【関灘 茂】独自のアウトプットのためのインプットとプロセス

2020/4/6
今年1月に米系経営コンサルティング会社A.T. カーニーの日本法人代表に就任した関灘茂氏。神戸大学経営学部卒業後、A.T. カーニーに新卒で入社し、同社史上最年少の32歳でパートナーに、同じく史上最年少の38歳で代表に就任した。新卒入社の日本代表も初めてだ。

エリートコースまっしぐらと思いきや、新人時代は決してできるコンサルタントではなかったという。才能あふれる同僚に囲まれながら、どんな努力や工夫を重ね、頭角を現し日本法人代表まで上り詰めたのか。

阪神・淡路大震災での被災、コンサルタントという職業との出合い、A.T. カーニーで受けた強烈な洗礼のほか、今後の戦略など、関灘氏のこれまでの人生を振り返りつつ、仕事の哲学を探る。(全7回)

阪神・淡路大震災の原体験

私は1981年に神戸市で生まれました。その後、高校生までの間に、時間の流れが遅くなったような感覚を味わったことがあります。
1度目は、小学生のときに海で溺れた時。2度目は、中学生のときの阪神・淡路大震災で被災した時。3度目は、高校生のときに事件に巻き込まれそうになった時。4度目は、高校生のときに自転車に乗っていて、自動車と衝突して吹き飛ばされた時。
これらの経験から、生きていることのありがたさ、を強く感じられるようになりました。
最も記憶に残っているのは、阪神・淡路大震災での経験です。震災当日、両親を含め無事であったものの、水道・ガス・電気といったライフラインが途絶え、父方の祖父、母方の祖父母の自宅に電話をするもつながらず、安否確認ができませんでした。
今になって振り返ると、なぜそのような行動を取ったのか分かりませんが、余震が続く震災当日に、平時でも自転車で数十分はかかる祖父母の家に安否確認に行くことを決めました。
高速道路が倒れ、隆起した道路を避けつつ、すぐ近くに広がっていく火事を見ながら、自転車に乗って、父方の祖父の家に向かいました。
家に着くと、玄関がふさがっており、窓から入ることになりました。祖父は1階にあるこたつのあるスペース、その真横に布団を敷き、普段はその布団で寝ていました。
その全面に重たい家具が倒れていましたが、幸運なことに祖父はこたつで寝ていたため、こたつに倒れた家具が支えられており、身動きは取れていなかったものの、頭部が家具に接触することなく、無事であることが確認できました。
私の父が祖父を自宅に連れ帰り、私はさらに先にある母方の祖父母の家に向かいました。寝室のテレビが落下するなどしたものの、祖父母ともに無事であることが確認でき、私も自宅に戻りました。

水くみが日課の中学生

その後、家が崩壊・全焼した親戚も水道・ガスが復旧しない自宅に集まり、一緒に暮らすことになりました。
もちろん学校も休みになり、中学生の私の日課は、破裂した水道管から噴き出している水をくみに行き、自宅や近所の高齢者の方々の家のお風呂に水をためることでした。
何度も往復しなければ、湯船にいっぱいの水をためることができず、蛇口をひねれば水が出てくるありがたさを痛感しました。お風呂にも長期間入れず、かゆくなることも体験し、普段の当たり前の生活がどれだけ幸せであったかにも気づくことができました。
その後の自分に最も影響を与えているのは、両親の姿です。自身も被災者であり、勤務先もなくなる状況にもかかわらず、炊き出しをして、いろいろな人に食事を配っていました。
このような逆境でも、人のために行動できるのは立派だと思いました。生きていることのありがたさを感じつつ、生きている限りは、誰かのために動くということがごく自然に思えるようになりました。
この経験が、経営コンサルティングの仕事を選んだことにもつながっています。逆境に立ち向かう人々や挑戦する人々の背中を押す、支えるといったことで貢献したいと思えるようになったのは、震災時の原体験があるからと思っています。

塾の先生に導かれた経営学

中学生のときから通っていた学習塾の先生方も、私に多大な影響を与えてくれました。
中でも、法学部出身でありながら、経営学や心理学などにも明るく、塾では英語や生物の授業を担当されていた先生の影響が大きかったです。国内外で指揮者としても活動し、バスケットボールの審判として活動するなど多才な方です。
当時、高校生のクラスを主に担当していたその先生は、私も出席している中学生のクラスの様子を見にきてくれました。中学1年生のとき、中学2年生の教材を渡してくれました。
「1年分のこの教材を1週間で終わらせたら、ピザをおごってあげよう」と言うので、親友と共に取り組みました。お陰様で、常識にとらわれずに短期間で取り組む集中力を養ってもらいました。1学年上のクラスにも入れてくれ、学びたいことを学びたいペースで学ばせてくれたことに感謝しています。
高校生になって、その先生の英語の授業を受講するようになりました。高校1年生の時であったと記憶しているのですが、英語の授業の始まりの時に、清涼飲料水の話をしてくださって、それが私のマーケティングや経営学との出合いになりました。