるようにしておこう。
苛々することが多い日々、ストレスフルな時間が続くけれど、チャンスを掴めるときというのは、絶対に心がクリアなときだ。
サッカーのパフォーマンスにおいても、うまくいかないとき、フラストレーションが溜まっているときというのは、体も脳も硬くなってしまったように、うまく動くことができない。
だから頭の中だけは常にクリアにしておく必要がある。チャンスに気付けるようなマインドセットにしておくべきなのだ。
具体的に「水をクリア」にするために心がけていることは三つある。
一つは、「動かす」こと。
体でも頭でもいい、しっかりと動かすことを意識している。運動はもちろん、今僕は、語学の勉強に取り組んで、新しい刺激を脳に入れている。
そうすることで、全身の「流れ」が良くなり少しすっきりとする。
もう一つは、太陽の光を浴びること。
朝起きたら、または昼でもいいので、ベランダなどから日光を浴びる。感覚的なものになるけれど、日を浴びるとこれも「流れ」が良くなる気がしている。
そして最後に、感謝をすること。
当たり前だけど、1日が終わったことや、誰かに応援してもらっていること、そういった小さな感謝は馬鹿にできない。それができることこそ、「水がクリア」な状態でいれることの証でもある。
試合がない中で、アスリートとしてどうあるべきか。
常に自問している。必ずこの日々はあける。そのとき、今していたことが大きなアドバンテージになるはずだ。
新型のウイルスは、人から人へうつり猛威を奮っている。
でも、僕らの力だって、人から人へ伝わる。その可能性が、新しい僕らの時代を切り開いてくれると信じている。
(構成:黒田俊、デザイン:九喜洋介、松嶋こよみ、写真:GettyImages)