世界最先端のアスリート育成学校がメントレを重視する理由

2020/5/22
高いパフォーマンスを発揮するためには、強靭なメンタルが必要だ。いまやメンタルトレーニングは一流アスリートには必須になっている。今回の特集では、世界最高峰のメンタルの捉え方、鍛え方に焦点を当てる。第1回はIMGアカデミーの中村豊氏のインタビュー。

「NO.1」を生み出す理由

──まずIMGアカデミーと中村さんについて簡単にご紹介いただけますか。
中村豊(以下、中村) IMGアカデミーはアメリカのフロリダにあり、世界80か国以上から生徒が集まる全寮制の学校です。
 そこで私は、トレーニング面、メンタル面、栄養面で選手をサポートするアスレチック・パーソナル・ディベロップメントという部署に所属しており、テニス部門のストレングス・コンディショニングの分野でヘッドを務めています。
──IMGアカデミーにはメンタルトレーニングの専門家がいるそうですが、いつ頃から専門家を取り入れるようになったのですか。
中村 IMGアカデミーはニック・ボロテリー(Nick Bollettieri)というテニスコーチが1978年に創設したテニス選手の育成学校になりますが、他のアカデミーとは違う色をつけるため、テニスの技術を教えるコーチ以外に、フィジカル、メンタルのスペシャリストを雇ってきました。
 そのメンタル分野を担当したのが、スポーツ心理学者のジム・レーヤー博士です。彼はメンタルタフネスの権威と呼ばれていた方で、ニック・ボロテリーとタッグを組んで、メンタルコンディショニングのメソッドを作り上げました。
 現在はそのメソッドを受け継いだ専門家が12、13人ほどフルタイムで働いています。主に、気持ちの持ち方の授業を教えたり、フィールド上でのサポートなどを行なっています。
 メンタルトレーニングは大まかに分けてふたつあり、ひとつは「メンタルウェルネス」です。主に私生活面のパーソナル的な問題が生じたときのカウンセラーを行います。
 簡単に言うと「ゼロ」が普通のメンタル状態だとしたら、「マイナス」に落ちている部分を「ゼロ」の状態に戻していきます。
 例えば、お酒を飲み過ぎたり、家庭のことでギクシャクしていると、選手はパフォーマンスが発揮できなくなる。そういった欠けている部分をサポートしています。
 もうひとつは「メンタルコンディショニング」で、フィールド上でのパフォーマンスに重点を置いた「メンタル向上」を目的としています。
 「ゼロ」の状態から、いま持っている能力を「プラス」に上げていくものですね。
 例えばルーティンを作るとか、気持ちをポジティブに持っていく方法を学ぶなど、複数のアプローチがあります。
──育成年代において、メンタルトレーニングはなぜ重要なのでしょうか。
中村 シャラポワも錦織圭もこのIMGアカデミーで育っていますが、プロ志望の選手でも、プロ志望ではない普通に大学に行きたい子でも、メンタルのクラスは組まれています。
 あらゆるパフォーマンスを最大限に発揮するためには、自分を知ることが大切なんです。自分の気持ちをコントロールできる子とそうではない子では、やはりパフォーマンスが違ってきますから。
 天候が悪かったり、(テニスで言えば)相手のサービスがちょっと速かったり、芝が長かったり短かったりといった外的な要素は自分でコントロールできない。唯一コントロールできるのは自分の心ですから、小さい頃からメンタル面でのサポートは大事にしています。
──実際、メンタルトレーニングの導入による成果のデータは出ていますか。
中村 現在のスポーツ界ではいま可視化がトレンドとなっていますが、フィールド上でのデータ──どれだけボールを速く投げたか、コート上での心拍数、走行距離といったこと──は数字として出てきますが、気持ちの部分はなかなか数値化されることが難しいのが実情です。
──なるほど。では、たくさんの世界NO.1選手を輩出しているIMGアカデミーのメンタルトレーニングの最大の特徴はなんでしょう?
中村 やはり我々の特徴は、プロ選手の育成を通して得たノウハウがあることだと言えるでしょう。
 特にIMGのアカデミーの根本である「テニスアカデミー」では、いままでシャラポワ、錦織、セレーナ・ウィリアムズなど、世界ナンバーワンの選手を育成してきました。
 そういった実績、ノウハウの蓄積が、ここにはある。そうしたプロの現場で学んだことを、我々指導者がいまのグラスルーツの生徒に伝えています。

不安と向き合い、ルーティンを進化させる

──メジャーリーグをはじめ、あらゆる競技において、スポーツ心理学者といったメンタル専門家の需要は高まっています。その理由はなぜだと思われますか。
中村 スポーツは選手が中心で動いていますが、メンタルトレーナーは選手と監督の間にちょっと溝がありそうなとき、仲介的な部分もやってくることもある。
 “選手と選手との接着剤”、“選手と監督の接着剤”といった役割となりえるので、チームとしても需要が高まっているのは当然の流れと言えるでしょう。
──中村さんはこれまでたくさんの選手を接していますが、一流選手のメンタルにおける共通点はどこにあると思いますか?
中村 シャラポワ、錦織、フェデラー、ナダルなど、彼らを指導してきて感じるのは、げんを担ぐというか、いわゆる同じルーティンを作っている選手が多い。
 たとえば、同じ曲を聴きながらスタジアムに向かうとか、同じストレッチをやるとか。同じルーティンで練習や試合に挑んでいます。
 それによって安心することで気が休まってゾーンに入れるようになれるから。
──なるほど。ルーティンを作ることでメンタルは「いつも通りだ」というようなメッセージを自分自身に与えてくれる。
中村 はい。ただルーティンを作ると同時に、(もう1歩選手が上のステージに行くためには)そのルーティンを壊す、進化させることも、我々指導者の仕事です。
──「ルーティンを進化させる」。
中村 先に「メンタルウェルネス」と「メンタルコンディショニング」の二つが柱だと話しました。後者の「メンタルコンディション」は一言で言うと、選手のモヤモヤを取り除くトレーニングです。
 カウンセリングに近いのですが、フィールド上での技術的・戦術的な問題をクリアし、どうすれば選手たちのパフォーマンスを上げることができるか。
 試合に取り組むにあたって、ルーティンを作ったほうがいいのか、かえって作らないほうがいいのか、とか。
 対話することで、選手自身に“自分”を知ってもらう機会を作るのが、メンタルコンディショニングの一番の役目になります。
──進化させる必要性はどこにあるのでしょうか。
中村 ルーティンはメンタルを安定させます。でも、マンネリ化も起きますし、そうなれば気の緩みが出ることもある。
 選手も我々指導者もつねに進化を求めているから、ルーティンを作り上げて完璧だと思っていても2、3割の部分は少しずつ変えて、また新しいルーティンを築いていかなければいけません。
 ビジネスの世界でもそうだと思いますが、トップの人間になればなるほど、自分はこうでなければいけないといった“頭でっかち”の人間が多い。自分の生き方はこうだから、それを変えることはイコール、いままでの自分を否定することになる。
 トップアスリートの人間にも同じように当てはまるんです。だからトップ選手に関わっている私たちは、ある程度の勇気を持って、彼ら・彼女たちと接していかなければなりません。
──“型を作って型を破る”ことを繰り返すと。
中村 そうです。そうしないと、変わりません。テニスラケットといった道具がつねに進化しているように、アスリートも日々進化していかなければいけない。
 プロ野球の世界でも、大谷翔平選手のようなスケールの大きな選手が出てきたり、佐々木朗希選手といった大型の選手も出てきている。以前だったら150キロ出したら豪速球と言われていたのが、いまでは170キロの時代です。
 10年前にダルビッシュ有選手がやっていたことをそのまま持ち込むのではなく、育成のやり方もどんどん進化させていく必要があります。
──確実性と、不確実性。
中村 それと多様性。ルーティンによって「確実性」ばかりを求めると、どうしても同じことの繰り返しになってしまう。
 日本人のメンタリティは、「確実性」を求めて社会が動いている。ミスはしたくないから、自分の武器を「1、2、3」と繰り返している。でも、アメリカはダイナミックな国なのでつねに進化を求めている。
 自分の武器がありながら、つねに遊び感覚で、違う勝ち方とか、違う戦い方もテストしていく習慣がある。
 自分の基盤=確実性と同時に、不確実性と多様性も用いる。このバランスがあることで、どんどん社会も会社も、そしてアスリートも進化していくわけです。
──しかし、新しいことへのトライを求めることは、つねに不安がつきまといます。
中村 不安だからこそ、ちゃんとやると思うんです。選手があまりにcomfortable(快適・居心地がいい)すぎると進化していかない。だから良くも悪くも、そこを我々指導者が壊すのです。
 これはメンタル的にもフィジカル的にもですね。たとえば、毎日腕立て10回ずつやったら、筋肉がついてきて10回では足りなくなるので、回数を増やさないといけないということと同じです。

シャラポワのメンタル

──そうしたメソッドをシャラポワ選手などは体現していたから強かった?
中村 はい。彼女のメンタル的な強さはテニス界でも有名です。
 身長が188センチあって、フィジカル的にも技術的にも高い選手ですが、彼女の一番の武器はハートです。試合をやっているときに勝っているのか負けているのか分からないと言われるくらい、いつも自分の心をコントロールできる選手でした。
 ボロ負けの状態でも、あたかも自分が勝っているような仕草でやり続けるのです。
 プレスルームでの受け答え方も、勝っても負けても同じ。小さい頃からお父さんが世界チャンピオンにさせるために育ててきたからでしょうね。
 加えて、あれだけの才能を持ちながら、勝つことに対して貪欲で、勝つためにはちゃんとした準備をしなければいけないことを理解している。
 みんな口では言いますよね。試合のような緊張感を持って練習することが大切だと。それをはっきりと行動で示せるのが、シャラポワのメンタルの強さでもあるのです。私自身、彼女から一番学んだことでもあります。
──なるほど。つねに試合のような緊張感、プレッシャーのかかった状態を作りながら練習に取り組むことでメンタルは向上する。
中村 そうですね、ただプレッシャーを与え続けるだけではダメです。飴と鞭ではないですが、メンタルがどんなに強いといっても、心が折れるときは折れてしまう。
シャラポワレベルでも、心が折れるときもあった。厳しくするときに厳しくする。褒めるときは褒める。
──メンタルダウンした時、具体的にどうアプローチしていくのでしょうか。
中村 そうですね。その場合は3つのステップでメンタルケアをします。
(1)「次」に頭を切り替える努力をすること。
(2)その試合でなにが足りなかったのか──フィジカル的なものなのか、メンタル的なものなのか、技術的なものなのかをシンプルに分析すること。
(3)同じミスを起こさないように、これからどんなアプローチをすればいいかを整理すること。
 そうすると、選手は「次やろう」となれる。(叱咤激励するために)怒り続けてばかりでは、どうして負けたのか整理がつかない。モヤモヤしている状態が一番メンタルに悪いですから。
──なるほど。他には何があるでしょうか。
中村 やはり決めたことをやり続けることですね。たとえば、同じ時間に寝て同じ何時に起きること。
 テニス選手の場合、海外の遠征が多いので、時差と戦いながら、ホテル住まいをしながら、試合もいつ始まるかわからない。唯一コントロールできるのは同じ時間に寝て同じ何時に起きることくらいです。
 (やり続けるのは)瞑想とかヨガとかストレッチでもいい。あとは、グリーンスムージーを毎朝飲むとか。シャラポワがそうだったのですが、食事だけではなかなか1日に必要な栄養素が採れません。私もルーティンにしていますね。
──それがメンタル強化につながるのですか。
中村 はい。グリーンスムージーはいいですよ。シャラポワは小松菜とほうれん草、あとはキウイ、青いリンゴ、ココナッツウォーター、ツアシードを入れてミキサーにかけたものを500〜600ミリグラムぐらいの量で飲む。
 飲むタイミングはとくに朝がいい。ガソリンを満タンにして1日をスタートさせると気分も高まります。
 フィジカル的な安定がメンタル的な安定につながるんです。
 身体が疲れてくるとどうしてもメンタルダウンしてしまいますから。シャラポワの武器はメンタルの強さですが、そのメンタルを支えているのは無理のない技術であって、無理のない身体の使い方でもある。
 つねに身体が機能していれば、メンタルにかかるストレスも減ってくる。
 「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と言ったもので、まさにメンタルとフィジカルの関係は、車で言うところのタイヤの両輪関係のようなもの。それほどふたつのバランスがアスリートにとって大事です。
中村 豊(なかむら・ゆたか) / 1972年6月18日生まれ、東京都町田市出身。桐光学園高校卒業後、サドルブルック・アカデミーへ。松岡修造ら世界テニス界のトップ選手と同じ環境に身を置く。アメリカ・チャップマン大学(スポーツサイエンス専攻)へ入学し、NSCA-CSCSの資格を習得すると、フィジカルトレーナーの道へ。2006年にIMGアカデミーと出会い、2011年から8年間女子テニスプレーヤーのマリア・シャラポアの専属トレーナーを担当。現在は同アカデミーのフィジカル・コンディショニング分野のヘッドを務める。http://www.yutakanakamura.com
(執筆:小須田泰二、編集:黒田俊 デザイン:すなだゆか 写真:GettyImages)