「日本のアートマーケットが1兆円を超える」と断言できる理由
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注目のコメント
倉田社長の動きと洞察力は、確実に21世紀型のアートマーケットを作ると思います。
【日本市場のポテンシャル】
①GDP比での富裕層の人数・割合
②メガバンクを巻き込んだ100億単位の資金調達が可能になったこと
②デジタルネイティブが2025年には50%を超えること
hiscoxのリサーチペーパーによると、ミレニアム層のアートの購入が加速しています。直近では70%を超える若者がオンラインでもアートを購入しており、そのほとんどがインスタグラムからの流入です。リアル店舗を持つ画廊は、機能的な「販売」から、「体験」を売りにしないと淘汰されていくでしょう。
日本画の価値が過小評価されている現実は世界へ出ると痛感します。「マーケットがない」ということは、欧米の現代アートオークションで話題になっている「シュレッダーで裁断されたバンクシー」や「食べられた壁掛けバナナ」を落札価格で超えられないという皮肉です。その点で欧米中心の「アート」は明確に「工芸」とは離れて価値付けが行われていた訳ですが、日本画のような「工芸的要素」を持ったアート作品の市場は近い将来、確実に生まれてくると思います。
今はアートを「所有」せず、「分割で保有」する選択肢も登場しました。Z世代として、シェアリングエコノミーのど真ん中にいますが、LVMHが売上を伸ばし続けているように、人々の「所有欲」はしかし無くならず、「使用欲」と並行して発展すると思います(会員権ビジネスなど)。とすると、純粋に「購入する」コレクターもまだまだ増えそう。
個人中心の不透明な時代にこそ、未来を遠目に描く「芸術家」という存在が新しい経済を作っていくように思います。絵に描いた餅にもなってない話ですね。
現在の表層的なアートマーケットをさも世界のアートはこうやって取引されているという、さもアートが債券や金融商品のように捉えてる話は本当に虫酸が走ります。
アートというのは権威そのものです。元々木や麻布に顔料と油を混ぜて塗りたくったものを何億円という金額で取引するのは、別にその材料に価値があった訳でもありませんし、その作品の作者に何億円という価値があるという訳でもありません。美術史的観点から考えても数千万を超える価値は歴史的作品においてもありません。それ以上の金額をそこに費やす本当の意味は、その作品の所有者のクレジットに連なる人物と歴史の権威を買うということです。
更に言えば、日本の歴史的美術品の多くは、文化財として国有あるいはそれに準ずる形で商取引から厳密に保護されています。これらに多大な価値が見込める事は否定しませんが、実質的にマーケットに上がらないものを中軸に置いた美術品カテゴリがそれほどに大きなマーケットとなり得るとは到底思えません。仮にそれらが何らかの思惑で放出されたとなれば、日本国内における文化財保護政策にも多大なネガティブな影響やリスクをもたらすでしょう。
今の日本でアートマーケットを語るなら、金額よりもアートマーケットに遡上する作品の裾野を広げる目線を語るべきです。
【追記】
記事中で横山大観への言及がありますが、何故大観の買値が落ち込んでるか判りますか?大観は総数2000点を超える寡作で有名で、近年出品されてる作品の多くは一般家庭から発見された作品が多く、保存状態も良くない。寡作で良品の割合が減ってくると価格が落ちるのは当然です。
それよりも、横山大観は近代日本画壇の父祖とも言える作家であるにも関わらずこれほどに美術的権威が損なわれているのは、大観の作品以前に、東京藝大を筆頭とする日本画壇の硬直化や日本の文化振興政策、文化教育政策、そういうものの総体として権威が失墜しているんですよ。個人的に、鑑賞後に立ち寄る美術館の"ショップ"は大好きです。日常的に使用するものにARTが混ざり合うと、ちょっとだけ気持ちが、楽しくなる。MOMAを訪れると、毎度2時間位は立ち寄ってしまう。自宅でコーヒーを飲む時も、MOMAで購入したMAGだと、ゆったりとした時間がリッチになる感じがする…。もっと、ARTが身近になるといいですね。