【新】僕が平成を「失敗したプロジェクト」と総括する理由
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注目のコメント
『遅いインターネット』を出版したばかりの宇野常寛さんにインタビューしました。平成の30年間は政治が空転した時代だった。なぜ政治は空転してしまったのか。答えを聞けば聞くほど、政治家のみに責任があるわけではなく、一人ひとりの「無関心」が招いた結果だと思わざるを得ませんでした。
NPでコメを書くことに何の意味が有るって言うんだ...?
インターネットは「フロー」と「ストック」に大別される.
価値・情報が流れてくる/貯まらない「フロー」と,価値・情報を探しに行く/貯まる「ストック」.
今は「フロー」に大きく針が振れている.タイムラインに象徴される「早いインターネット」だ.
価値が日毎にリセットされる,とは,昨日熱意を込め書いたコメントのlikeが今日の僕に価値をもたらさないという事だ.毎朝僕はそう思う.
それでもtwitterよりは,マシか...1日も価値は持たず,否定する側が有利で,人間関係係数(フォロワー)>書込み内容,な場所よりかは,
虚無感が達成感を上回り始めると,コメントの内容は投げやりに,コメントの回数も減っていく.多くの人がそうなってしまう.
しかし,本当は....積み上がってるモノが有る.思考して書いた「ログ」だ. いや,違う.積み上げた「思考」そのものだ.
「遅いインターネット」は価値を「ストック」出来るよう,現代の情報環境を捉え直す動きである.
本当は,何より価値の有る,人類が偉大になった要因,「思考の積み上げ」に価値の針を戻そうとする試みだ.
コメントする虚無感に襲われたら,自分のログを見返すと良い.「何だ俺,結構良いこと書いてるじゃん」
そして1年前のログを見てみよう「こんな浅いコメ書いて,こっ恥ずかしい...」
それが,価値を積み上げるという事で,それは,個人の成長である.そして,インターネットはそのようにも使える.そう,有るべきだ.日本は未だ技術力で劣っているわけではない。しかし、日本には政治や産業を率いる大企業のトップに「未来への意志」と「情熱」がない。
政治家にしても、大企業の雇われ社長にしても、自分の任期に何もなく平穏に終わることだけを考え、自らを、産業を、国家をディスラプトして作り変えるほどの挑戦をしないし、そもそもその挑戦の前提となるような未来に対する妄想と想像を働かせることも出来ない。
未来を変えるのは、技術ではない。未来を変えるのは、人の意志だ。地球の、国家の、社会の、コミュニティの、家族の、人のあるべき姿を妄想し、そこにあるライフスタイルを想像し、自らのミッションを意志に掲げ、ソリューションを創造し、プロダクトを技術を持って開発する。
ある種独善的に、そして情熱的に、未来を見定め、盲信する。それが意志だ。描く未来がビジョンだ。そのために自らの社会におけるあるべき姿がミッションだ。それを掲げずに進むことは、目的地も決めず航路を決めずに大海原にイカダで旅に出るようなものだ。沈没が約束されている。
今この日本で意志を持っているのはスタートアップの起業家ぐらいのものだ。しかし彼らが変えられる世界はとてつもなく小さい。ある特定のテーマに沿ったマイクロコミュニティの中のライフスタイルの一部だけしか変えられない。何故なら彼らは政治を動かすことも出来ず、産業を作ることも出来ていない。
デジタイゼーションも、デジタライゼーションも、デジタルトランスフォーメーションは手段だ。モノづくりの伝統と誇りを持つ日本企業ならそれは辿り着くべき未来で、過去の延長線上にある未来だ。それらは、まだ見ぬ未来の扉を開く鍵にはなり得ない。
日本を変えるのは大企業だ。そのために変わらなければならないのが大企業だ。変えるために必要なのは「ビジョン」とそれへの「盲信」と「意志」、そしてボードメンバーの「コミットメント」、それを実現するための「組織」と「カルチャー」。抜本的な改革をする最後のタイミングが、そう今だ。