新型コロナ感染SOSを発した空母艦長を解任──生命より規則を優先する米軍
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この問題は、米海軍だけのものではないでしょう。どの国の軍隊も同様で、そこには根本的な問題があるからです。それは、司令部と現場の立場の違いです。司令部は各級にありますが、中央に近い高級司令部ほど現場との考えが乖離します。
これは、どちらが正しくてどちらが間違っているということが難しい問題です。現場指揮官にとって、自らの指揮でともに戦闘を行う部下たちは一人一人の人間です。現場指揮官は、誰一人として無駄死にさせたくないと考えます。
もちろん、司令部も兵士を無駄死にさせたいと考える訳ではありません。しかし、極端に言えば、司令部にとって兵士は個性を持った人間ではなく、戦闘員という駒なのです。司令部の司令や参謀たちは直接兵士と接しないから、ということもありますが、何より、司令部はそうでなければ作戦計画を立てることはできないのです。
全く被害が想定されない作戦など、ほとんどありません。戦闘を行うのですから、味方の兵士が死ぬことも想定しなければならないのです。作戦は、適合性、可能性、受容性の3つを勘案して立てられます。先ずは、目的に適合しているかどうかが最も大切で、次に、実行可能かどうかが問題になります。最後に、想定される被害が受け入れられるものかどうかが判断されます。
受け入れられるかどうかは、戦闘が継続できるかどうかが判断基準となります。兵力の損耗率を計算できなければ、兵力の補充を考えることもできません。損耗率とは、兵士が何名死ぬかということでもあります。
司令部は、戦略的欺瞞や戦術的欺瞞も考慮しなければなりません。自分たちが攻撃する意図を察知されれば、敵は準備するからです。奇襲ほど効果的な攻撃はないのです。そのため、自分たちの攻撃の意図を欺瞞するのです。現在では、衛星などの情報によって、兵士や車両、艦艇、航空機が終結し、物資が輸送される状況を隠すのは難しくなっています。戦略的欺瞞は難しいとういことです。ですから、いつ攻撃するのかを隠す戦術的欺瞞が重要になります。
反対に、自らの弱みを見せれば、敵がそこにつけ込みます。戦略的に考える司令部は、弱みを見せないことを優先するでしょう。一方の現場指揮官は、部隊の戦闘能力維持のためにも、弱みを見せることになっても感染の抑え込みを優先しようとするのです。