いま、移動や社会のあり方が変わろうとしている。ICTによってシームレスな繋がりを目指す「Mobility as a Service(サービスとしてのモビリティ)」という大きな概念が掲げられ、移動や物流だけにとどまらず社会のあり方まで波及する。100年に1度と言われるモビリティ革命、MaaSによって私たちの暮らしや経済はどう変わるのだろうか。

本連載では2018年に発行され、業界の教科書的存在になりつつある書籍「MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ」から全4回にわたって、新しい時代の移動と社会について歴史的経緯や基礎的な知識を中心に掲載する。

都市と地方が抱える交通の大問題

2018年6月に閣議決定された政府の成長戦略「未来投資戦略2018」には、「自動運転のみならず様々なモビリティ手段の在り方及びこれらを最適に統合するサービス(MaaS)について検討を進める」とある。前年の「未来投資戦略2017」にMaaSの言葉はなく、2018年になって初めて入ったものだ。
「MaaSの実現」という言葉は、未来投資戦略2018の中では、以下の3つの見出しの下に出てくる。「交通・物流に関する地域の社会課題の解決と都市の競争力の向上」「次世代モビリティ・システムの構築を通じた新たなまちづくり」「公共交通全体のスマート化」。
これを整理すると、①地域の交通・物流に関する課題の解決、②都市の競争力向上、③新しいまちづくり、④公共交通のスマート化という4つの目標を達成する手段としてMaaSに期待がかかっていることが分かる。
「まちづくりと公共交通の連携を推進しつつ、自動走行など新技術の活用、まちづくりと連携した効率的な輸送手段、買い物支援・見守りサービス、MaaSなどの施策連携により、利用者ニーズに即した新しいモビリティサービスのモデル都市、地域をつくる」という表現に見られるように、公共交通とまちづくりの連携、まちづくりとMaaSの連携が強く意識されているのも、未来投資戦略2018の特徴である。

MaaSで変わる新しい「まちづくり」

しかし、なぜ「まちづくり」なのか。交通とまちづくりの間にどのような問題が横たわっているのか。
まずは人口70万人以上の政令市の交通分担率を見てみよう。東京23区と大阪市では自動車の分担率は15%を切っている。東京・大阪の中心部では公共交通が整備され、クルマに頼らない暮らしが実現している。
一方、3大都市圏の中でも、トヨタのお膝元である名古屋は、自動車の分担率が4割を超えており、マイカー依存型社会になっていることが分かる。札幌は名古屋の状況に近く、福岡は公共交通の利用率は名古屋以下だが、徒歩や自転車での移動が多いため、自動車の分担率は4割を切っている。仙台になると自動車が5割を超え、熊本に至っては6割近い。
地方はクルマ社会とはよく言われるが、東京・大阪とその近郊の大都市を除き、マイカー依存が進んでいるのが日本社会の実相である。可住地面積当たりの車の保有台数が先進国の中でも突出して高い日本は、名実共に自動車大国である。この狭い列島をクルマで埋め尽くすことで私たちは豊かな暮らしを手に入れてきたのである。

「マイカー依存」が公共交通の衰退を招いた

Auto-mobile(自動車)は、Self+Movableつまり「自分自身で動けること」を原義とする。
自動車が市民に浸透し移動の自由を手に入れたと同じく、交通事故や環境問題にも向き合うことになった。日本では年間3600人以上が、世界では年間120万人以上が交通事故で亡くなっているという現実もある。そしてクルマ社会になったことでロードサイドの大きな駐車場のある店がはやり、中心市街地の商店街は衰退した。
そればかりではない。マイカー依存が進んだことで公共交通が衰退した。例えば、日本バス協会の調べによると、乗り合いバスの利用者は、この半世紀で6割近く減少している。地方ではバスや電車は高校生以下かお年寄りしか乗らない乗り物になっている。
乗客が少ないから朝晩の通勤・通学時間以外は一時間に一本あればいいほう。そんな状態だから、クルマを持っている人が公共交通を使うことはほとんどない。
利用客が減るから使い勝手が悪くなり、使い勝手が悪いからさらに利用者が減るという悪循環。地方のバスや鉄道はもはや存続することが難しい段階になっている。
2016年11月には、JR北海道が全路線の半分以上に当たる10路線13線区、1237.2kmを「自社単独での維持が困難」と衝撃的な発表をし、地方の公共交通が抱える深刻な現実を突き付けたのである。

移動とQOL(生活の質)の関係

厚生労働省の「国民健康・栄養調査」では、週1回以上外出しない人とそうでない人を比べると、外出しない男性高齢者では、低栄養状態になる率が有意に高くなることが明らかになっている。男女共に出歩かなくなるとうつ病になりやすく、認知症になるリスクが高まるということも医学的に確認されている事実だ。
健康面や財政面の問題だけでない。フランスなどでは、移動できる権利を基本的人権の一つに位置付けているが、移動の自由が確保されているか否かは、個人のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)や尊厳に関わる問題である。都道府県単位で見たとき、日常的な移動手段としての自動車の利用率が最も高いのは群馬県である。
18年3月に群馬県が公表した「群馬県交通まちづくり戦略」では、県民の日常的な移動手段として、鉄道が2.5%、バスが0.3%、自動車が77.9%という実態が報告されている。
自動車大国の米国をも超える極端なクルマへの依存度だが、こういう社会でクルマを持たない人は、外出において当然にハンディを負うことになる。事実、クルマを保有している高齢者とそうでない高齢者の間には、30ポイント以上もの外出率の差があることを群馬県は報告している。
ただし、世代別の外出率からは、高齢世代よりも、若い世代のほうが外出しなくなっている傾向が見てとれる。地方都市圏において特に顕著な外出率の低下を高齢化のせいばかりにするのは間違いかもしれない。この外出率の低下には、足(交通)の問題とは別の問題がありそうだ。
自分自身で移動できることを旨としてきた自動車が一人一台以上行き渡った地方部で、なぜ外出率が低下しているのだろうか。恐らくそこに潜んでいるのは、町の問題だ。
マイカーに頼ったまちづくりをしてきたことの弊害が、ここに来て顕在化してきているのである。それは、マイカー依存から脱却することを目指して努力してきた欧州の地方都市と比べると一目瞭然だ。

「歩いて楽しいまち」をつくれなかった日本

完全にクルマ社会になっている日本の地方都市は、一般に、歩いていける範囲に出ていきたくなるような場所がない。
中心市街地は寂れているから、休日の過ごし方といえば、特定の趣味がある人を除き、郊外のショッピングセンターに行くのが関の山ということになる。独り身の若者や子供が独立した成熟した世代が楽しめるような場所が、日本の地方都市には圧倒的に欠けているのである。
行く場所がなければ、外出が減るのは当然で、地方都市圏の外出率の低下は、そこに住む人々にとって外出したくなるような場所が年々減ってきているということの表れなのだろう。
対する欧州の地方都市は、そんなに大きくなくても中心市街地に常に人の往来があり、にぎわいがある。中心部には路面電車が走り、クルマがなくとも移動ができて、ウィンドーショッピングをしたり、公園やカフェでのんびりしたりできる。
休日は広場にファーマーズマーケットが立つから、朝から大勢の人でごった返す。すべての地方都市がそうだというわけではないが、衰退していない欧州の地方都市に共通するのは、歩いて楽しい町、クルマがなくても移動に困らない町になっているということだ。
歩いて楽しくて、移動に困らない町になっているのは、そういう方向での足づくりとまちづくりの努力を弛まずに続けてきたからだ。クルマ社会になるに任せて無計画にまちづくりをしてきた日本とはそこが大きく異なっている。
欧州でクルマ社会からの脱却を目指したまちづくりが行われるようになったのは1970年代以後のことだ。ドイツやスイスなどドイツ語圏で始まった動きが、欧州全体に広がったのは、90年代の欧州統合や、ユーロ圏誕生後の2000年代からなので、まだ30年にも満たない。
たったそれだけの期間だが、その期間、マイカー以外の交通手段をつくる足づくりの努力と、歩いて楽しめるようなまちづくりの努力を続けた結果が、今の欧州の地方都市のにぎわいにつながっているのである。
日本には、欧州が経験してきたそういう努力が徹底的に欠けている。前述の未来投資戦略2018がMaaSとまちづくりとの連携を強調するのは、MaaSをきっかけに、足づくりとまちづくりの間に橋を架けようとしているからだ。それは特に地方部においては喫緊の課題である。
※本連載は全4回続きます
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