「確信のない結論」のほうが信頼できる - 天才科学者はこう考える
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注目のコメント
正しいと思います。
遠い未来への大きな確信はなくとも、近い未来の小さな確信を積み上げて、確かめながら進むべきと思います。
コンサルティングをしていると、クライアントから事例を求められます。クライアントが確信を欲しいからです。
また、事例を振りかざしたコンサルティング会社が多いのは大変遺憾です。コンサルタントのスキルは事例の輸入なのかと思ってしまう程です。
ですが、新しいことには事例がありませんし、確信もありません。仮に海外で成功したモデルであっても、日本は同じ環境でないので成功しないものも多数あります。
大切なのは、先入観なく、実際の環境を正しく分析し、そこから推測される「確からしい」方向性を考え、小さく始めて、成功したら確信を膨らませ、臨機応変に大きくすることだと思います。新たな知識と常識を生み出す。
未来創造とは、そういうこと。だかたこそ、現在の知識だけに基づいて、確信を持たない。
天才科学者でなくても、短絡的に確信せず、新たな可能性を追求することは、人生を豊かにするために不可欠な行動ですよ。なんや科学者、作家、思想家、研究者・・・なんでも混ぜこぜの無茶苦茶な話やな、、、
殆どの科学者は、「(完全な)根拠のない確信」に基づいて研究しているので、ちょっとこの話とニュアンスが違うと思います。
確かに疑うことが科学と言えなくもないですが、いつもあらゆることを疑っていたら前に進めないので、普通の科学者であれば、(ほぼ)疑いのないことと、疑わしいことを分けて考えています。たまに、(ほぼ)疑いのないことが覆ったりするわけで、それはそれで大きな発見ですが、いつもそんなこと狙って研究していたら仕事なくなります笑 むしろ、そういうことは、普段の研究をやっていて、セレンディピティ的にわかったりするものです。
そして、(ほぼ)疑いのないことが覆ったとして、一定の驚きはあっても、さもありなんというのが科学者の態度でしょうね。
ここでは、科学を自然科学と形式科学(数学)に分けずに扱っていますが、形式科学においては前提をおけば確実に言えることができる世界があります。
確信のある結論なき議論など、果たして意味があるんでしょうか。