データとリアルで「最高の出合い」を。伊勢丹の「CX戦略論」

2020/6/16
日本の大手百貨店である伊勢丹新宿店が、新たな顧客体験(CX)を作り出すべく、オンラインとオフラインの融合を進めている。

その一つとして、スタートするサービスが「YourFIT365 ISETAN MEN'S」だ。これは一度来店し3D計測機で自分自身の足型データを作りさえすれば、オンラインでも店頭と同レベルの満足度の高い購買体験ができる。

伊勢丹はこのサービスでどのような顧客体験を生み出そうとしているのか。日本初のCDO(Chief Digital Officer)として、オンラインとオフラインをまたいだ体験づくりを構築してきた長瀬次英氏と、同サービスを担当する三越伊勢丹の田畑智康氏が意見をかわす。

オンラインマーケティングに潜む、情報の落とし穴

──昨今、最適な購買体験を生み出すため、オンラインとオフラインを連携させていくOMO(Online Merges with Offline)という概念が注目されています。ただ、日本ではなかなか浸透していないのが実情です。
長瀬 OMOで大きな成功を収めているのは、アメリカや中国です。つまり国土が広大であるがゆえに、店舗に足を運ぶのが難しい国ですよね。
 一方、日本の場合、都心であれば数分歩けばコンビニがありますし、昨今の情勢を度外視すれば、百貨店などへのアクセスは比較的容易です。
 また、日本人の性質にも他国とは違った特徴があります。そもそも日本人は素材や色味など「質」にこだわる傾向が強く、アパレルなど実際に身につけるモノであれば、なおさらです。
 となると、日本においてオフラインの売り場を持つ優位性は、諸外国と比較しても高い。これは、オンラインとオフラインがシームレス化しても同じでしょう。
 つまり、海外とは状況が異なるため、OMOにも違った戦略が求められるのです。
田畑 ここ数年、私もお客様が店舗に求めるものが変化してきたと感じています。
 以前、お客様が店舗に来店される目的は、サイズやスペックといった情報を得るためでした。
 しかし、インターネットが普及した今では、ご自身で情報収集した上で来店されるのが当たり前になっています。
長瀬 おっしゃるとおり、いまや店舗の価値は情報ではなく、対面でしかできないサービスやソリューションにある。
 今後、店舗はこの価値をより求められることになり、もっとラグジュアリーな場にシフトすると思います。
 それこそ、世界の名だたるラグジュアリーブランドは、デジタル化が進んだ今でもオフラインにおける付加価値を大切にしています。
 彼らは、オフラインでの体験まで含めたものがブランドの価値で、お客様がそこにお金を払っていることを知っているんですよね。
 OMOの世界では、お客様のリアルタイムな情報をデジタルで得ようとしますが、「今この瞬間」の情報を得るには、オフラインで直接話を聞くしかありません。
 オンラインのデータを重視しすぎるのは、実はリスクも大きいんです。
──オンラインデータよって生じるリスクとは、具体的にどういったことですか?
長瀬 例えば、オンライン上の広告には、過去のデータからその人の趣味嗜好をアルゴリズムが分析し、パーソナライズされた情報をレコメンドするシステムがあります。
 すると、データが蓄積されるほど、お客様が認知できる情報の視野がどんどん狭まってしまうんです。
田畑 それは確かにリスクですね。
長瀬 例えば、あるビジネスパーソンが商談相手の接待を計画する場面を想像してみてください。
 クライアントのSNSに焼肉の写真がたくさん並んでいれば、「この人は焼肉が好きなんだな」と判断し、「接待も焼肉を」と考えるでしょう。つまり過去のデータだけを信じると、魚をレコメンドする発想は出てきません。
 しかし、肉を食べた次の日は、魚を食べたい気分かもしれない。今のクライアントの気分を知るには、SNSを眺めるよりも「明日、何が食べたいですか?」と直接聞くほうが、精度が高くスマートです。
 気の利いたビジネスパーソンなら「エネルギーを発散するためにゴルフでもどうですか?」と、さらに違った角度から提案するかもしれません。
 つまり、「先月これを買っているから、来月もまた買うだろう」といったような思考は短絡的すぎるのです。
 だからこそ、対面でなくても目の前のお客様から直接リアルタイムの情報を引き出し、提案に繋げていく。
 それをできるかどうかが、良い顧客体験を構築する鍵になると思います。

オンラインにも個のストーリーを反映する「YourFIT365 ISETAN MEN'S」

──伊勢丹新宿店の紳士靴売場ではより良い顧客体験(CX)を提供するために「YourFIT365 ISETAN MEN'S(以下、YourFIT365)」をはじめました。ここでは、オンラインとオフラインをどのように使い分けていますか?
田畑 「YourFIT365」は、3D足型計測機によって測定したお客様の足のデータを基に、シューズのレコメンドを行うサービスです。
 一度店頭(オフライン)で測定すれば、スマホアプリ(オンライン)に足型データに合わせた商品がレコメンドされ、そこから購入することができる仕組みです。
長瀬氏も3D計測機によって足型データを採取。手作業に比べて、所要時間も半分に。足長や足幅だけでなく、土踏まずや肉付きまで忠実に測定できる。
 店頭に足をお運びいただくことで、スタイリストとの会話で得られたお客様のパーソナルな情報を「カルテ」として反映できるので、より精度の高いレコメンデーションも可能になります。
長瀬 店頭で靴のフィッティングを行ってきた伊勢丹のレガシーが、オフラインにも引き継がれている部分にすごく説得力があります。
 足のサイズは、体調や時間帯によっても変わりますよね。私の場合、過去にケガをしているので、足の形やむくみ方に少し癖があるんです。
 データ化すると見えてこないのですが、お客様には一人ひとりに僕のような「個人のストーリー」があります。それこそが本当の個人情報であり、特別な関係を築くための貴重な武器なのです。
田畑 同感です。とはいえ、昨今の情勢を考えると、ショッピングをオンラインで完結させる人は、ますます増えていくでしょう。
 しかし、サイズ情報だけで自分に適した靴と出合うことは本当に難しい。
 オンラインショッピングをする際、「素敵な靴だけど、足に合うかわからないから店頭で試さないと不安」「履き心地のわかっているブランドの靴しか買えない」と躊躇されるお客様も多いはずです。
 私たちは、対面接客で得られるパーソナルな情報と、測定した詳細な足型データを組み合わせることで、「家にいても最高の購入体験」を可能にするサービスを目指していきます。

デジタルシフトの鍵を握るのは、リアル店舗でのコミュニケーション

──競合他社も含め、足を自動測定するサービスはいくつか登場していますよね。「YourFIT365」の一番の強みはどこにあるでしょうか。
田畑 お客様は足のサイズを測定してほしいわけではありません。なので、「YourFIT365」は足のデータを測定するサービスですが、お客様が自分に合う一足を見つけることを目的としています。
「YourFIT365」が担うのは、約1500足ある商品情報の中から選択肢を10足に絞るまで。そこから先の「お客様のライフスタイルや好みに合う1足」を提案する工程は、紳士靴に精通したシューカウンセラーやスタイリストの知見を活用します。
 つまり、接客時に提供できる情報の価値はこれからも変わらない。むしろ高まっていく思想で設計しています。
長瀬 実際に「YourFIT365」を体験させていただきましたが、僕が知らないブランドがサジェストされて新鮮でした。
 ブランドやデザインなどのセグメントではなく、「足型に合う」ことを起点にレコメンドを行う点が新しいですし、この偶然性は百貨店が提供してきた購買体験の楽しさを引き継ぐものですよね。
田畑 実は「偶然の出合い」も「YourFIT365」のキーワードの一つなんです。
 というのも、お客様は心理的に過去の経験から商品を選んでしまう。もちろん、好きなテイストから選ぼうとするのも、知らないブランドを敬遠するのも自然なことです。
 しかし、それでは新しい靴との出合い、つまりセレンディピティは減り、「自分に合う一足」にたどり着く確率も下がってしまいます。そこで「YourFIT365」は、商品検索結果のUIからあえてブランド名を取り除きました。
長瀬 なるほど、まんまと踊らされていたというわけですね(笑)。
田畑 もちろん、従来通り好きなテイストやブランドからお求めになるのであれば、店頭に立つスタイリストのサポートのもとで提案を行うこともできます。
 つまり、「YourFIT365」は“出合いの選択肢を増やす”一つのツールであり、 私たちが本当に提供したいと考えているのは、足を測定した先にある、お客様にとって最適な一足との出合いなんです。
「YourFIT365」のUI(ユーザー・インターフェース)。
長瀬 そうなると、オンラインにおける密なコミュニケーションも当然重要になってきますよね。
田畑 そのとおりです。今後は高いエンゲージメントを提供するオフラインの場だけでなく、オンラインチャットやサービス予約、オールインワンで買い物できるスマートショッピングなども充実させる必要がある。
 オフラインでの「付加価値」、オンラインでの「利便性」を磨き上げて、最高の顧客体験を追求していきたいと考えています。

ISETAN MEN'Sの紳士靴が目指すのは、“町の電気屋”のような存在

──「YourFIT365」をはじめとした伊勢丹のデジタル戦略の今後の展望について教えてください。
田畑 「YourFIT365」のレコメンド精度を高めていくことが直近の目標ですが、ゆくゆくは「YourFIT365」などを通じて得られたお客様のデータを、モノづくりに活かしていく計画です。
 百貨店はそもそも、「価格」「テイスト」「グレード」でセグメントされたお客様がいらっしゃる場。客層がある程度限られていて、顔も見える。
 さらに、接客したスタイリストは、「買った・買わなかった理由」といった質の高い情報も持っている。
 これはマーケティングをする上で非常に有効なデータです。それをメーカーにフィードバックすることで、商品開発や顧客満足度のさらなる向上に活かしていきたいな、と。
 例えば、長瀬さんにご試着いただいたスペインのシューズブランド「Berwick(バーウィック)」も伊勢丹が目指すビジョンに共感し、今後データを活用したものづくりを共同開発していくブランドです。
長瀬さんが試着したスペインの革靴ブランド「Berwick(バーウィック)」。従来の方法に固執せず、高品質の靴をつくるため、テクノロジーを駆使した先進的なモノづくりを行っている。
長瀬 楽しみですね。あくまで僕個人の意見ですが、伊勢丹のようなビジネスは、接客でもモノづくりでも真摯にお客様と向き合うことが最も重要ですし、そこが唯一と言って良いほどの強みだと思います。
 僕はファッションブランドにも携わっていますが、伊勢丹とは規模も業態も違うブランドでさえ、オフラインの場を中心にお客様と向き合い、どうビジネスを構築するかを考えています。
 無理に客層を広げようとせず、今いるお客様を大切にする。広告は打たず、展示会等のオフラインの場で会話を重ねることでブランドへのフィードバックを受け、本当に大切にしたい相手と長い関係性をつくっていく。
 規模や業態が違っても、お客様とのリレーションづくりには通じるところがあるなと感じました。
田畑 今回「Yourfit365」のサービスを始めていくにあたって様々なリサーチをしたのですが、1年間に4回来店していただくお客様が重要顧客だという結論に至ったんです。
 百貨店は広域型のビジネスモデルだと思われがちなのですが、この4回来ていただくお客様を大事にしていかなければならない。
 だからこそ、また足を運んでいただけるように「YourFIT365」のようなサービスを通じて、オフライン、オンラインを問わず伊勢丹に愛着を持ってもらいたい。
 言うなれば、困ったら相談してもらえる“町の電気屋”のような存在を目指していきたいんです。
長瀬 オンライン中心の戦略で伸びているアパレルやシューズブランドはありますが、彼らは後からオフラインである実店舗を持っても絶対に採算が取れないし、ビジネスモデルも合わないんですよね。
 なので、エンゲージメントの高いブランドをつくるときは、結局はお客様と向き合える店舗を持っているところが強い。顧客体験の質においても、やはり店舗に優位性はある。
 “百貨店離れ”と言われていますが、今後伊勢丹がどのようにオフラインとオンラインを融合し、エンゲージメントを高めていくのか、日本にとって重要なサンプルケースになると期待しています。
(編集:海達亮弥、大高志帆 執筆:高橋直貴 撮影:大野隼男 デザイン:砂田優花)