山口周×平井正修:『禅』人らしく生きるために欠かせないこと
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注目のコメント
只管打坐と言われてソクラテスが出て来るところはワザとでしょうか。有る意味面白い。
異なる分野の専門家同士の対話が出来ないのは、ここで言われる「対機説法」が出来ていないのかもしれません。
>仏教では「対機説法」と言いますが、お釈迦様は相手の能力や資質に合わせて教えを説きました。
さしずめ現代なら具体と抽象を行ったり来たりさせて、落とし所を探るようになってしまいそうですが、総論賛成なのに同じ方向に向かなくなる大人の考え方は本気で見直す必要が有りそう。
キリスト教も難しいこと言い出すのは、福音書を読んだ後世の権力者で、シンプルに「汝自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ」を突き詰めることを放棄してるだけとも言えます。
正解が無い問を問い続けるという姿勢を持って、謙虚に他者の言葉に耳を傾けるということが自分も含めて中々出来ない。。昔から、壁の前に立って1日過ごしたり、岩の上や滑り台の上に3日座り続けたり、ジャングルジムの上で一晩過ごしたり、何も考えずじっとすることを繰り返してきたので、ふとした瞬間にも自分の中身を見つめ直すことが習慣化しています。というか、あまり世間に興味がないからかも知れませんが。
わざわざお寺で禅を組んだりはしませんが、禅をやっている人の話を聞くと、まあ似たようなものかな、なんて思ったりします。マインドフルネスはビジネスのためにやっているのだとすると、その時点で邪念がありますね・・・。
言語化したくないという気持ちがすごくわかります。
私も記事を書いたり本を書いたりするのがすごく遅いのですが、明確な想定読者がいない場合、相手に最適化した話しができないので辛くなるんですよね。
コオロギの飼育方法、よく人に聞かれるのですが、言葉で説明できないんですよね。ただ「やればわかります」としかいいようがない。「スマートフォンなどで絶え間なく外からの情報にさらされている現代人には特に、静かに坐って自分自身の意識を内側に向ける時間が必要なのではないかと思います。」
自分も、外界からの刺激を断ち、自分に向き合う時間をつくりたい