【為末大】東京五輪の「アスリートファースト」とは何か

2020/3/29
2020年7月にオリンピックが、8月にパラリンピックがなくなると、アスリートにとってどんな影響があるのか。「アスリートファースト」と言われる大会で、アスリートの声が聞かれることはほとんどなかった。
延期が囁かれる中、その胸中を知ろうと、3度オリンピックに出場した為末大氏のもとを訪れた。3月23日の午後のことである。
数時間後、東京オリンピック・パラリンピックの延期が決定された。
1896年、アテネで初めて開催されたオリンピックの歴史の中で初となる「延期」。
改めて、「2020年7月にオリンピックがない」ことは、アスリートにとってどんな影響があるのか。そしてアスリートにとってこの一連の流れがどういうものなのか、どう振る舞うべきか、為末氏の言葉から考えてみたい。
オリンピックの延期を決断したIOC、バッハ会長。
人生を左右するオリンピック
──まず、アスリートにとってオリンピックの価値とはどういうものでしょうか。
為末 競技によると思います。例えば野球やサッカーなどプロがある競技は、相対的に言えば大きな位置づけではないと思いますが、オリンピックと依存しあって成長をしてきた水泳や陸上、体操、柔道、レスリングといった競技の選手たちにはとても大きいものです。オリンピックでメダリストになるかどうかが人生を左右しますから。
──延期が濃厚とされています(その後、延期が決定)。アスリートからするとどういう思いでしょうか。
為末 早く決めてくれ、と思っているでしょうね。そのくらい大変です。
もし僕が指導するコーチだとしたら、「いいと言うまで絶対にドアを開けちゃダメだ、洞窟の中にいろ」と言います。一回でも「延期濃厚」と耳にしてしまえば、気持ちをまた入れることは本当に難しい。外の光を浴びるとふっと力が抜けて、日常モードになってしまう。そうすると勝負モードに戻れないんです。耳なし芳一みたいに妖怪がたくさん話しかけてくるかもしれないけど、とにかく聞いちゃダメだ、と。
──「洞窟にいる」くらい気持ち的に張り詰めたゾーンにアスリートはいる。
為末 大会が迫ってくると、だんだん日常から離れたモード、意識が外にふれないようにしていくんです。目の前のことだけをやろう、という感覚になる。だから、頭のなかで延期だって思った瞬間にもう戦えなくなってしまう。
──延期されたとき、選手たちに出てくる影響はどういうものでしょうか。
為末 世界中が同じ条件で再開するので、差を見るとパフォーマンスとしては大きく変わらないでしょうね。
ただ気持ちの問題で言えば、(アスリートに対して)すごくかわいそうだと僕は思います。
その一つはアスリートの旬の短さですね。実際、この2020年7月に引退を決めていた選手も知っていますから、そういう選手たちが来年も目指すとなるととても難しい。
いろいろな人とこのオリンピック延期に関わる話を見聞きして思ったのは、“アスリートはその日程が2、3日変わっただけで順位が変わるレベルでピーキングを行っている”、ということが理解されていないんだな、と。「こうすれば延期できるよね」と言われるんですけど、その通りなんだけど、そんな簡単ではない、簡単に延期に合わせられる世界ではない、と思います。延期はせざるを得ないですが、アスリート目線に立つと、その感覚はあるでしょうね。
もう一つは、延期って言われたときのモチベーション。例えがいいか分かりませんが、ブラック企業で寝る間も惜しんで一生懸命やれば本社に戻してやる、と言われて、ちゃんとやったのに「ごめん、もう1年延びた」と言われたような感じです。あと1年だから耐えられた苦しさなのにもう1年って言われたらちょっと……。
──苦しいですね。
為末 アスリートは痛くて苦しいのが日常なんです。それがもうちょっと続きます、という世界で。
例えば、400M系でいうと、4〜5分のインターバルで400Mを5本走るトレーニングがあるんですけど、だいたい朝食べたものを吐いてしまうんですね。昼休憩を挟んで、同じことを午後やるときもある。そんな練習を週に1、2回するんです。そういう日々を、できなくはないけど、5年はできないよね、って。
実際のところ、アスリートはやっぱりオリンピックを起点に考えていて、4年の中で、メリハリをつけるんです。1年目はこのくらいの強度、2年目は少し落ち着かせて、3年、4年に向かう。さっきのような練習は2年目の落ち着かせる波みたいなものを作った上でのペースだったりするので、これからそれをもう1回やるっていうのは……。
とは言えこういうフィジカルな部分は本質的ではないかもしれないですね。本質的なつらさはこの張り詰めた状態をもう1年伸ばすってことです。
世界陸上で2度の銅メダルを獲得するなど日本陸上界を牽引してきた為末氏は、それでもオリンピックを起点にアスリート生活があった、と話した。
「簡単に延期と言わないで」ある告白
──あるオリンピックを目指す30半ばのアスリートの方が、「延期、延期って簡単に言わないで欲しい」と話していました。
為末 その気持ちはよく分かります。実際、延期は避けられないし、すべきだってことは分かっていて、その上で感じる部分……なかなか分かってもらえない感覚、ってことだけはアスリートの中では分かっています(笑)。
──アスリートの気持ちだけを考えて決める必要がある、とまでは言いませんが、こういうときだからこそ、そこにあるアスリートの思いを知ることも大事なのではないか、と思います。
為末 伝えたいことは分かります。これはおこがましい言い方かもしれませんが、僕はアスリート以外で「欲しくてしょうがないもの」を持った人に会ったことがあまりないんですね。音楽家の方とかは似た気持ちがあるかもしれません。
こういう風になりたくて仕方がなかった、人生の十数年をかけた凝縮されたものがズレた、そして次のチャンスがあるか分からない、間に合わないかもしれない、という気持ちを含んでいて。
目指すものがあるだけで幸せじゃないかと言われてしまうので、なかなか伝わりづらいと思うんですけど。例えばセンター試験が急に試験を前倒しにするって言われたら怒る人がいると思います。アスリートはもう少しピーキングや体調とかいうものを複雑に科学しながら進めています。
例えば、弁護士の試験を12、3歳くらいから目指して、32、3歳でようやく試験を受けられる人が「来年はない。このチャンスで終わりだ」ってなったら、その試験がずれるとしたら、不安になりますよね。
しかも、テレビをつければ弁護士になった人がたくさん出ていて、なれなかった人は表舞台に立つことができない。試験が境目になっているわけです。
僕たちアスリートの世界も、この境目があって、やっぱりオリンピックに出て活躍したかどうかが如実に人生を分けていくのを見ているわけです。
──そのために4年でスケジュールを立てていく。
為末 はい。完全にはできないにしても4年単位で見ていきます。陸上は3年周期で世界陸上、オリンピック、世界陸上で見ることが多いですが、ここにアジア大会が入ります。アジア大会に出るか出ないかは、オリンピックへの調整具合で考える。僕は、最後のタイミングでは辞退をしました。
だから狙えるような体調であったアスリートほど、喪失感は大きいでしょうね。マラソンのように完全にそこを目指した競技などは尚更です。
──順調に逆算できていた証拠です。
為末 双六で1番に上がれそうなタイミングでスタートからやり直しにさせられたようなものですから。後ろにいた人はラッキーと思うかもしれないですけど、順調に来ていたアスリートからすれば「俺もう一回できるかな」と。
延期でスポーツ界に起きうること
──これから予想されることはありますか。
為末 一つは、代表権の問題です。すでに約50%の出場選手が決まっていたわけです。このオリンピックに出場が決まった権利は、選手たちの“出られる権利”なのか、それとも各協会がもっともふさわしい人を選ぶ権利なのか。そこが問われるだろうと思います。
日本では少ないかもしれませんが、スポーツ仲裁裁判所に駆け込む選手は相当現れるのではないでしょうか。
ポジティブな面で言えば、サポート体制が続く、ということがあります。今回のオリンピックはアスリートにとってはバブル的な側面がありました。スポンサーの引き合いがどの競技でも多かったわけですね。
僕は以前から、「アフターオリンピック」という課題を指摘していたのですが、それはオリンピックが終わり、一般的なマーケットの評価にさらされたときに、厳しい局面を迎える競技があるだろうということです。
それが少なくともオリンピックが延長されれば、国からのサポートは続くわけです。この局面で、各競技団体が自分たちにとっての適切なマーケット価値を見直し、そこへ対策する必要があると思います。その猶予ができた、と言えるかもしれません。
──厳しい現実もありながら、アスリートは自分たちの価値の尺度を見直すチャンスでもある。
為末 そうですね。
あとは今回、「アスリートファースト」を判断基準としても指摘されていたんですが、本当に重要なことは「アスリートボイスファースト」だと思っています。
──「アスリートボイスファースト」。
為末 アスリートたちに問われていることです。かつて政治家に転身の噂があったアスリートの方が「僕は競技者なので政治には興味がありません」と発言されたことがありました。それは、当時の流れとしては素晴らしい発言だったと思います。
でも、今アスリートが「競技者だからコロナには興味がありません」とは言えない状況です。加えて、社会や一般の人たちの方がアスリートよりもしっかりと声を上げている。海外を見れば、そういう状況でアスリートがメッセージを出しています。
じゃあ、日本のアスリートはどうするんですか、というメッセージを、(僕たち、私たちといった)アスリートの権利としてではなく、社会に対するメッセージとして出すべきなんじゃないかと思います。
──それはスポーツが単純な勝負や、オリンピックという商業的なものに組み込まれつつ、一方で公共財としての価値を持っているから、ということですか。
為末 アスリートファーストというものを、全て自分たちで勝ち取ったわけではないですが、努力して掴み取ってきたことは確かなんです。とても幸せなことにオリンピックもある。
でも、アスリートファーストって言ったときに、肝心なアスリートの声が出ていないと、何を起点に動けばいいか分からない。勝手に何かをすれば、アスリートを蔑ろにしている、ということにもなりかねない。
今、アスリートは自分たちが起点になっているということを意識したほうがいいと思うんです。もちろん、こういう状況ではなくてもアスリートは声を出したほうがいいと思いますけどね。
「声」を届けるアスリートに
──アスリートファーストと言っても何を基準に「ファースト」とすればいいか、声がないから分からない。
為末 はい。公人とまではいかないですけど、社会的責任もあると思います。だって本来は、いろんな意見があるはずなんですよ。アスリートだって食堂に集まったら、自分の意見をいろいろ喋るわけですから。それをアスリートだからって無理に押さえつける必要はないと思います。
──この延期までの一連の報道を見ても、アスリートの声はほとんど聞かれませんでした。それは、我々メディアが拾おうとしなかったという反省もあるのですが、一方でアスリート側もそういう姿勢が足りなかった、と。
為末 はい。そこは日本のスポーツ界の未熟なところだと思います。みんな真面目だし、ドーピングをすることもない。ただ、声だけが聞こえない。
今回のオリンピックに関わる報道の中で、新聞やウェブ、いろいろ見ていましたけど、その登場人物の顔写真を並べていくと、IOCのバッハさん、森会長、小池都知事……オピニオンとしてアスリートの顔が出てきた気がしないんです。
アスリートファーストが世の中の人にとって腹落ちしない理由は、日常的にそういうアスリートの声にタッチできていないからだと思います。アスリートってどんな気持ちなんだろう?って言ってくれなきゃ分からないですよね。
──社会に自分の声を。文句も言われるかもしれないけど、打ち返していく。
為末 はい。うれしい、くやしい、悲しいでもいいんですから。
──延期のシナリオに対して具体的な課題も見えました。アクションとして考えられることはなんでしょう。
為末 いくつかあります。一つは、テクノロジーを使って、遠隔地同士であっても、競技をする場所を作れないか、ということ。
今回で引退を決めていた選手、ピークを過ぎて1年後は無理だという選手は確実にいるので、彼・彼女たちに発表の場所は作ってあげたい。もちろん、情勢が予断を許さないので、夏は難しいかもしれないけれど、5Gもあるし、どうにかできないかなと思っています。
何かできないですかね。本当に。
あともう一つは、さっきの声を上げる部分のところです。東京五輪は「人類の共通の敵である疫病、コロナウイルスを克服したと宣言する大会にする。それを東京大会の意義にしよう」というようなメッセージを、若いアスリートたちが世界全体に対して一致団結しましょう、と呼びかける場を作りたい。日本のプレゼンスも上がると思います。
そして、ここに関連してきますが、やっぱりこういうときにアスリートが競技団体から独立した、横軸でつながった共通の声明を出せる体制を作ることです。できれば財源もJOCや競技団体に頼らないものが理想です。
今は、どうしても予算が競技団体と紐づいているから、団体としての一致した意見しか出せないんですね。でも、アスリートボイスファーストなんですから。
(編集・執筆:黒田俊、デザイン:松嶋こよみ、写真:GettyImages)