“投げ銭”だけじゃない。令和の若者が「一般人のライブ配信」にハマる理由
コメント
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考察にしては雑すぎる
これらは「ライブ配信で誰かと繋がっている」だけで、見てる側、配信する側のどちらにも、コンテンツを提供あるいは利用しているという意識はありません。プラットフォームがユーザー集めのための必要経費として、無料、あるいは低価格でサービスを提供しているので、それに乗っかっているだけにすぎません。これらはコンテンツとは一線を画す存在であり、認知するのは自由ですが、プラットフォームの中の人でない外野から、並大抵の考察、抽象化で理解しようとする行為は深みにはまるだけです、全くオススメしません。
・バーのマスターやスナックのママとの「ちょうどいい距離感」
・「話すことがない」というネタ不足に対する商品の宣伝
・メディア視点からみえる「個人的嗜好視聴の加速」
この辺りの考察もかなり上っ面を撫でているだけで中身が全く見えてきませんし、というより、広告代理店勤務の若い女性ならではの視点という気がしません。読み手の層を意識したのか、誰かのチェックが入ったのか知りませんが、令和女子を冠する記事にはふさわしくない内容だと思います。
注目のコメント
疎結合的な人間関係を求めているんだろうか?彼らにとっては場末のスナック的な、感じなんでしょうか。
今、求められるものが多様化する中で、コンテンツを作る側としては難易度が上がっていて、どうすればよいかよくわからない状態。
いまだに30年前のテレビの楽しさを!と号令かけてる某所を見ていると、映画がテレビに娯楽が移っていくときもこんな感じだったのかな?と感じる“ライブ配信の世界に存在する「ちょうどいい距離感」は、これまでで言うバーのマスターやスナックのママに近いかも”
わかりやすい。応援する方もされる方も楽しそうなのがいいですね。(令和の若者というタイトルはちょっと盛りすぎな気もしますが、)配信すること自体が簡単になったことが1番大きいのでしょうね。スマホさえあればいい。ちょっと前まで配信というと専用のPCやら機材やらいろいろ必要でしたから、よほどモチベーションがないとできませんでした。