【再定義】社長になりたいプロ野球選手たち

2020/4/29

25歳で戦力外通告を受けたその後

新型コロナウイルスの感染拡大でプロ野球の開幕が延期されるなか、今年、新たなキャリアに踏み出した元プロ野球選手がいる。
水野滉也、25歳。
2016年ドラフト2位で横浜DeNAベイスターズに入団した右腕投手はわずか3年で戦力外通告を受ける(2019年)と、野球への未練を断ち切り経営者としての道を歩み始めた。今年1月に株式会社BOUKENを設立し、この春にクラウドファンディング事業をスタートさせる予定だ。
「現役引退した2019年10月、セカンドキャリアでは社会に直接貢献したいという自分の夢を実現しようと、会社を起こすことに決めました。僕自身はプロ野球選手になれて、ファンの支えがあって最後まであきらめずにできました。野球が終わった時点で、支えられていた立場から次は支える立場になろうという強い意志があります」
水野滉也(みずの・こうや)。1994年6月1日生まれ。北海道出身。東海大学北海道キャンパスから2016年横浜DeNAベイスターズにドラフト2位で入団。2019年に現役引退。今年、株式会社BOUKENを設立。
水野の転機になったのは、2018年9月に地元で起きた北海道胆振東部地震だった。
道内で初めて最大震度7を記録したこの地震の影響で、札幌にある実家は2日間電気がつかず、水野は連絡をとれなかった。
それだけではない。
1年後、震源地の少年野球チームはプレーする場所を失ったまま、活動再開できずにいることを知ったのだ。そのチームを支援するクラウドファンティングの告知がSNSで回ってくると、寄付金を送ると同時に、自分の現役引退後は誰かを支援する活動をしたいと考えるようになった。

増える希望「引退後は経営者」

水野のように、ユニフォームを脱いだ後、「経営者」を希望するプロ野球選手が増えている。
日本野球機構(NPB)が2019年10月、若手選手(平均23.1歳)を対象にセカンドキャリアに関するアンケートを実施すると、回答した215選手のうち最多の21.4%が「引退後にやってみたい仕事」について「起業・会社経営」と答えた。
(2018年は8.3%で6位。アンケート結果の詳細はリンク先を参照)。
選手会が調査した「引退後にやってみたい仕事」の推移。フェニックス・リーグに参加した12球団所属選手、218名に配布。215名が回答(2019年実績)。調査方法は無記名のアンケート記入方式。
これまで野球選手のセカンドキャリアと言えば、コーチや職員(打撃投手や広報など)として球団に残るか、アマチュア野球の指導者を志すケースが多かった。
なぜ、起業を目指す者が増えているのだろうか。
阪神で6年間プレーし、現役引退後はサラリーマンを経て、現在日本プロ野球選手会の事務局長を務める森忠仁はこう見ている。
「野球選手には(自身が)経営者という部分もあるので、その考え方を引き継いで、違う業界に行くということなのかなと思います。野球界にそういう先輩が増えてきて、話を聞いて、自分もできるという感覚を持つ人が増えてきているのでしょうね。『自分も経営者としてできるのなら、サラリーマンで使われるよりは……』という思いは元来、野球選手にはあると思います」
「セカンドキャリアは重要な問題の一つ」と語った森忠仁選手会事務局長。
極端な言い方をすれば、起業するだけなら多くの者にできる。
ただし、起こした会社を成功に導くのは決して容易ではない。
東京リサーチによると、2018年に新しく設立された法人は12万8610社(2018年「全国新設法人動向」調査より。以下同)。新設法人の数が前年を下回ったのは、9年ぶりのことだった。
対して、同年に休廃業・解散した法人は過去最多の4万6724社にのぼる。
たとえ起業しても、設立10年未満の企業倒産率は24.8%というデータもある(東京リサーチ、2018年「業歴30年以上の『老舗』企業倒産」調査より)。
そんな状況の中で果たして、プロ野球選手は経営者としてうまくやっていけるのだろうか──。

野球ができればいいという世界観

森が言うように、プロ野球選手は個人事業主であり、“株式会社自分”の経営者だ。一流選手であればあるほど自身の成長を見据え、論理的思考力や中長期的な計画力を備えている。ユニフォームを脱いだ後に事業や飲食店を始め、成功している“元プロ野球選手”が数多くいるのも事実だ。
一方で現実に目を向ければ、アルファベットの小文字や小学生レベルの漢字を書けないほど学力の低い選手も決して珍しくない。
甲子園を目指す強豪私学では野球の実力さえあれば、「自分の名前を書ければ合格になる」と言われることもある。野球だけやっていれば良しとされる選手たちは、指導者の指示通りに動く“野球ロボット”のように訓練され、甲子園を目指していく。
結果、たとえプロ野球選手になれても、最高峰の競争社会で活躍するために不可欠な思考力が足りず、伸び悩む若手が少なからずいるのだ。
1997年ドラフト6位で岐阜県立土岐商業高校から阪神に入団し、2001年に引退後、公認会計士に転身した奥村武博はプロ入り直後の自身をこう振り返る。
「コーチから与えられたメニューにどういう目的があり、なぜやるのかを考えるところにもたどりついていませんでした。当時は自分なりに一生懸命やっていたと思うけれど、引退後に会計士の受験でもがき苦しんだ経験を振り返ると、現役選手の頃はプロ意識が全然足りていなかったと思います。
例えば練習より飲みに行くのを優先したり、目先の楽しさを優先したりして、将来を見据えずにやっていたのが本当に反省点です。逆にその反省があるから今は自分で考えられて、常にチャレンジできているのはありますね」
奥村武博(おくむら・たけひろ)。1979年7月17日生まれ。1997年ドラフト6位で阪神タイガースに入団。2001年に引退、打撃投手を経て、飲食業などさまざまな業界を経験。公認会計士の資格を取り活動中。
奥村は故障もあって1軍未出場のまま4年間で現役生活に終止符を打ち、ホテルの調理場で働いた頃、世間の厳しさを痛感した。
それから一念発起し、日本で初めて“元プロ野球選手”として公認会計士に合格する。
現在は本業で活躍しながら、アスリートのセカンドキャリア支援、デュアルキャリアの啓蒙活動などを行っている。
こうした縁で起業に至った一人が水野だった。奥村だけでなく株式会社freeeのサポートを受け、セカンドキャリアの道を歩み始めた。
水野には野球関係で第二の人生を歩もうと気持ちが傾いたことがある。実際、戦力外通告されたベイスターズからトレーナーへの転身を勧められ、「野球で球団に貢献できなかった分、他の形で貢献したい」と受諾する方向に8割方傾いた。
だが両親や学生時代の恩師、プロ野球選手から経営者やコンサルティング業に転身した先輩たちに相談し、自分のやりたい道に進むことに決めた。

「元プロ」という差別化

自身がファンの声援に勇気づけられたのと同じように、今後は誰かの背中を後押ししたい。
そうして第二の夢に歩み始めた水野だが、クラウドファンディング業界にはREADYFORやCAMPFIRE、Makuakeという“巨人”がいる。
経営者として、勝ち筋は見えているのだろうか。
「正直、これからやりながらどんどん学ぼうと思っています。成功の秘訣は人と人つのつながりだと思うので、いろんなご縁を大切にしながらやっていきたいです。Makuakeさんなど他社は商品を扱っているところも多いと思いますが、僕は人の夢、活動、イベントに特化してやっていきます。それが差別化なのかわからないですけど、(元プロ野球選手の)僕がやっていること自体が差別化だと思います」
水野が語るように、“元プロ野球選手”は大きなアドバンテージになる。
水野のツイッターは4月中旬時点でフォロワー数が8500人以上だ。プロ野球選手だったことで、経営者など知り合えた人もいる。また、7000万円の入団契約金を銀行員の父親に運用してもらい、そこから開業資金を捻出できることも起業を決めた理由の一つだ。
しかし、ビジネスは夢だけでうまく行くものではない。
水野は基本的に一人で事業を行っていこうと考えている。同業他社に対し「意識して対抗しようとはあまり思わない。僕は僕の道を進めれば」と語るが、それでもビジネスと成立させるために“新参者”は独自性をどのように打ち出していくのか。
クラウドファンディング事業を手がける専門家は成功のポイントについて、「“元プロ野球選手”という他の人にはない看板をうまく使いながら、いかに情報発信を効果的かつ継続的に行うシステムを構築できるか」と話した。
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プロ野球選手を含むアスリートのセカンドキャリアは、過去15年ほど前から社会的な関心が大きくなってきた。
TBSの番組「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」が一つのきっかけだろう。覚醒剤の使用で逮捕されるなど、一般社会の価値観とあまりに離れた元スター選手の転落劇も無関係ではない。昨今は社会でアスリートの価値が評価されると同時に、単なる“野球バカ”は受け入れられにくくなっている。
取材者として感じるのは、球界全体が過渡期にあるということだ。その象徴に、野球人口減少が挙げられる。
プロ野球の観客動員数は昨年まで右肩上がりだったのに対し、少年野球人口は減少するばかりだ。
指導者の怒号罵声や、母親がお茶当番に駆り出されるという慣習は、現代社会の価値観に合わなくなってきた。そして今年コロナショックが起こり、プロ野球はビジネスのあり方から見直す必要に迫られている。
球界全体がなかなか変われない一方、進化するテクノロジーや身体動作、トレーニングの理論をうまく取り入れて成長する選手は増えている。メジャーリーグに羽ばたいた菊池雄星(マリナーズ)や昨季パ・リーグで防御率のタイトルを獲得した山本由伸(オリックス )が代表例だ。
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昨年、春夏連続で甲子園出場を果たした米子東高校など、合理的な取り組みで選手を成長させているアマチュアの例もある。一般社会と同じく、今後、進化する者と現状維持の者の差は開くばかりだろう。
プロ野球選手がセカンドキャリアで「経営者」を目指したいと考える流れは、球界で起きている変化の象徴ではないだろうか。少なくとも、選手たちの意識は様々に変わり始めている。
これまでセカンドキャリアが注目されるのは、あくまでヒューマンストーリーの色が強かった。
しかし、本連載では事象として掘り下げていきたい。そうすることで問題の本質が浮き上がるばかりでなく、アスリートの現役生活にもプラスの要素が見つかるはずだ。現役生活と引退後は、一本の道でつながっているものである。
そう考えたとき、まず浮かんだ疑問がある。
プロ入り前に大学日本代表に選出され、ドラフト2位という高評価でDeNAに指名された水野はなぜ、たった3年でユニフォームを脱ぐことになったのだろうか──。
(敬称略/次回に続く)
(執筆:中島大輔、写真:花井智子、中島大輔、デザイン:岩城ユリエ)