「意味がわからないもの」に直面したとき、「自分の答え」をつくれる人は何をしているか?
コメント
注目のコメント
非常に興味深く、鋭い視点ですね!作品を見て、純粋に、自身が感じたことを言語化する、しかも、ストーリーで…。不慣れだと、中々難しいと思う。自身の価値観が形成された過去の経験や、日常の問題意識などをベースに、作品だけを見る…。その作品からどのような"影響"を受け、自身の中で芽生えた感覚(疑問、違和感、共感、驚嘆など)を自身の言葉で綴ってみる…。"なぜ、そう感じたのか?"を言語化することができるようになると、自身のコミュニケーションを格段に高められると思う。"感じたこと"を自身の言葉で言語化すること=相手に想いを伝えられることを意味する。直ぐに取り入れられるし、"自身の反応"をじっくり向き合ってみる良い機会となる。外出自粛の中、自宅でも実践できるエクササイズの一つとして取り入れたい。自身の高みを目指したいですね…。
作者 × 鑑賞者× 鑑賞者× 鑑賞者× …
作者、そして鑑賞者の一人ひとり、それぞれの感じ方があっていい。人の数だけ、答えがある。
作者が考えたことなんて、わからなくてもいい。正解があると考え、それを求めようとしないことです。
自分の答えは、自分らしい生き方を創ります。日本はどうしても問いの"正解"を求めたがる。
それも不特定多数が賛同する正解を。
それに気づく一つの視点は
何かを発信する時
『これ、言っても大丈夫かな?批判とか来ないかな?』
と思うような内容をSNSで発信してみること。
『これ言っても大丈夫かな?』
と想うことが意外と"自分だけの答え"だったりする。