【長友佑都】ロケットスタートを切る準備はできている

2020/4/2

自信を失った苦しい日々に思うこと

2015年は僕にとって忘れられない1年だ。
自分の人生の中でもっとも落ちるところまで落ちた時間。
きっかけは、2014年のブラジルワールドカップだった。
記憶にある人も多いかもしれないけれど、僕たち日本代表は、「優勝」を公言して大会に臨み、結果として1分け2敗という不甲斐ない成績でグループリーグ敗退を喫した。
負けた瞬間にあったのは絶望。
けれど、僕が苦しんだのはその瞬間の「絶望」よりその後の時間のほうだった。
「優勝」を口にするほど自信を持った大会に、一つも勝つことができず終わった。その結果はもちろん、ただひたすら「2014年6月」にサッカー人生の集大成を見て、すべてを捧げてきた時間が何一つ報われることなく、自信はただの過信だったという事実に、自分を保つことができなかったのだと思う。
それから1年、本当にサッカーが憂鬱でしかたなかった。
今、振り返っても「生きててよかったな」と思うくらいのどん底の経験だった。
ワールドカップ優勝という目標だけを見て進んできたのに、それがなくなり、もうその時間は一生、戻ることがない。
目標が消え、サッカーをやる意味を失い、何のためにピッチに向かっているのかわからない。
不思議なもので、そうするとパフォーマンスは低下し、怪我をする。試合にも出られなくなる……。悪循環の「輪」はどこまでも下へ、下へと転がっていった。
(ワールドカップ後に始まった)2014−15シーズンは、前年のプレーが評価されて、副キャプテンにも任命されたのに……。前シーズンの自分とは心技体全ての面で、違っていた。
翌年(2015年)に行われたリベンジの機会、アジアカップでは準々決勝のUAE戦で肉離れになり、すでに交代枠を使い果たしていたこともあって、僕は、──普段の左サイドからではなくピッチの中央に位置しながら、PK戦での敗退を見届けることになった。
日本代表はおろか、サッカーすら辞めたかった。もうピッチに行きたくなかった。実力がないんだから……。
改めて当時を振り返ってみて思い出される感情の一つに「試合に出たくない」というものがあったことに思い至る。
あれだけサッカーが好きな僕が、そうとまで思った理由はシンプルだ。
「試合に出てもパフォーマンスを発揮できないから」
自分が活躍できるイメージが全く湧かないのだ。
1シーズン前のプレーは実力ではなかったんだ、そうとしか思えなかった──。
【長友佑都】才能がなかった僕が若い頃こだわったこと

苦しみから救ってくれた時間と出会い

遡ること1年前。
ブラジルワールドカップを控えた僕は、最高のコンディションでシーズン(2013−14)を迎え、開幕戦で決勝ゴールを奪うと、リーグ戦は34試合に出場。5得点6アシストと、インテルでプレーしたキャリアの中でもっとも充実した日々を過ごしていた。
アジア年間最優秀選手賞にも選ばれ、当時出した本に、これから目指す目標としてデカデカと「バロンドール獲得」と書いたくらい、自信に満ち溢れていた。
ブラジルワールドカップ後の姿を見れば、本当に、だいぶ“ほらを吹いたな”と思う。
一方で、“自分の実力を疑う”必要があったのか、とも思う。
日々のトレーニングに打ち込み、苦しいことを乗り越えながら手にした13−14シーズンの結果は偶然だったのか。否定すべきものだったのか。
そうではない、と。
結果的に僕がこの苦しみから立ち直れた要因は「時間」だった。
つらいときは必ず終わりがくる。確かに、あの1年は何をしてもうまくいかなかった。頑張れば頑張るほどに空回りし、悪循環に、下へ落ちていく。
それでも、終わりは来る。
幸運なことに、この頃には新しい出会いもあった。妻との出会いだ。
母子家庭で育った僕が、サッカーを続け、うまくなりたいと思えた理由の一つには女手一つで育ててくれた母親を笑わせたいという夢があったからだった。
おこがましい言い方だけれど、その夢はある程度、叶えられるようになっていた。ブラジルワールドカップ前後の僕には「人のために」という“エネルギー”が足りなくなりつつあった。
そして、どん底へと落ちていったときには、自分を加速させる“エネルギータンク”は空になっていた。
そんなタイミングで妻と出会い、新たに笑顔にしたい人という“エネルギー”を得ることができた。これはとても大きなきっかけだったと思う。
もちろん、サッカーの世界は甘くない。時間が経ち、誰かのためにというエネルギーを得たからといって、すぐに人生が好転するわけではない。
1シーズン、まともに結果を出すことができなかった僕は、再びレギュラーを勝ち取らなければならない立場になっていた。メディアで不要論を伝えられたり、移籍の話が噂されたりと、内外共に厳しい立場だった。
【長友佑都】失敗のない「ストーリー」には誰も惹かれない
ここで僕を救ったのは、物事の見方である。
落ちるところまで落ちたけれど、少しずつ前を向けるようになり、そして上を見ることができるようになっていく。
そして、その視界の先には間違いなく自分が歩んできた道があったのだ。一度は登ったその道である。確かに自分の足で歩んだものだ。
サッカー選手・長友佑都は底にいるかもしれないけれど、それは人間・長友佑都までが落ちていったわけじゃない。
人間・長友佑都がサッカー選手・長友佑都に語りかけるようだった。
「このままで終わっていいのか? 諦めたらダサくないか? 何やってるんだ?」

ストーリーが明確に見えてきた瞬間

苦しい時間を経験し、得たのは物事をどう見るかという考え方であり、その具体的な方法は“自分を客観的に捉え、物事を「ストーリー」と「シーン」で捉える”ことだった。
サッカー選手としての「ストーリー」が明確に見えてきた瞬間だった。
子どもたちが自分のストーリーを見たとき、感動するものでありたい。恵まれない誰かがいたら希望を与えられる姿でありたい。
そうやって人の心を動かすことができるのは、順風満帆に駆け上がるサクセスストーリーではない、這い上がっていく泥臭い物語にこそあるはずだ。
ちょうどこの頃、マンチェスター・ユナイテッドからのオファーがあった。誰もが知るビッグクラブに、僕は移籍をせず、ゼロからインテルでレギュラー争いをする選択をした。
もちろん、いろいろな条件が重なった結果ではあったけれど、インテルで再度、レギュラーを勝ち取り、チームを勝利に導く「ストーリー」の方が自分に合っている。そのほうが、かっこいい「ヒーロー」になれる。
そう思ったのだ。
【長友佑都】「成功は約束されなくとも成長は約束されている」
そして今、僕はトルコにいる。
3シーズン目を迎えたガラタサライに所属はしているものの、試合に出ることはできない。それはこのコロナウイルスの影響下で中断されているシーズンのせいで、という意味ではなく、出場する資格がないのだ。
1月、僕はリーガかセリエAへの移籍を模索していた。移籍話は自分の意思でどうにかなるものではない。実現まであと一歩、というところで状況は変わり、1月末の移籍期限までに交渉はまとまらなかった。
その頃にはガラタサライも、僕が移籍をする前提で補強を進めていた。外国人枠の問題もあり僕は、シーズンを戦う登録メンバーから外れることになったのだ。
現実として、このシーズンが終わるまでの残り半年、僕は試合に出ることができない。
とても残念だったし、悔しかった。
でも、例えば「半年も試合に出られなくてヤバい」といった感情は全くなかった。強がりでもなんでもない、本当にチャンスだと思えた。
出場登録メンバーから外れるシーズン前半戦、リーグ戦、カップ戦、チャンピオンズリーグそして日本代表と本当にフル回転で戦っていた。ずっと最大の出力で試合に出続け、それ以外の時間も、練習、大陸間の移動と、とにかく時間に追われていた。
これは今シーズンに限ったことではなく、海外にプレーの拠点を移してからずっと続いていたことでもあった。
その経験は何物にも変え難かったけれど、常にアウトプットだけをし続けるような感覚があった。インプットが全くないのだ。
サッカー選手としてもっとレベルを上げるために“やれていないこと”がたくさんある。もどかしさを抱え続けてきた。
年齢を重ね、ベテランと言われる歳になり新しい「エンジン」が欲しい。
心技体全てにおいてもう一つ上のレベルに自分自身が駆け上がるために、インプットしなければならない──。
そのタイミングが来た、と思った。
もちろん、今までのエネルギーでも戦うことは不可能ではない。車に例えれば、まだ残っているエンジンで走ることはできる。でも、長年走ってきたタイヤは滑りやすくなっている。ある程度の道は走れるけれど、山道や険しい道を走るのは危険だ。
僕にとって山道や険しい道はチャンピオンズリーグで戦ったレアル・マドリーやPSGといったビッグクラブだ。彼らと対峙したとき、やっぱり“新しいエネルギー”、新しいエンジンとガソリンやタイヤにしなければならないと肌で感じていた。
この半年、公式戦でプレーしないという決断は一般的にありえないものだったのだろう。心配もされたし、サッカー選手として致命的だという見方もあった。
なぜこの決断ができたかと言えば、目標がはっきりしていたからだ。2年半後のワールドカップ。そこにもう一度チャレンジをしたい。日本を世界のトップチームに導きたい。そのために、今必要なことが何かを考えたときの答えが新しいエンジンを手に入れるためのインプットをする時間だった。
僕が目指す「ヒーロー」は、この「ストーリー」を必要としていたのだと思う。
だから今、僕の日々は充実しているし、来シーズンにあっと言わせるだけの準備ができている自信がある。

世界的危機を迎えて

トルコリーグは今、中断期間だ。世界中で拡大し続けるコロナウイルスの影響である。
2週間の自宅待機が言い渡され、ほとんどの時間を家で過ごす。
リーグは全選手・スタッフの検査を行ない、僕ももちろん検査をした。ガラタサライは会長と監督が陽性で、身近な人が罹患することに恐怖も感じる。
だからこそ、日本の皆さんも意識を高く持って、早い決断をして欲しい。東京ではいまだに外出している人もいると聞くが、自分が感染するだけでなく、人にも感染させてしまう可能性があることについてもっと深く考え、それを行動に移して欲しいと思う。
今、本当に大変な思いをしている人も多いだろう。みんなに同じように考えて欲しいとは決して思わないし、僕には恵まれた環境があるという前提も理解した上で、最後にこの惨禍における自分なりの考えを記しておきたいと思う。
先が見えないこの状況で、唯一確かなことがある。
それは、このウイルスとの戦いは必ず終わる、ということだ。必ずこの日々は明ける。
だから僕は、この時間をポジティブに捉えようと思っている。
今までできなかったインプットの時間を増やそうと、家族との時間、政治や経済の勉強、語学そして基礎を中心としたトレーニングの時間に充てている。
誰もが同じ状況に置かれてる今、見据えているのは必ず終わりが来た日、コロナウイルスとの戦いが明けたあとのことだ。
この時間で新しいエンジンを備え、ガソリンを入れ直し、タンクを満タンにする。そして明けた瞬間にロケットスタートを切り、かつバテずに走り続ける。誰よりも。
そのためにこの時間は絶好のタイミングだと思っている。
一人の力でこの状況は変えられないが、自分の考え方、取り組み次第で自分の状況は変えられる。コントロールできる。
この時間をどう捉えるかは自分次第なのだ。
僕はここで「明けたあと」を考えたい。新しいエンジンを手に入れたい。
明けたあとのことを考える余裕なんてない、という人たちもいると思う。でも、そんな人にも明けたあとはある。
不安は誰もが持つ。でもここで手に入れたエンジンはきっと将来、より素晴らしいエンジンとなり、自分を助けてくれると僕は信じている。
(構成:黒田俊、デザイン:九喜洋介、松嶋こよみ、写真:GettyImages)