日本の農業の未来を支える、たったひとつの「解」とは

2020/3/17
日本の農業の現場は高齢化が進み、人手不足も深刻だ。一方で、これまで農業とはまったく縁のなかった企業が、農業に参入する例も増えている。
それを可能にしているのが、植物工場システム。
工場で野菜を作る? それが農業の未来の姿? 小さな違和感を胸に、山梨県北杜市の日通ファームを訪れた。
堂々とたたずむ甲斐駒ケ岳。目を転じれば、八ヶ岳がくっきりとその全容を見せている。吸い込まれそうな青空から、真冬とは思えない強い日差しが降り注ぐ。
ここは山梨県北杜市にある日通ファームの植物工場。代表取締役の込谷二朗氏が、「北杜市は日照時間が長いことが自慢なんですよ」と笑みをたたえて迎えてくれた。
日本通運といえば、日本を代表する物流企業。その日通が、新規事業の一つとして、植物工場でホウレンソウやパクチー、ルッコラなどの葉物野菜を作っているという。
いったいどうやって葉物野菜を栽培しているのか? 興味津々で植物工場へ足を踏み入れた。

光と命があふれる工場で成長するパクチー

そこは光に包まれた巨大な温室のようだ。腰くらいの高さに設えられた約1.3×20メートルの長方形の台。これが栽培用ベッドと呼ばれるもので、一面に緑色の葉が繁っている。それが何列も整然と並んでいる。
近づいてみると、緑色の葉はパクチーだった。どれも高さ20センチほどにそろっている。頭上から降り注ぐ日差しを気持ちよさそうに受けながら、元気よく葉を繁らせている。
静かに広がる緑の絨毯。耳を澄ますと、植物たちが成長する息遣いが聞こえてきそう。「工場」という名前から連想する無機質な印象はどこにもない。ここには光と生命があふれている。

独自の栽培ベッドと水が根腐れを防ぐ

天井の一部からは、澄んだ青空が見えた。だが、別の部分には日差しを遮る遮光カーテンが張られている。
「その日の天候や気温、湿度によって、遮光カーテンや天窓の開閉、ときにはミストを噴霧して温度を下げるなど、工場内の環境を自動で制御するシステムを導入しています」
どこからかちょろちょろと水の音が聞こえてきた。
「このベッドが置かれた台には緩やかな傾斜があり、常に水が流れるようになっています」
そう言いながら込谷氏が栽培ベッドの端を持ち上げると、確かに下には水が流れ、パクチーの根が見事に伸びているのが見えた。
「酸素が不足すると植物は根腐れを起こすので、常に水を流して、植物に酸素が豊富に行き渡るようにしてあるのです」

安心・安全で、露地栽培と変わらない味と栄養

別の一角では、苗の定植が行われていた。等間隔に丸い穴があいた白い発泡スチロール(これが栽培ベッド)に、スタッフが次々に苗を差し込んでいく。
定植も収穫も立ったまま作業ができるので、体への負担は少なく、熟練の技術もいらない。日通ファームには60名ほどのパート従業員がいるが、平均年齢は60歳前後、最高齢の方は73歳だという。
「ここでは屈んで草取りをすることもありませんし、雨や風の心配もありません。農業の経験がなくても作業できるので、高齢の方や、障がいのある方も働くことができます」
と込谷氏。
収穫は朝7時ごろから。計量、包装を経て、その日の夜には袋詰めされた新鮮な野菜が、首都圏の大手スーパーなどに出荷されていく。
この栽培ベッドには土がない。植物工場の野菜は、すべて肥料を含んだ水と太陽光だけで育っている。気になるのは、その味や栄養だが、
「植物工場で作られた野菜は、露地栽培のものと比べて、味はもちろん、栄養価の面でも変わりません。むしろ農薬を一切使わないので、安心・安全な野菜だという評価をいただいています」
と、込谷氏が自信たっぷりに教えてくれた。
1987年に日本通運入社。主に首都圏の配送センター、物流拠点で営業、管理事務などを担当。2016年10月に日通ファーム代表取締役に就任。立ち上げ時の農場建設、地方自治体・地域との対応等から生産、労務管理等、農場経営統括を担当。

農家の収益アップを目指して

日通ファームが採用しているのは、三菱ケミカルアグリドリームの「苗テラス」と「ナッパーランド」という植物工場システムだ。
三菱ケミカルアグリドリーム取締役社長の狩野光博氏は、
「植物工場システムは、今の日本の農業が抱えているさまざまな問題の解決に貢献できると確信しています。
当社は1951年に日本で初めて農業用ビニール(農ビ)を開発し、それ以来70年近くにわたって生産者とつながり、施設園芸の発展に尽力してきました。日本の施設園芸、そして農業を知っていることが、私たちの一番の強みです」
と力強く語る。
1983年に三菱樹脂入社。管工機材製品の営業を経てライフライン事業部GM。その後、経営企画部GM、理事 環境・生活資材事業企画部長など企画関係業務を担当。2016年4月に 三菱樹脂アグリドリーム(現 三菱ケミカルアグリドリーム)取締役社長就任。
農ビは風雨から作物を守るための資材で、ビニールハウスが代表的な使用例だ。今では当たり前の資材だが、これがない時代、農家は冬場に野菜を作ることができなかったのだ。
「農ビができたことで、たとえ雪が降っても冬場に野菜を育てて出荷できるようになり、農家の安定的な収入確保につながりました。その後も、この作物の生育にはこういうフィルムがいいのではないかと、農家の声を聞きながら研究・開発を続けて、今日に至っています。農家の安定的な収益向上を第一に考えながら、事業を進めています」

夏場もホウレンソウを出荷したい

「植物工場『ナッパーランド』開発のきっかけは、夏場のホウレンソウなんです」と狩野氏が説明する。
もともと夏場はホウレンソウの収量が落ちるので、市場価格は高くなる。ということは、夏にホウレンソウを出荷できれば、農家の収益は上がる。夏場はもちろん、周年でホウレンソウを栽培できる方法はないだろうか。
そこで三菱ケミカルアグリドリームは、季節に関係なく年間を通して安定して野菜を栽培できる養液栽培システム「ナッパーランド」を開発した。もちろん長年培った農業用フィルムの技術と、農業への深い理解がその根底にあったことは言うまでもない。

誰でも簡単にすぐれた苗が作れる

「ですが、一番重要なのは苗なのです。『苗半作』といわれるように、苗が農業の基本。いい苗が作れれば、生育が安定し、品質にばらつきのない野菜が作れます。そこで人工光・閉鎖型苗生産システムと呼ばれる最新技術を用いて、簡単に安定した苗が育つ育苗装置を開発しました。それが『苗テラス』です」
と狩野氏が説明する。
「苗テラス」は千葉大学園芸学部と共同で開発された。温度・光・炭酸ガス濃度など、種々な条件で発芽育苗試験を重ね、できた作物を確認して微調整を繰り返す。そうして天候や季節の影響を受けずに、均質な苗が作れる生産装置が誕生した。
日通ファームにある「苗テラス」を見せてもらった。ドア越しにのぞくと、密閉された部屋の中に幾段もの棚が作られ、人工光の明かりの下、均質な苗が並んでいる。温度や光、水は自動で管理され、まさに苗の工場だ。
「苗テラス」で計画的な苗づくりができれば、効率的な生産計画が立てられる。現在、「苗テラス」は日本の苗生産装置市場で90%以上のシェアを誇っているそうだ。

持続可能な農業に植物工場が貢献できる

少子高齢化が急速に進む日本のなかで、農業の担い手不足、後継者不足は深刻だ。現在、農業従事者の6割以上が65歳以上というデータもある。
持続可能な農業のために、政府は農業の大規模化、法人化を進めている。三菱ケミカルアグリドリームの「苗テラス」「ナッパーランド」を使った植物工場は、日本の農業の未来を支えるひとつの「解」になるのだろうか。
「大いになりうると確信しています」
込谷社長、狩野社長とも声をそろえた。
物流の日通が野菜づくりを始めたように、最近は異業種から野菜づくりに参入する企業が増えている。三菱ケミカルアグリドリームの植物工場システムを導入すれば、農業の経験や技術力がなくても、誰でも品質のよい野菜を作ることができるからだ。
「何より農薬を使わずに野菜を作ることができるので、安心・安全な野菜を安定的に消費者にお届けすることができます。
現在、このシステムは中国でも急速に実績を伸ばしています。じつは中国は日本以上に農業人口の減少が深刻化していますし、一方で富裕層は食の安全に大変敏感です。
日本だけでなく、中国をはじめ農業の課題を抱える国々にこのシステムを導入し、ともに課題を解決していきたいと考えています」
こう話す狩野氏。
日本の食を支えるソリューションカンパニー、三菱ケミカルアグリドリームが拓く、新たな農業の可能性に期待したい。
パクチーがスーパーで手に入りやすくなったのは「ナッパーランド」のおかげ。パクチーのほかにもルッコラやホウレンソウなど、生のまま安心して食べられるサラダ用野菜が作られている
(執筆:武田ちよこ 編集:奈良岡崇子 写真:大畑陽子 デザイン:月森恭助)